1895年

気象学者の野中到が、富士山頂に私費で測候所を開設。

気象学者・野中到が私費で富士山頂に測候所を開設し、高所観測に挑む。
1895年8月30日、野中到は富士山頂に私費による測候所を設置。 高度3776メートルの厳しい気象条件下で、気温や気圧、風速を詳細に観測。 観測機器は自ら改良を加え、高所特有の低温・強風に対応させた。 これまで平地で得られなかった貴重なデータが蓄積され、気象学の発展に寄与。 以降、山岳気象観測の先駆的事例として評価されている。
1895年 気象学者 野中到 富士山頂 測候所
1962年

戦後初の日本の国産旅客機であるYS 11が初飛行。

日本初の国産旅客機YS-11が初飛行に成功しました。
日本初の本格的な国産旅客機YS-11が1962年8月30日に初飛行。 日本航空機製造(NAMC)が開発し、55席のプロペラ機として設計。 試験飛行では安定性や性能が高く評価され、商業運航に期待が高まりました。 YS-11はのちに国内外の航空会社で使用され、日本の航空産業の象徴となりました。 生産は1974年まで続き、合計182機が製造されました。
1962年 旅客機 YS-11
1983年

ギオン・ブルーフォードがアフリカ系アメリカ人として初めて宇宙へ飛び立つ(STS 8)。

アフリカ系アメリカ人として初めて宇宙飛行した歴史的瞬間。スペースシャトルSTS-8ミッションに参加。
1983年8月30日、NASAのスペースシャトルチャレンジャー(STS-8)に搭乗したギオン・ブルーフォードが、史上初のアフリカ系アメリカ人宇宙飛行士として打ち上げられた。 このミッションは6日間にわたり、通信用衛星の展開や科学実験を行った。 ブルーフォードの飛行は、NASAの多様性推進と公民権運動の象徴ともなり、多くの若者に宇宙への夢を与えた。 彼の功績は宇宙開発史だけでなく、アメリカ社会の人種的平等の歩みを語る上でも重要視されている。 STS-8は無事に帰還し、ブルーフォードは英雄として迎えられた。
1983年 ギオン・ブルーフォード アフリカ系アメリカ人 STS-8
1984年

スペースシャトル「ディスカバリー」が初打ち上げ。

NASAの3号オービターディスカバリーが初飛行。新たな宇宙開発の幕開け。
1984年8月30日、NASAはスペースシャトルディスカバリーを打ち上げ、同機は3号オービターとして初の宇宙飛行を成功させた。 ミッションでは通信実験や衛星展開、科学観測が実施され、ディスカバリーは多様な任務遂行能力を示した。 この打ち上げにより、スペースシャトル計画はさらに発展し、後の多くの科学実験や国際協力へとつながっていく。 ディスカバリーは初飛行後も数十回にわたり活躍し、NASAの中核機として定着した。 宇宙輸送の常用化を象徴する歴史的フライトとなった。
1984年 スペースシャトル ディスカバリー
1991年

宇宙科学研究所 (ISAS) が、M 3SII型ロケット6号機により日本で2機目となるX線太陽観測衛星「ようこう」を打ち上げ。

ISASがX線太陽観測衛星「ようこう」を打ち上げ、日本の宇宙観測技術を強化。
1991年8月30日、宇宙科学研究所(ISAS)はM-3SII型ロケット6号機でX線太陽観測衛星「ようこう」を打ち上げた。 「ようこう」は高エネルギーのX線を利用し、太陽のフレアやコロナ大気の構造を詳細に観測することを目的としている。 日本で2機目となる太陽観測衛星は、世界でも限られた技術を駆使した学術ミッションと位置付けられた。 ミッションにより得られたデータは、太陽活動のメカニズム解明や宇宙天気予報への応用に貢献した。 「ようこう」の成功は後続の観測衛星開発を促進し、日本の宇宙科学の国際的評価を高めた。
1991年 宇宙科学研究所 M-3SII型ロケット ようこう