1334年

ペドロ1世

(1334 - 1369)

カスティリャ王

カスティリャ王
中世スペインのカスティリャ王。1369年まで在位し、『残酷王』の異名で知られる。
1334年に生まれ、1350年にカスティリャ王として即位した。強権的な政治を行い、反乱や宮廷内の陰謀に対して容赦なく弾圧したことから『残酷王』と呼ばれた。内政では王権強化を図り、外政では隣国グラナダとの抗争を継続した。妻ブランダ・デ・ブルボンとの関係に問題が生じ、王妃を幽閉した事件は大きな論争を呼んだ。1369年のカスティリャ内戦で弟エンリケ2世に敗れ、モンティエルの戦いで殺害された。
1334年 ペドロ1世 カスティリャ 1369年
1377年

シャー・ルフ

(1377 - 1447)

ティムール朝第3代君主

ティムール朝第3代君主
ティムール朝第3代君主として1447年まで領土を支配し、学芸を保護した君主。
1377年にティムールの子として生まれた。1405年にティムールの死後、ヘラートを中心に帝国の実権を握り、王府を整備した。学者や詩人を庇護し、文化振興に努めた。軍事指導者として周辺諸国との戦闘を指揮し、領土防衛に成功した。外交面でもオスマン帝国やムガル朝との関係を維持し、中央アジアの安定に寄与した。1447年に死去し、その治世はティムール朝の文化的黄金期とも評される。
1377年 シャー・ルフ ティムール朝 1447年
文禄3年7月15日

中川久盛

(1594 - 1653)

岡藩2代藩主

岡藩2代藩主
江戸時代初期の岡藩2代藩主として藩政を統治した武士大名。
1594年に生まれ、岡藩主として家督を継承した。領内の治水や検地を推進し、財政再建に努めた。儒学を奨励し、藩校の設立に尽力したと伝えられている。地域社会の安定を図り、領民の暮らし向上に貢献した。1653年に没し、その治世は内政の安定に寄与した。
1594年 文禄 7月15日 中川久盛 岡藩 1653年
寛永4年7月20日

伊藤仁斎

(1627 - 1705)

儒学者、思想家

儒学者 思想家
江戸時代初期の代表的な儒学者・思想家。古典の研究を通じて儒学の原点回帰を唱えた。
1627年、近江国に生まれる。幼くして学問に励み、朱子学の形式主義を批判し、中国の古典儒学の再評価を提唱した。学派は『古学』として知られ、後進の儒学者に大きな影響を与えた。著書に『語孟』『断學』などがあり、倫理や政治の原理を平易な言葉で説いた。弟子育成にも努め、藩校設立や講義を通じて学問の普及に寄与した。1705年に没し、その思想は後世の国学や陽明学にも影響を与えた。
1627年 寛永 7月20日 伊藤仁斎 1705年
元禄13年7月16日

池田定賢

(1700 - 1736)

若桜藩2代藩主

若桜藩2代藩主
江戸時代中期の若桜藩2代藩主として藩政を担った大名。
1700年に生まれ、若桜藩2代藩主として家督を継承した。城下町の整備や新田開発を推進し、領内経済の活性化に努めた。検地や年貢制度の見直しを行い、藩財政の安定を図った。藩士の教育にも力を入れ、藩校の運営に貢献した。1736年に没し、その治世は藩の基盤強化に寄与した。
1700年 元禄 7月16日 池田定賢 若桜藩 1736年
宝永3年7月23日

木下俊保

(1706 - 1738)

日出藩6代藩主

日出藩6代藩主
江戸時代中期の日出藩6代藩主として治政に努めた大名。
1706年に生まれ、日出藩6代藩主として家督を継承した。藩内の治水事業や道普請を推進し、領民の生活環境を改善した。年貢体系を見直して財政の立て直しを図り、経済基盤を強化した。学問や武芸の奨励にも取り組み、藩士の教育に尽力した。1738年に没し、その統治は藩政の安定に貢献した。
1706年 宝永 7月23日 木下俊保 日出藩 1738年
延享2年8月4日

鍋島治茂

(1745 - 1805)

佐賀藩8代藩主

佐賀藩8代藩主
江戸時代後期の佐賀藩8代藩主。藩政改革を進め、財政再建と学問・産業の振興に努めた。
1745年に生まれ、佐賀藩8代藩主として家督を継承した。財政難に直面した藩財政を建て直すため、銀山開発や殖産興業を推進した。藩校『弘道館』の創設に関与し、藩士の教育と学問振興に力を入れた。西洋の技術や知識の導入にも意欲的で、藩の近代化を目指した。1805年に没し、その治世は佐賀藩の発展に大きく寄与した。
1745年 延享 8月4日 鍋島治茂 佐賀藩 1805年
1748年

ジャック=ルイ・ダヴィッド

(1748 - 1825)

画家

画家
フランス革命期を代表する新古典主義の画家。
1748年にパリ近郊で生まれる。新古典主義を代表し、古代ローマやギリシアの美学を取り入れた絵画で知られる。革命期の政治活動にも関与し、『マラーの死』などプロパガンダ的作品を制作した。ナポレオン・ボナパルトの宮廷画家として『ナポレオンの戴冠式』を描き、その権威を象徴する大作を残した。1815年の王政復古後は亡命を余儀なくされ、ブリュッセルで没した。
1748年 ジャック=ルイ・ダヴィッド 1825年
安永13年8月2日

木下俊懋

(1772 - 1822)

日出藩11代藩主

日出藩11代藩主
江戸時代後期の日出藩11代藩主として領政を担った大名。
1772年に生まれ、日出藩11代藩主として家督を継承した。藩内の治水や農業振興に取り組み、領民の生活基盤を強化した。財政改革を行い、倹約と効率化を推進して藩の財政健全化に努めた。教育や武芸の奨励を通じて藩士の資質向上に注力した。1822年に没し、その治世は日出藩の安定に貢献した。
1772年 安永 8月2日 木下俊懋 1822年
1773年

ポラック・ミハーリ

(1773 - 1855)

建築家

建築家
ハンガリーを代表する新古典主義建築家。
1773年に現スロバキアで生まれ、ウィーンで建築を学んだ。帰国後、ハンガリー王国内で数多くの公共建築を手掛け、国立博物館の設計で最も知られる。新古典主義様式を採用し、均整のとれたファサードと堂々たる雰囲気が特徴。大学や教会、住宅など多岐にわたる作品を残し、19世紀ハンガリー建築の発展に大きく寄与した。1855年にブダペストで没した。
1773年 ポラック・ミハーリ 1855年
乾隆50年7月26日

林則徐

(1785 - 1850)

清の欽差大臣

清の欽差大臣
清朝の官僚。欽差大臣としてアヘン流通禁止政策を推進し、虎門でのアヘン没収を主導した。
林則徐は1785年に福建省に生まれ、科挙に優秀な成績で合格。広東・福建地方の巡撫を歴任し、1838年に清朝政府より欽差大臣に任命される。 英国からのアヘン密輸に強く反対し、虎門で押収したアヘンを焼却(虎門砲煙)するなど厳格な禁煙政策を実施。 これが原因でアヘン戦争の火種となり、一時失脚するもその後名誉は回復された。 1850年に没し、中国近代史における抵抗運動の象徴的存在として知られる。
1785年 乾隆 7月26日 林則徐 欽差大臣 1850年
1797年

メアリー・シェリー

(1797 - 1851)

小説家

小説家
イギリスの小説家。代表作『フランケンシュタイン』でゴシック文学を代表する一人。
メアリー・シェリーは1797年にロンドンで生まれ、フェミニスト思想家メアリー・ウルストンクラフトと哲学者ウィリアム・ゴドウィンの娘として育つ。 1814年に詩人パーシー・ビー・シェリーと交際を始め、1816年の夏にジュネーヴ湖畔で構想した『フランケンシュタイン』を1818年に発表。 人造人間をめぐる生命倫理と存在の問いを描き、ゴシック小説の金字塔となる。 彼女はまた旅行記や評論、夫の詩作編集にも携わり、19世紀文学に大きな影響を与えた。 1851年に子宮癌のため死去した。
1797年 メアリー・シェリー 小説家 1851年