1009年
975年に着工したマインツ大聖堂(英語版)で火災が起こる。
1009年、マインツ大聖堂で火災が発生し、建設中の壮大な聖堂が被災しました。
マインツ大聖堂は975年に着工されたロマネスク様式の大規模教会建築の一つでした。
1009年8月29日の夜に発生した火災は、木造の屋根構造を中心に激しく燃え広がり、大聖堂の大部分を焼失しました。
この火災により貴重な宗教美術や蔵書も焼失し、当時の宗教都市マインツに大きな衝撃を与えました。
その後、再建が試みられ、現在の大聖堂は中世から近世にかけて改修・再建された姿が残っています。
火災による被害は12世紀以降の建築様式への移行にも影響を与えました。
1009年
マインツ大聖堂
英語版
寛保元年7月19日
渡島大島・寛保岳噴火に伴っての津波が発生(寛保津波)。対岸を中心に1,467人の死者を出す。
1741年7月19日、渡島大島・寛保岳の噴火に伴う津波が対岸を襲い、1,467人の命を奪った災害です。
1741年7月19日、現在の北海道渡島大島付近で寛保岳が大規模な噴火を起こしました。
噴火に伴う大津波は対岸を襲い、数メートルに及ぶ波が住民を襲撃しました。
記録によると1,467人が死亡し、家屋や漁船も甚大な被害を受けました。
寛保津波として歴史に名を残し、北海道における初期の大規模災害の一つとされています。
この事件は火山噴火と津波の複合危険性を示す教訓として研究対象となっています。
1741年
寛保
7月19日
渡島大島
寛保津波
1907年
建設中のケベック橋で1回目の崩壊事故が発生し、75名が犠牲になる。同橋梁は1916年9月11日に2回目の崩落事故を起こす。
1907年、建設中のケベック橋で崩壊事故が発生し、75名が犠牲となりました。
1907年8月29日、カナダ・ケベックシティ近郊で建設中のケベック橋(世界最長の張出し式鉄橋)の一部が崩壊しました。
設計者セオドア・クーパーの応力計算ミスが原因とされ、工事現場には多数の労働者が配置されていました。
事故により75名が死亡し、橋梁建設史上最悪クラスの災害となります。
失敗を教訓に復旧作業が進められたものの、1916年にも再び大崩壊を起こす悲劇が続きました。
その後の橋梁設計と安全管理の改良に大きな影響を与え、土木技術の発展に寄与する契機となりました。
1907年
ケベック橋
1916年
9月11日
1914年
静岡県に台風被害。約1,000戸が流失、約10,000戸が浸水し、死者45人、負傷者90人の被害。
1914年8月29日、静岡県を襲った台風により約1,000戸が流失、10,000戸が浸水し、45人が死亡、90人が負傷した。
この台風は太平洋を西進し静岡県沿岸部を直撃した。
激しい風雨により住宅や農地が広範囲にわたり被害を受け、約1,000戸が流失した。
浸水被害も深刻で、約10,000戸が床上・床下浸水の被害を受けた。
人的被害は死者45人、負傷者90人に上り、地域社会に大きな衝撃を与えた。
復旧には長期間を要し、被災者支援や堤防整備の必要性が改めて認識された。
1960年
前日、高知県に上陸した昭和35年台風第16号により京阪神地方が集中豪雨。西宮市の芦有ドライブウェイ建設現場では、土砂崩れが発生して作業員24人死亡するなどの被害。
昭和35年台風第16号による集中豪雨で建設現場の土砂崩れが発生し、多数の犠牲者が出た日。
1960年8月29日、前日に高知県に上陸した昭和35年台風第16号の影響で、京阪神地方は集中豪雨に見舞われました。
西宮市の芦有ドライブウェイ建設現場では大規模な土砂崩れが発生し、作業員24人が死亡する悲惨な事故となりました。
当時は災害予測技術や安全対策が十分でなく、急激な増水や地盤悪化への対応が遅れました。
この事故を契機に建設現場の防災対策が見直され、工事現場での安全管理が強化されるようになりました。
台風シーズンの自然災害の怖さを改めて知らしめた出来事です。
1960年
高知県
西宮市
芦有ドライブウェイ
2005年
ハリケーン・カトリーナがルイジアナ州に再上陸。
ハリケーン・カトリーナがルイジアナ州に再上陸し、甚大な被害をもたらしました。
2005年8月29日、ハリケーン・カトリーナがルイジアナ州北岸部に再上陸し、カテゴリー3の暴風雨を伴いました。
ニューオーリンズでは堤防が決壊し、大規模な洪水が発生、多くの住宅や施設が浸水しました。
市民の避難が遅れたことや行政の対応の遅滞により、人的被害と物的被害が拡大しました。
被害総額は1,000億ドルを超え、米国史上最悪級の自然災害と評価されました。
復興には数年を要し、防災対策や都市計画の見直しが緊急の課題となりました。
2005年
ハリケーン・カトリーナ
ルイジアナ州