1768年

ジェームズ・クックが最初の航海に出発。

1768年、ジェームズ・クック船長が最初の太平洋探検航海に出発しました。 観測と探査を目的にHMSエンデバー号で航海を開始。
1768年8月26日、イギリス王立海軍のジェームズ・クック船長がHMSエンデバー号を率い、太平洋へ向けてプリマスを出航した。 主目的は金星の太陽面通過観測および未知海域の地図作成であった。 航海中、クックはニュージーランド全土を探査し、詳細な地図を作成した。 1770年にはオーストラリア東海岸を初めてヨーロッパ人として確認し、「ニューサウスウェールズ」と命名した。 この航海は地理学や天文学の知見を大きく進展させ、太平洋世界の理解を深めた。
1768年 ジェームズ・クック 最初の航海 英語版
1920年

日本初の海洋気象台(神戸海洋気象台、現在は神戸地方気象台)が観測事業を開始。

日本初の海洋気象台が観測事業を開始。海洋気象観測の基礎を築いた記念すべき一日。
1920年8月26日、日本初の海洋気象台として神戸海洋気象台が開所し、正式に観測事業を開始しました。 この施設は船舶の安全航行や漁業活動を支援するため、海洋上の気象データを継続的に収集・解析しました。 当時は測風儀や気圧計など各種計測機器が設置され、洋上気象観測の先駆けとなりました。 その後、神戸地方気象台として組織を拡充し、地域の気象監視と予報を担う重要拠点へと発展しました。 今日の気象予報や海洋観測技術の礎を築いた歴史的な一歩として評価されています。 現在も港湾気象情報の提供などで活躍し、海洋気象観測の伝統を引き継いでいます。
1920年 海洋気象台 神戸地方気象台
1957年

タス通信が世界初の大陸間弾道ミサイル (ICBM) 「R 7」の実験成功を配信。

ソ連のタス通信が世界初のICBM『R-7』の実験成功を報じ、軍事技術の歴史を塗り替えました。
1957年8月26日、ソ連の通信社タスが大陸間弾道ミサイル『R-7』の初飛行実験の成功を世界に配信しました。 R-7は後にスプートニク1号を打ち上げるロケットの基礎技術としても知られ、宇宙開発への道を開きました。 大陸間弾道ミサイルは核兵器運搬手段として冷戦下の軍事バランスを大きく変化させました。 この成功はアメリカとソ連の宇宙開発競争『スペースレース』の幕開けと位置づけられています。 R-7技術は後に多くの改良型に発展し、現在もロシアのロケット技術の基盤となっています。
1957年 タス通信 大陸間弾道ミサイル R-7
1978年

東ドイツのジークムント・イェーンがソ連のソユーズ31号に搭乗し、ドイツ人初の宇宙飛行士となる。

1978年8月26日、東ドイツのジークムント・イェーンがソ連のソユーズ31号で宇宙飛行を行い、 ドイツ人として初めて宇宙へ旅立ちました。
宇宙飛行士ジークムント・イェーンは1978年8月26日、ソ連の宇宙船ソユーズ31号に搭乗し宇宙へ。 彼は東ドイツ政府の承認を受けた初の有人宇宙飛行士として選ばれました。 ミール前身の宇宙ステーションソユーズ29号乗組員とドッキングし、各種実験に従事。 東西冷戦下での技術協力の象徴となり、ドイツ統一後も宇宙開発の先駆者として注目を集めました。 イェーンは地球に帰還後、航空・宇宙分野の発展に貢献し続けました。
東ドイツ ジークムント・イェーン ドイツ人 宇宙飛行士