文応元年7月16日

日蓮が前執権・北条時頼に『立正安国論』を献進。

1260年8月24日、僧・日蓮が鎌倉幕府の執権・北条時頼に『立正安国論』を献上しました。
1260年8月24日、日蓮は『立正安国論』を著し、鎌倉幕府の有力者である北条時頼に提出しました。 この文書では、国家の安寧には正しい仏法の実践が不可欠であると説かれています。 当時の社会不安や自然災害を背景に、日蓮は仏教の力で国を救う道を訴えました。 『立正安国論』は後の法華経の普及と日蓮宗の確立に大きな影響を与えました。 日蓮の大胆な行動は幕府に警戒され、一時期流罪の危機に瀕することになります。
1260年 文応 7月16日 日蓮 北条時頼 立正安国論
1884年

森鷗外がドイツ留学に出発。

森鴎外が医学と文学を学ぶためにドイツへ留学の旅に出発しました。 後の日本近代文学に大きな影響を与えた出来事です。
森鴎外(1862–1922年)は日本の医師・作家で、明治時代の文壇に大きな足跡を残しました。 1884年8月24日、陸軍軍医としてドイツに留学し、ベルリン大学で解剖学や病理学を学び始めました。 留学中に西洋文学や思想に触れ、独自の文学観を形成。帰国後は翻訳や評論、創作活動を通じて日本近代文学の発展に寄与しました。 医師としても陸軍軍医総監など要職を歴任し、医学教育や軍医制度の整備にも貢献しました。 鴎外のドイツ留学は、医学者としてだけでなく、文化人としての彼のキャリアを確立する転機となりました。
1884年 森鷗外 ドイツ
1955年

広島平和記念資料館が開館。本館は、丹下健三の設計による。

平和の願いを伝える広島平和記念資料館が開館しました。
1955年8月24日、被爆地広島に広島平和記念資料館(原爆資料館)が開館しました。世界的に著名な建築家・丹下健三が設計した本館は、原爆被害を記録し、核兵器の悲惨さと平和の尊さを伝える象徴的な建物です。館内には被爆遺品や写真パネル、模型などが展示され、来館者は被害の実態を直に学ぶことができます。戦後復興途上の日本において、平和教育の拠点として大きな役割を果たし、多くの国内外の訪問者を受け入れています。
広島平和記念資料館 丹下健三
1983年

THE ALFEEが日本武道館で初めてのライブを行う。

THE ALFEEが日本武道館で初のワンマンライブを開催しました。
1983年8月24日、ロックバンドTHE ALFEEが東京・日本武道館で初のホールライブを行いました。結成以来ライブハウス中心に活動していた彼らが、日本武道館のステージに立つのは快挙でした。会場はファンで満員となり、代表曲の演奏に大歓声が沸き起こりました。ステージ演出や照明効果も話題を呼び、以後の大規模公演への布石となりました。この公演はTHE ALFEEのキャリアにおける節目として、現在もファンから高く評価されています。
1983年 THE ALFEE 日本武道館