作家、博物学者
作家
博物学者
古代ローマの博物学者・作家。『博物誌』を著し、幅広い自然科学の知識を体系化した。
ポンペイの噴火観測中に殉職。
23年に生まれたガイウス・プリニウス・セクンドゥスは、古代ローマを代表する博物学者・作家です。
巨冊の百科事典『博物誌』を執筆し、動植物・鉱物・天文学など多岐にわたる自然界の知見をまとめ上げました。
博物誌は中世以降も長く自然科学の基礎文献として引用され、後世に大きな影響を与えました。
79年、ヴェスヴィオ火山の噴火を観察中に毒ガスを吸い込み殉職したと伝えられています。
学問と探究心を体現した先駆者として、現在もその名は語り継がれています。
79年
ガイウス・プリニウス・セクンドゥス
博物学者
23年
第35・37代天皇
第35・37代天皇
日本の第35・37代天皇。女性として初めて二度即位した天皇です。
594年に生まれた皇極天皇は、642年に第35代天皇として即位しました。
一度は弟に譲位しましたが、655年に第37代天皇(斉明天皇)として再即位しました。
在位中は政治改革や国家体制の整備に取り組み、飛鳥時代の発展に貢献しました。
661年8月24日に崩御し、二度の即位は史上でも稀有な例として知られています。
661年
7月24日
皇極天皇(斉明天皇)
天皇
594年
公卿
公卿
平安時代中期の公卿。朝廷で要職を歴任した貴族です。
920年に生まれた源雅信は、平安時代中期の貴族階級である公卿として活躍しました。
宮廷において儀式の運営や政務に携わり、朝廷の政治に影響を与えました。
源氏の一員として一定の勢力を維持し、藤原氏や他氏族との権力闘争にも参加しました。
公文書の管理や国政の相談役として信頼を得ていました。
993年7月29日に没し、その名は朝廷の記録に残されています。
993年
正暦
7月29日
源雅信
公卿
920年
東ローマ皇帝
東ローマ皇帝
東ローマ(ビザンツ)帝国の皇帝。1041年から1042年までの短い治世でした。
1015年に生まれたミカエル5世は、東ローマ皇帝ミハイル4世の甥として育ちました。
1041年、皇帝として即位し、母后テオドラの政治的影響下にありながら政務を担いました。
即位後は宮廷内の権力闘争が激化し、権力基盤を固めることに失敗しました。
1042年には廃位され修道院に幽閉され、その後まもなく亡くなりました。
短命ながら帝位継承を巡る争いはビザンツ史の一幕を彩りました。
1042年
ミカエル5世
東ローマ皇帝
1015年
詩人、書家、政治家
詩人
書家
政治家
北宋時代を代表する詩人・書家・政治家。多才な文人として後世に影響を与えました。
1037年に四川省成都で生まれた蘇軾は、北宋を代表する文人の一人です。
科挙に合格し、地方官や中央官として政治家としての手腕も発揮しました。
詩・詞・散文などで優れた作品を残し、文学史において重要な位置を占めています。
書道の分野では独自の書風を確立し、その作品は『東坡書法』として称えられました。
政治家としても財政改革や災害救援を推進し、民衆からの信望を集めました。
1101年
建中靖国
7月28日
蘇軾(蘇東坡)
詩人
書家
政治家
1037年
画家
画家
マニエリスム期のイタリア人画家。優美で伸びやかな表現が特徴です。
1503年にイタリアのパルマ近郊で生まれたパルミジャニーノは、マニエリスムを代表する画家です。
細長く伸びた人体表現や優雅な構図が特徴で、『長頸の聖母』などの代表作を残しました。
若くしてヴェネツィアやボローニャで活躍し、宗教画や肖像画で高い評価を得ました。
40歳前後で急逝したものの、その斬新な画風は後世の芸術家に影響を与え続けています。
技巧と幻想性を融合させた作風は、ルネサンス後期の多様性を象徴しています。
1540年
パルミジャニーノ
画家
1503年
ユグノー戦争プロテスタント派の軍人
ユグノー戦争プロテスタント派の軍人
フランスのユグノー派リーダーで軍人。サン・バルテルミの虐殺で暗殺されました。
1519年に生まれたガスパール・ド・コリニーは、フランス宗教戦争期の重要な軍事指導者です。
海軍提督(アドミラル・ド・コリニー)の称号を得て、ユグノー派の勢力拡大に貢献しました。
アンリ2世やシャルル9世の宮廷で重きを成し、戦略的な戦闘指揮を執りました。
1572年8月24日のサン・バルテルミの虐殺で暗殺され、その死は宗教戦争の激化を象徴しています。
彼の殉教はプロテスタントの信念と抗争の歴史に深い影響を与えました。
1572年
ガスパール・ド・コリニー
ユグノー戦争
プロテスタント
1519年
天文学者
天文学者
イギリスの天文学者。コペルニクスの地動説を英語圏に紹介しました。
1546年にロンドンで生まれたトーマス・ディッグスは、16世紀の天文学者です。
父レジナルド・ディッグスも学者であり、若くして天体観測と数学研究に取り組みました。
『宇宙観測の新刊』(1576年)などの著作でコペルニクスの地動説を広く紹介し、天文学界に革新をもたらしました。
星表の改訂や月・惑星の位相研究にも貢献し、観測精度向上に寄与しました。
1595年、研究に没頭した末に没し、科学史上にその名を残しています。
1595年
トーマス・ディッグス
天文学者
1546年
彦根藩主、安中藩主
彦根藩主
安中藩主
江戸時代初期の大名。彦根藩・安中藩を治めた譜代大名です。
1590年に生まれた井伊直勝は、徳川氏の譜代大名として彦根藩主に任じられました。
関ヶ原の戦いでの功績により領地を安堵され、後に安中藩に転封されました。
藩政では検地や税制改革を推進し、領民の生活基盤の整備に努めました。
江戸幕府との関係を維持しつつ、藩士の教育や産業振興にも尽力しました。
1662年7月11日に没し、その統治は安定期の礎となりました。
1662年
寛文
7月11日
井伊直勝
彦根藩主
安中藩主
1590年
高田藩主
高田藩主
江戸時代の高田藩主。松平家の譜代大名の一人です。
1592年に生まれた松平忠輝は、徳川家康の外孫にあたる譜代大名です。
高田藩主として領地経営や藩政改革を行い、家臣団の整備に努めました。
藩校の設立など学問奨励にも注力し、文化振興に寄与しました。
一時期失脚の危機に直面しましたが、幕府との信頼を回復しました。
1683年に没し、その治世は地域社会の発展につながりました。
1683年
天和
7月3日
松平忠輝
高田藩主
1592年
イエズス会宣教師
イエズス会宣教師
Italian Jesuit missionary active in Japan during the early Edo period.
Born in 1602 in Macerata, Italy, Giuseppe Chiara joined the Society of Jesus at a young age.
He traveled to Japan in the 1620s and ministered to hidden Christian communities under strict persecution.
Chiara’s writings and letters provide valuable insights into the lives of Japanese Christians during the Tokugawa shogunate.
Despite living under threat of arrest, he remained dedicated to his mission for over sixty years.
He died in 1685 in Ōita, leaving behind a rare first-hand account of Christian endurance in isolation.
1685年
貞享
7月25日
ジュゼッペ・キアラ
イエズス会
宣教師
1602年
行脚僧
行脚僧
Japanese Buddhist itinerant monk and prolific sculptor of wooden Buddhist statues.
Born in 1632 in Mino Province, Enku traveled across Japan as a mendicant monk.
He carved over 120,000 wooden images of Buddhist deities and folk figures using simple tools.
Enku’s dynamic and unrefined style made his sculptures uniquely expressive and accessible.
His works are celebrated for embodying both deep spiritual devotion and folk artistry.
Though often living in poverty, he gained a devoted following for his charisma and craftsmanship.
Enku’s legacy endures in temples and collections where his statues continue to inspire worship and art lovers.
1695年
元禄
7月15日
円空
1632年