1945年

日本で、戦時中機密情報として1941年12月8日に公表が中止された天気予報が、ラジオ放送で再開される。翌日には新聞でも復活。

約3年8カ月ぶりに天気予報放送が再開。戦時中の情報統制が解除され、国民の日常生活が一歩前進しました。
1945年8月22日、太平洋戦争中の情報統制で中止されていた天気予報ラジオ放送が再開されました。 翌23日には新聞でも天気予報が復活し、戦時下で制限されていた気象情報が公に提供されるようになりました。 この再開は、戦後復興と国民生活の正常化の象徴的な出来事といえます。 農業や漁業、日々の暮らしに欠かせない気象情報が戻ったことで、生産活動や生活設計に大きな安心感をもたらしました。 また、言論・報道の自由回復に向けた動きの先駆けとも位置づけられています。
1941年 12月8日 天気予報
1946年

京城大学(旧京城帝国大学)が米軍法令102号により閉鎖。

朝鮮半島にあった旧京城帝国大学が米軍政令により閉鎖されました。
1946年8月22日、連合国軍総司令部(GHQ)が発令した米軍政令102号により、京城大学(旧京城帝国大学)が閉鎖されました。 この大学は日本統治時代に設立された高等教育機関であり、閉鎖により朝鮮半島の高等教育体制が大きく再編されました。 閉鎖後、教育機関の再編が進められ、後に高麗大学校など朝鮮独自の大学設立が促進されました。 戦後の教育再構築における占領政策の一環として国内外で注目されました。 占領期の教育政策が地域社会に与えた影響を考える上で重要な事件です。
1946年 京城帝国大学