1258年

テオドロス2世ラスカリス

(1221 - 1258)

第3代ニカイア皇帝

第3代ニカイア皇帝
テオドロス2世ラスカリスは、東ローマ帝国のニカイア帝国第3代皇帝です。幼少期から皇位に就き、帝国の再興を図りました。
1221年に誕生し、父テオドロス1世ラスカリスの跡を継いで1254年に即位しました。 在位中、ラテン帝国の勢力と抗争しつつ、領土の回復を試みました。 法制や行政制度の整備を進め、帝国の統治基盤を強化しました。 しかし、若くして病に倒れ、1258年に没しました。 その死後、ニカイア帝国は混乱期に入りました。
1258年 テオドロス2世ラスカリス ニカイア皇帝 1221年
正和4年7月18日

北条煕時

(1279 - 1315)

鎌倉幕府第12代執権

鎌倉幕府第12代執権
北条煕時は鎌倉幕府第12代執権です。北条氏一門として幕府政治を統括しました。
1279年に北条氏の一族として生まれました。 1311年に第12代執権に就任し、幕府の実権を握りました。 在任中は幕府内の有力御家人との調停や政務にあたりました。 しかし、短い期間で病没し、政権は次代へ移りました。 在任期の詳細は史料に乏しいものの、鎌倉時代後期の政局を象徴する人物です。
1315年 正和 7月18日 北条煕時 鎌倉幕府 執権 1279年
1503年

アレクサンデル6世

(1431 - 1503)

第214代ローマ教皇

第214代ローマ教皇
ローマ教皇アレクサンデル6世(在位1492-1503)。ボルジア家出身の教皇で、教会内外で強い影響力を持ちました。
1431年にスペインのトルデッリャで生まれました。 本名はロドリゴ・ボルジアで、1492年に第214代ローマ教皇に選出されました。 教会の世俗的権力を拡大し、家族を要職に就かせるネポティズムを行いました。 芸術や文化を庇護し、ローマの都市改造を促進しました。 その一方で腐敗やスキャンダルが絶えず、評価は賛否両論です。 1503年に没し、ボルジア家の栄華と教会改革の諸相を象徴する存在となりました。
1503年 アレクサンデル6世 ローマ教皇 1431年
天文18年7月25日

大井信為

(1530 - 1549)

戦国武将

戦国武将
大井信為は戦国時代の武将で、大井氏に属しました。若くして戦乱の只中に没しました。
1530年に大井氏の家系に生まれました。 主君に仕え、数々の戦闘に参加したと伝えられます。 しかし、詳細な戦歴や築いた領地などは史料に乏しいです。 1549年に若くして没し、その生涯は謎に包まれています。 戦国の動乱期を象徴する一人といえます。
1549年 天文 7月25日 大井信為 戦国武将 1530年
1559年

パウルス4世

(1476 - 1559)

第223代ローマ教皇

第223代ローマ教皇
パウルス4世は第223代ローマ教皇です。対抗宗教改革を推進し、教会の改革に努めました。
1476年にイタリアで生まれ、教皇選出前は枢機卿として活動しました。 1555年に教皇に選ばれ、厳格な教会改革を導入しました。 異端審問の強化や宗教裁判所(ローマ異端審問)の権限拡大を図りました。 修道会や教会財政の整理にも取り組みました。 その強硬な姿勢は賛否を呼び、教会の対抗宗教改革時代を象徴する教皇の一人です。 1559年に没しました。
1559年 パウルス4世 1476年
1563年

エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ

(1530 - 1563)

裁判官、人文主義者

裁判官 人文主義者
エティエンヌ・ド・ラ・ボエシはフランスの裁判官で、人文主義者です。著書『自由への志願』で主権や従属の問題を論じました。
1530年にボルドー近郊で生まれました。 若くして裁判官となり、フランス王室に仕えました。 人文学に造詣が深く、哲学者モンテーニュとも親交を結びました。 代表作『自由への志願』では、市民の自発的隷属を批判し、自由の本質を問いました。 その思想は後世の政治哲学に大きな影響を与えました。 1563年に没し、享年33歳でした。
1563年 エティエンヌ・ド・ラ・ボエシ 1530年
1567年

エネア・ヴィーコ

(1523 - 1567)

彫刻家

彫刻家
エネア・ヴィーコはイタリアの彫刻家です。ルネサンス期に活動し、精緻なレリーフ作品を残しました。
1523年にイタリアで生まれました。 主にメダルや浮彫の制作を手がけ、細密な技法で注目を集めました。 ローマやパルマなど各地の宮廷に招かれ、貴族や教会の注文を受けました。 現存する作品は限られるものの、ルネサンス美術の一端を担う作家です。 1567年に没しました。
1567年 エネア・ヴィーコ 英語版 1523年
1613年

ジョヴァンニ・マリア・アルトゥージ

(1540 - 1613)

作曲家

作曲家
ジョヴァンニ・マリア・アルトゥージはイタリアの作曲家・音楽理論家です。モダン音楽批評で知られる一方、教会音楽も手がけました。
1540年にイタリアで生まれました。 作曲家として教会音楽を作曲したほか、理論家としても活動しました。 著書『現代音楽の欠点について(L'Artusi Overo Delle Imperfettioni Della Moderna Musica)』で、モンテヴェルディらの革新的様式を批判しました。 彼の批判は音楽理論と実践の議論を喚起し、バロック音楽の展開に影響を与えました。 1613年に没し、音楽史上の重要人物の一人とされています。
1613年 ジョヴァンニ・マリア・アルトゥージ 作曲家 1540年
万暦48年7月21日

万暦帝

(1563 - 1620)

第14代明皇帝

第14代明皇帝
万暦帝は明朝第14代皇帝です。在位48年に及び、明朝の最盛期と衰退期を象徴しました。
1563年に北京で生まれ、1572年に即位しました。 在位48年の長期政権を築き、前半は政治・経済改革を推進しました。 朝鮮との貿易や対外政策を活発化させ、安定期をもたらしました。 しかし後半は宦官や外戚の権力闘争が激化し、内政が停滞しました。 国防費の枯渇や官僚腐敗が進行し、明朝衰退の象徴ともされます。 1620年に没しました。
1620年 万暦 7月21日 万暦帝 皇帝 1563年
1642年

グイド・レーニ

(1575 - 1642)

画家

画家
グイド・レーニはイタリア・バロック期の画家です。やわらかな色彩と優美な表現で知られます。
1575年にボローニャで生まれました。 バロック美術を代表する画家の一人で、教会や貴族のために宗教画を多数制作しました。 優雅で理想化された女性像や天使像に定評があります。 ローマやパルマの宮廷でも活動し、その作風はヨーロッパに広く影響を与えました。 晩年は再びボローニャに戻り、多数の工房を運営しました。 1642年に没しました。
1642年 グイド・レーニ 画家 1575年
1652年

フロリモン・ド・ボーヌ

(1652 - 1652)

法学者、数学者

法学者 数学者
フランスの法学者・数学者。微分積分学の基礎に貢献し、デカルトと交流した知識人。
17世紀フランスに生まれ、法学と数学の両分野で業績を残した。 デカルトやフェルマーと書簡を交わし、解析学の基礎理論に関与。 無限小解析の先駆的研究を行い、接線や極限の概念を深化させた。 『解析入門』などの著作で後の数学者に影響を与えた。 法学研究ではローマ法を体系的に整理し、ヨーロッパ法学界に貢献。 その業績は近代数学と法学史の架け橋となった。
1652年 フロリモン・ド・ボーヌ 英語版 1652年
康熙48年7月13日

尚貞王

(1645 - 1709)

琉球国王

琉球国王
琉球王国の第4代国王。薩摩藩と清朝の二重支配体制下で統治を行った。
1669年に琉球王国の第四代国王として即位。 尚家の血統を継ぎ、薩摩藩と清朝の二重支配体制の中で統治を行った。 政治・経済の安定化に努め、貿易や文化交流を推進。 中国や日本との外交関係を巧みに管理し、国王としての権威を強化した。 琉球王国の儀礼や行政制度の整備を進め、後世に影響を残した。
1709年 康熙 7月13日 尚貞王 琉球国王 1645年