1819年

ピータールーの虐殺。イギリス・マンチェスター郊外で集会に参加した群衆を警官隊が弾圧し、11人が死亡、600人以上が負傷。

マンチェスター郊外で集会に参加した市民が警察に弾圧され、多数の死傷者が出る事件が発生しました。
1819年8月16日、マンチェスター近郊セントピータースフィールドで議会改革を求める数万人規模の集会が開かれました。 群衆の動揺を理由に地元治安部隊と騎兵隊が突入し、市民を無差別に襲撃しました。 この『ピータールーの虐殺』で11人が死亡、600人以上が負傷し、民主化運動の象徴的悲劇となりました。 名称はナポレオン戦争後の軍国主義に対する皮肉を込めて『ピータールー』と呼ばれました。 事件後、政府は治安維持法を強化し、一時的に改革運動は抑圧されましたが、後の選挙改革の契機ともなりました。
1819年 ピータールーの虐殺 イギリス マンチェスター
1874年

ワッパ騒動。酒田県(現 山形県庄内地方)で農民1万人が過納租税の返還を求める暴動。

1874年、酒田県(現山形県庄内地方)で過納税への抗議として約1万人の農民が暴動を起こした。明治政府に大きな衝撃を与えた。
明治7年(1874年)8月16日、酒田県庄内地方で農民約1万人が過納租税の返還を求めて蜂起。 江戸時代からの税制不備と窮状が背景にあった。 暴動は庄内町役所や役人宅への打ちこわしに発展した。 政府は鎮圧のため兵力を派遣し、多数の検挙者が出た。 この事件は明治初期の農民運動として重要視され、以後の税制改革に影響を与えた。
1874年 ワッパ騒動 酒田県 山形県
1918年

1918年米騒動: 第4回全国中等学校優勝野球大会の中止が決定。

1918年の米騒動により、第4回全国中等学校優勝野球大会が中止。食糧不足が社会全体に影響を及ぼした。
1918年8月16日、全国的な米価高騰による米騒動の影響で、文部省が高校野球大会の中止を決定。 同大会は後に甲子園大会の前身とされていた。 戦時下の社会不安が若者のスポーツ活動にも波及した事例となった。 中止は翌年以降の運営体制見直しにつながり、学校教育と地域社会の連携強化を促した。 この出来事は日本のスポーツ史と社会史が交錯する転換点として記憶される。
1918年 1918年米騒動 第4回全国中等学校優勝野球大会
1940年

東京で隣組を通じた回覧板による文書の回覧が始まる。

1940年、東京で隣組を通じた回覧板による文書回覧が開始。地域社会の統制と連帯を促進した。
1940年8月16日、戦時体制下の東京で隣組制度を活用した回覧板による情報伝達がスタート。 各家庭に回覧板が順次届けられ、政府の通達や新聞記事などが共有された。 小規模な自治組織が戦時情報統制と住民統率の要となった。 回覧板は戦後も民間で定着し、地域社会の連帯感醸成に寄与している。 隣組制度の功罪や、戦時期の統制手法を理解する上で重要な事例となった。
1940年 隣組 回覧板