1868年

エクアドル地震。前日の地震に続いて二度目の地震。エクアドル・コロンビアで死傷者7万人。

エクアドルとコロンビアを襲った連続地震で多数の死傷者が発生しました。
1868年8月15日に発生した地震に続き、16日に二度目の大きな揺れがエクアドルとコロンビアで発生しました。 震源は太平洋プレートの沈み込み帯とされ、マグニチュードは推定7以上と考えられています。 建物倒壊や地滑りが広範囲で起こり、公式記録では死者・行方不明者合わせて7万人以上に達しました。 被災地では通信・交通が寸断され、救援活動は困難を極め、多数の遺体が放置される惨状となりました。 この災害は19世紀南米で最も甚大な地震災害の一つとして記録され、防災の重要性を浮き彫りにしました。
1868年 エクアドル地震 エクアドル コロンビア
1902年

鳥島を訪れた定期船が、噴火の跡と島民の姿が見えないことを確認。同日までに島民125人全員が死亡したものと判断した。

1902年に鳥島を訪れた定期船が噴火後の痕跡と島民不在を確認。島民125人の死亡が判明した。
1902年8月16日、定期航路の船舶が鳥島を訪問。 島全体が噴火の影響で荒廃し、建物や植生に焼け跡が残っていた。 島民125人は所在不明とされ、全員死亡と判断。 遭難原因は活発な火山活動による噴火と火砕流と推定された。 政府は以降無人島として扱い、再定住は行われなかった。
1902年 鳥島
1945年

高知県の夜須町(2006年に近隣市町村と合併し以後は香南市)住吉海岸にて第128震洋隊の出撃準備中に爆発事故が発生し乗組員他111名が死亡する。

高知県夜須町で第128震洋隊の出撃準備中に起きた爆発事故で111名が死亡。
1945年8月16日、高知県夜須町(現・香南市)の住吉海岸で、第128震洋隊の出撃準備中に爆発事故が発生しました。 震洋隊は魚雷搭載の特攻艇「震洋」を用いた訓練を行っていましたが、燃料や爆薬の取り扱い中に引火したとされます。 この事故により乗組員を含む111名が命を落とし、戦時中の訓練事故としては極めて甚大な被害となりました。 戦後振り返られることの少ない出来事ですが、特攻兵器に伴う危険性を象徴する悲劇として記憶されています。 事故の詳細は資料によって異なりますが、閉鎖的な戦時体制下で真相が十分に究明されなかった背景があります。
高知県 夜須町 香南市 震洋 爆発事故が発生
1965年

ユナイテッド航空389便墜落事故。

ユナイテッド航空389便がメキシコ湾に墜落し、乗客乗員全員が犠牲となりました。
1965年8月16日、ユナイテッド航空389便(DC-8型機)が墜落しました。 ヒューストン発ニューオーリンズ行きの短距離路線で、メキシコ湾上空で消息を絶ちました。 乗客27名と乗員3名の計30名が搭乗しており、全員が死亡しました。 事故原因は計器誤動作とパイロットの高度誤認とされ、調査報告がまとめられました。 この事故は航空会社の安全管理と訓練体制見直しを促す契機となりました。
1965年 ユナイテッド航空389便墜落事故
1980年

静岡駅前地下街爆発事故。静岡駅前地下街でガス爆発が起き、死者15名、重軽傷233名を出す惨事。

静岡駅前地下街で発生したガス爆発事故により、多数の死傷者が出る惨事となりました。
1980年8月16日、静岡駅前地下街でガスが充満し大規模な爆発が発生しました。 爆風は地下街全体に広がり、15名が死亡、233名が重軽傷を負いました。 原因はガス管の腐食による漏洩と、地下街の換気不良が重なったこととされています。 救助活動は困難を極め、多くの市民や消防隊員が対応にあたりました。 事故後の安全対策強化や緊急時対応マニュアルの整備を促すきっかけとなりました。
1980年 静岡駅前地下街爆発事故 静岡駅
2005年

宮城県牡鹿半島沖を震源とするマグニチュード7.2の地震(宮城県南部地震)発生。

2005年8月16日、宮城県牡鹿半島沖を震源とするマグニチュード7.2の地震が発生し、宮城県南部を中心に強い揺れが観測されました。
2005年8月16日午前10時13分頃、宮城県牡鹿半島沖を震源とするマグニチュード7.2の地震が発生しました。 宮城県南部を中心に最大震度6強の揺れを観測し、建物の倒壊や火災など被害が相次ぎました。 沿岸部では若干の津波も観測され、漁港や漁船などに影響を及ぼしました。 人的被害として死者1人、負傷者160人以上が報告されました。 震災後、現地では復旧支援や防災対策の強化が進められました。
2005年 宮城県 牡鹿半島 震源 マグニチュード 地震 宮城県南部地震
2005年

ウエスト・カリビアン航空708便墜落事故。

2005年8月16日、ウエスト・カリビアン航空708便が墜落し、多数の乗員乗客が犠牲となる航空事故が発生しました。
2005年8月16日未明、ウエスト・カリビアン航空708便(ボーイング737)がパナマのトクメン空港を離陸後にエンジンが失速し墜落しました。 搭乗していた160人全員が死亡し、当時の最悪クラスの航空事故となりました。 事故調査では、整備不良による氷結とパイロットの判断ミスが原因とされました。 この事故は中南米域内の航空安全基準の見直しを促す契機となりました。
ウエスト・カリビアン航空708便墜落事故