文政6年7月7日

シーボルトがオランダ商館の医師として長崎・出島に着任。

シーボルトがオランダ商館の医師として長崎・出島に着任し、日本に西洋医術を本格的に伝えた出来事。
1823年7月7日(文政6年)、ドイツ人医師フィリップ・フランツ・フォン・シーボルトはオランダ商館付医師として長崎・出島に着任しました。彼は西洋の解剖学や外科手術技術を日本に紹介し、多くの日本人医師を教育しました。シーボルトはまた動植物標本や文化資料を収集し、『日本誌』として報告書をヨーロッパに伝えました。しかし1829年にお家取り潰し事件(シーボルト事件)で追放されるまで、日本の医学・博物学の発展に大きく寄与しました。彼の活動は蘭学や日本研究の飛躍的発展を促し、明治維新以降の近代化にも影響を与えます。
1823年 文政 7月7日 シーボルト 出島
1851年

アイザック・シンガーがミシンの特許を取得。

アイザック・シンガーが改良型ミシンの特許を取得し、裁縫作業の効率化と工業的生産の発展に大きな影響を与えました。
1851年8月12日、アメリカの発明家アイザック・シンガーは改良型ミシンの特許(米国特許第8294号)を取得しました。彼のミシンは足踏み式動力伝達機構を採用し、連続縫いが可能となったことで手縫いに比べ圧倒的に作業効率を向上させました。特許取得後、シンガーは自らの会社を設立し、世界中にミシンを普及させることで繊維産業の機械化を促進しました。これにより裁縫工場の大量生産や女性の家庭内裁縫の負担軽減など、社会的にも大きな変革をもたらしました。この発明はその後多くの改良版を生み出し、現代の工業用ミシンの基礎技術となりました。
1851年 アイザック・シンガー ミシン
1877年

アサフ・ホールが火星の衛星ダイモスを発見。

観測技師アサフ・ホールが望遠鏡を用いて火星の小さな衛星ダイモスを初めて発見しました。
1877年8月12日、アメリカ海軍天文台の観測技師アサフ・ホールは火星の小惑星のように小さな衛星ダイモスを発見しました。彼は前日の8月11日に火星の第一衛星フォボスを確認しており、その翌日にダイモスの存在を確認しました。ホールは高倍率の望遠鏡と厳密な位置測定により、火星の周囲を回る二つの衛星の軌道を割り出し、後世の火星探査にも重要な基礎データを提供しました。この発見は火星探査ミッションにおける衛星の軌道計算に貴重なデータを提供しました。後の宇宙開発に向けた学術的基盤となりました。
1877年 アサフ・ホール 火星 ダイモス
1953年

ソビエト連邦が、"初の水爆実験"(RDS 6)を実施。

1953年8月12日、ソ連はカザフスタンのセミパラチンスクで初の水素爆弾実験(RDS-6)を実施し、アメリカに続き第二の水爆保有国となりました。
RDS-6はアンドレイ・ザハロフらソ連の科学者チームが開発した熱核兵器で、その爆発は約400キロトンの威力を持つと言われています。1953年8月12日、セミパラチンスク試験場で行われたこの実験は、核兵器開発競争におけるソ連の技術的飛躍を象徴しました。アメリカの初水爆実験(アイビー・マイク)から約4年後の成果であり、冷戦下の軍拡競争を一層激化させました。実験は地上で行われ、放射性降下物や環境への影響も問題視されるようになりました。
1953年 ソビエト連邦 水爆 実験 RDS-6
1960年

世界初の通信衛星「エコー1A号」が打ち上げ。

1960年8月12日、アメリカが世界初の通信実験衛星「エコー1A号」を打ち上げ、衛星通信の実用化に道を開きました。
エコー1A号は直径約30.5メートルの薄膜バルーン型受動衛星で、地上局から送信された電波を大気圏外で反射し、再び地上へと返す仕組みでした。ケープカナベラル空軍基地からサターンI型ロケットで打ち上げられ、約2週間にわたり通信実験を成功させました。この実験は衛星を中継器として利用する概念を実証し、後のアクティブ衛星通信システムの開発へとつながりました。
1960年 通信衛星 エコー1A号
1962年

ソ連で有人宇宙船「ボストーク4号」打上げ。前日に打上げられた「ボストーク3号」とのランデブーを試み、数kmの距離まで接近。

1962年8月12日、ソ連が有人宇宙船ボストーク4号を打ち上げ、前日のボストーク3号とのドッキング(ランデブー)を試みました。
ボストーク4号にはパヴェル・ポポヴィッチが搭乗し、ボストーク3号のアンドリアン・ニコラエフとほぼ同時期に軌道投入されました。二機は最高で約6.5kmまで接近飛行し、宇宙空間での複数宇宙船運用の可能性を示しました。両機はそれぞれ数日間の飛行を行い、地上との通信や生命維持装置の性能を検証しました。この任務は初の多機打ち上げ有人飛行として、後のドッキング技術開発に貴重なデータを提供しました。
1962年 ボストーク4号 ボストーク3号 ランデブー
1977年

アメリカでスペースシャトルの実験機「エンタープライズ」の単独飛行に成功。

1977年8月12日、スペースシャトル試験機「エンタープライズ」が初の単独滑空飛行に成功しました。
1977年8月12日、アメリカ航空宇宙局(NASA)のスペースシャトル実験機「エンタープライズ」が初の単独滑空飛行(GLF-1)に成功しました。 エンタープライズはボーイング747を母機とする接合飛行試験に続き、大気中での自由飛行性能を確認しました。 パイロットはジョン・ヤングらが務め、シャトルの着陸特性や操縦系統の検証を行いました。 この実験は後の軌道投入型シャトル開発に不可欠なデータを提供しました。 スペースシャトル計画の実用化に向けた重要なマイルストーンとなりました。
スペースシャトル エンタープライズ 単独飛行
1981年

IBMが最初のパーソナルコンピュータIBM Personal Computer 5150を発売。現在のPC/AT互換機の元祖。

1981年8月12日、IBMがIBM Personal Computer 5150を発売し、パソコン市場に革命が起きました。
1981年8月12日、IBMがIBM Personal Computer 5150を発売し、パーソナルコンピュータ市場に革命をもたらしました。 Intel 8088プロセッサを搭載し、MicrosoftのMS-DOSを基本OSとして採用しました。 オープンアーキテクチャを実現し、互換機ビジネスの基盤を築いたことが大きな特徴です。 高い拡張性とソフトウェアエコシステムの形成により、ビジネスや家庭用途で急速に普及しました。 現在のPC/AT互換機の原型となり、パソコン業界の標準仕様を決定づけました。
1981年 IBM IBM Personal Computer 5150 PC/AT互換機