寛政11年7月12日

人形浄瑠璃『絵本太功記』が大坂豊竹座で初演。

大坂豊竹座で人形浄瑠璃『絵本太功記』が初演され、文楽の名作が誕生した文化史的イベント。
1799年8月12日(寛政11年)、大阪の豊竹座において人形浄瑠璃(文楽)の演目『絵本太功記』が初めて上演されました。本作は近松門左衛門らによって脚本化され、豊竹座の観客を魅了する大作となります。豊臣秀吉の出世物語を題材にした劇は、緻密な語りと人形遣いの技術が高く評価され、以後の文楽上演の定番演目となりました。『絵本太功記』は後の歌舞伎にも取り入れられ、江戸時代後期の演劇文化に大きな影響を与えました。現在も多くの劇場で上演され続ける名作です。
1799年 寛政 7月12日 絵本太功記
1893年

文部省が訓令「小学校儀式唱歌用歌詞並楽譜」を布告。「君が代」など8曲を祝日・大祭日の唱歌と定める。

小学校の公式行事で歌う唱歌として「君が代」を含む8曲を文部省が定める訓令を発布しました。
1893年8月12日、当時の文部省は「小学校儀式唱歌用歌詞並楽譜」を布告し、学校行事における公式唱歌として8曲を指定しました。その中には国家儀礼として「君が代」や四季を題材にした楽曲が含まれ、児童への愛国心や道徳教育の一環と位置づけられました。この訓令は明治期の近代教育制度整備の一環であり、音楽教育を通じて国家意識を醸成する狙いがありました。戦前期の教育政策において音楽を通じた国民統合を図る意図も反映していました。この動きは後の学校音楽教育にも影響を与えました。
1893年 文部省 君が代