紀元前30年

クレオパトラ7世フィロパトル

プトレマイオス朝最後の女王

プトレマイオス朝最後の女王
プトレマイオス朝最後の女王として古代エジプトを統治した。 ローマの政治家、カエサルやアントニウスとの関係でも有名。
紀元前69年頃生まれ、エジプト中王国を支えた名門プトレマイオス朝の最終支配者。 紀元前51年に共同統治者として即位し、その後単独統治を行った。 ローマの独裁者ジュリアス・シーザーとの同盟と愛人関係により政治的影響力を強化。 さらにマルクス・アントニウスとの連携でローマ内戦に深く関与し、地中海世界の覇権を争った。 言語に堪能で、外交や内政、海軍力増強を推進した優れた統治者と評価される。 紀元前30年、アントニウスの敗北後に自害したと伝えられ、その死は古代ローマ世界を震撼させた。 その悲劇的な最期と華麗な生涯は後世の文学や芸術に大きな影響を与えた。
紀元前30年 クレオパトラ7世フィロパトル プトレマイオス朝
建武2年7月23日

護良親王

(1308 - 1335)

後醍醐天皇の皇子、征夷大将軍

後醍醐天皇の皇子 征夷大将軍
後醍醐天皇の皇子として生まれ、武勇と政治手腕を兼ね備えた。 征夷大将軍として建武政権を支えた。
1308年に誕生し、後醍醐天皇の弟として皇族に迎えられた。 建武2年(1335年)に足利尊氏らの反乱鎮圧のため征夷大将軍に任じられる。 母方の影響で足利氏討伐に熱意を示し、鎌倉幕府再興を目指した。 しかし足利尊氏との対立が深まり、信西らに幽閉される悲劇に見舞われる。 最期は幽閉先で非業の死を遂げ、その忠誠心は後世に伝えられている。 新政期の混乱と武士の忠義を象徴する人物として歴史に名を残す。
1335年 建武 7月23日 護良親王 後醍醐天皇 征夷大将軍 1308年
1484年

シクストゥス4世

(1414 - 1484)

第212代ローマ教皇

第212代ローマ教皇
第212代ローマ教皇として在位し、教会の財政再建と建築事業を推進した。 バチカン図書館の前身となる文書館を創設。
1414年イタリアで生まれ、本名フランチェスコ・デル・モンテに由来。 1471年に教皇に選出され、当時の教皇権威の回復と教会施設の改修を主導。 ローマの城壁再建や大規模な公共事業を行い、失われていた都市の安全と美観を回復。 人文主義を重んじ、古典文献の収集・研究を奨励して図書館の基礎を築いた。 美術や建築にも理解が深く、多くの宗教画や彫刻の制作を支援。 贈り物として大理石や宝石を贈るなど、豪華な教皇像を演出した一方、贈収賄の疑惑もあった。
1484年 シクストゥス4世 ローマ教皇 1414年
1580年

ルカ・ロンギ

(1507 - 1580)

画家

画家
ルネサンス末期からマニエリスム期にかけて活躍したイタリアの画家。 宗教画を中心に多くの作品を残す。
1507年頃にイタリアのレーグナーノで生まれるとされるが、詳細は不明。 ローマやフェラーラなどで制作活動を行い、クラシカルな構図と緻密な描写を特徴とする。 聖母子や聖人伝を題材とした祭壇画を多く手がけ、地方教会の依頼を受けて作品を制作。 マニエリスムの影響を受けた柔らかな色調と優雅な人物表現が評価された。 作品の多くは現在もイタリア国内の教会や美術館で所蔵されている。 画家としての詳細な活動履歴や死因には不明点が多いが、宗教画の名手として知られる。
1580年 ルカ・ロンギ 1507年
1588年

アルフォンソ・フェッラボスコ1世

(1543 - 1588)

作曲家

作曲家
ルネサンス期に活躍したイタリア生まれの作曲家。 イングランド宮廷音楽に大きな影響を与えた。
1543年頃にイタリアで生まれ、後にイングランドに渡って宮廷歌手兼作曲家として活動。 ヴィオールのためのソロ曲やマドリガルなど、当時の宮廷音楽の発展に寄与。 繊細なメロディと対位法を駆使した作品はイングランドの作曲家にも影響を与えた。 エリザベス朝の宮廷で高い評価を受け、女王エリザベス1世にも重用された。 イタリアとイギリス両国の音楽文化を橋渡しする存在として知られる。 1588年にロンドンで没し、その音楽は後世のルネサンス音楽研究でも重要視される。
1588年 アルフォンソ・フェッラボスコ1世 作曲家 1543年
1612年

ジョヴァンニ・ガブリエーリ

作曲家

作曲家
ルネサンス末期からバロック初期にかけて活躍したイタリアの作曲家。 ヴェネツィア楽派の中心人物として多声コーラスを革新。
1554年または1557年頃にイタリア・ヴェローナ近郊で生まれる。 ヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂楽長に就任し、多声合唱と器楽を組み合わせた音楽を発展。 コレギウム・ムジクムやコルティーナによる三重コーラス技法を確立。 教会音楽はもちろん、祝典音楽や宮廷音楽にも多彩な作品を残した。 華やかな対向配置による演奏効果はバロック音楽に大きな影響を与えた。 1612年にヴェネツィアで没し、後世の作曲家に多大なインスピレーションを与え続ける。
1612年 ジョヴァンニ・ガブリエーリ 1554年 1557年
1633年

ヤコポ・ペーリ

(1561 - 1633)

作曲家

作曲家
バロック初期に活躍したイタリアの作曲家。 史上最古級のオペラ『エウリディーチェ』を手がけた。
1561年フィレンツェで生まれ、メディチ家の庇護を受けて育つ。 1598年、ステファノ・ダリオと共同でオペラ『エウリディーチェ』を作曲し、初期オペラの基礎を築く。 解放唱法やモノディなど、初期バロック音楽の新技法を取り入れた革新的な作品を制作。 主に宗教曲や器楽曲も手がけ、当時の音楽シーンに大きな影響を与えた。 晩年はローマで活動し、1633年に没するまで実験的な音楽制作を続けた。 メディチ家の音楽アカデミーでの教育活動も行い、後進の育成に尽力した。
1633年 ヤコポ・ペーリ 1561年
1648年

イブラヒム

(1615 - 1648)

第18代オスマン帝国スルタン

第18代オスマン帝国スルタン
第18代オスマン帝国スルタンとして統治を行った。 贅沢と放蕩に耽り、『狂帝』の異名で知られる。
1615年に父ムラト4世の子として生まれる。 1640年にスルタンに即位し、宮廷での贅沢と公共事業を同時に推進。 愛妾ヘジュルと共に享楽的な宮廷生活を送り、その浪費ぶりから『狂帝イブラヒム』と呼ばれた。 ナイル川デルタの灌漑事業やエジプト要塞の再建など、大規模な建築事業に着手。 しかし財政逼迫と宮廷内の反乱により同年7月に退位させられ、幽閉中に殺害された。 その豪奢な浪費と公共事業の両面性は歴史家の間で論争の対象となっている。
1648年 イブラヒム オスマン帝国 スルタン 1615年
1674年

フィリップ・ド・シャンパーニュ

(1602 - 1674)

画家

画家
フランドル出身でフランス宮廷画家となったバロック期の画家。 厳格な写実表現と宗教画で高い評価を得た。
1602年にフランドル地方で生まれ、若いうちに画家としての修業を積む。 1632年頃にパリに移住し、ルイ13世や権力者の肖像画を手がけて名声を得る。 『無原罪の御宿り』や『ジャンヌ・ド・アルクの火刑』など、宗教的主題の重厚な作品を多数制作。 厳格かつ緻密な写実を重視し、独特の明暗法を駆使した画風が特徴。 ジュリー・デュ・ピュイらのカトリック改革主義者とも交流し、宗教情熱を表現。 1680年にフランスで没し、その深い信仰と技術は後世の画家に影響を与え続けた。
1674年 フィリップ・ド・シャンパーニュ 画家 1602年
1689年

インノケンティウス11世

(1611 - 1689)

第240代ローマ教皇

第240代ローマ教皇
第240代ローマ教皇として在位し、教会の財政健全化と改革を推進。 フランス王権との対立で教権擁護の姿勢を貫いた。
1611年にマルケ州で生まれ、本名はオッタヴィオ・デル・ラゴティとされる。 1676年に教皇に選出され、バチカンの財政再建や聖職者の倫理改革を推進。 無駄な支出を削減し、自らも質素な生活を送りつつ教会行政の近代化を図った。 フランス王ルイ14世との教皇権を巡る対立において妥協せず、教会の独立性を擁護。 1684年の聖聯合結成を支持し、オスマン帝国の侵攻を阻止する一助となった。 1689年にローマで死去し、清貧と改革を重んじた教皇として後世に伝えられる。
1689年 インノケンティウス11世 1611年
康煕34年7月3日

黄宗羲

(1610 - 1695)

儒学者

儒学者
明末清初の儒学者・思想家で、儒学の伝統を批判的に見直し、新たな政治思想を提唱した。代表作『明儒学案』で知られる。
1610年に浙江省紹興で生まれ、明王朝崩壊後の混乱期を生き抜いた。国家の専制を批判し、地方自治や民権思想を提唱した。代表作『明儒学案』では諸家の学説を整理し、儒学史を体系化した。また史学者として『日本外交伝』を著し、日本との交流史を記録。その合理的・批判的な思考は後の中国近代化運動に大きな影響を与えた。
1695年 康煕 7月3日 黄宗羲 儒学者 1610年
1750年

ラッヘル・ライス

(1664 - 1750)

画家

画家
オランダのバロック期を代表する女性画家で、花や静物画を緻密に描いた。
1664年にオランダで生まれ、バロック期の静物画壇に登場した。花を鮮やかかつ繊細に表現し、貴族や富裕層に愛好された。独自の構図と色彩感覚で男性画家に匹敵する評価を得、長いキャリアを通じて高い人気を維持した。王侯貴族や教会から多数の注文を受け、幅広い作品を残した。1750年の死後もその作品は美術史において重要な位置を占めている。
1750年 ラッヘル・ライス 1664年