1909年

クライド・ラインのアラパホ号がハッテラス岬沖で世界初の遭難信号「SOS」を発信し、救助される。

アラパホ号が世界初のSOS遭難信号を発信し、無事に救助された日です。航海無線の歴史的瞬間となりました。
1909年8月11日、クライド・ラインの貨客船アラパホ号がハッテラス岬沖で難破し、世界初のSOS信号を発信しました。 それまで主流だった遭難信号「CQD」を超える新たな国際符号として採用されました。 信号は無線通信士ヘンリー・スター・キーにより送信され、沿岸警備隊が迅速に救助に向かいました。 乗組員は全員無事に救出され、SOSの有効性が証明されました。 以後、SOSは国際海事局で正式な遭難信号として定着しました。
1909年 クライド・ライン ハッテラス岬 遭難信号 SOS
1933年

ソビエト連邦でT 35重戦車が制式化。

ソビエト連邦でT-35重戦車が制式化され、多砲塔戦車の代表例となりました。
1933年8月11日、ソビエト連邦はT-35重戦車を正式に採用しました。 T-35は複数の砲塔を備えたマルチタレット方式を特徴とし、大戦車としての威圧感を重視した設計でした。 総重量は約45トンに達し、歩兵支援や要塞攻撃を目的として配備されました。 しかし高コストと整備の難しさから生産台数は限られ、実戦での運用にも課題が残りました。 その後の戦車開発史において、多砲塔戦車のコンセプトは見直されるきっかけとなりました。
1933年 ソビエト連邦 T-35重戦車
1942年

女優ヘディ・ラマーと作曲家ジョージ・アンタイルが、後に携帯電話や無線LANなどに応用されることになる周波数ホッピングスペクトラム拡散の特許を米国で取得。

ヘディ・ラマーとジョージ・アンタイルが周波数ホッピング特許を取得し、通信技術の基礎を築きました。
1942年8月11日、女優ヘディ・ラマーと作曲家ジョージ・アンタイルは周波数ホッピングスペクトラム拡散の特許を米国で取得しました。 この技術は当初、敵の通信を妨害する軍事用途を想定して開発されました。 複数の周波数を高速で切り替えることで、盗聴や妨害に強い通信方式を実現します。 後に携帯電話やWi-Fiなど現代の無線通信技術の基礎となり、無線ネットワークの安全性向上に寄与しました。 ヘディ・ラマーは戦後、その工学的貢献が評価され、「無線通信の母」として称えられています。
1942年 ヘディ・ラマー ジョージ・アンタイル 携帯電話 無線LAN 周波数ホッピングスペクトラム拡散
1981年

日本の静止気象衛星「ひまわり2号」打上げ。

1981年8月11日、静止気象衛星『ひまわり2号』が鹿児島県種子島宇宙センターから打ち上げられた。
1981年8月11日、鹿児島県種子島宇宙センターからN-IIロケットにより静止気象衛星『ひまわり2号』が打ち上げられました。 『ひまわり2号』はアジア・太平洋地域の気象観測を目的に設計され、リアルタイムでの気象画像提供能力を向上させました。 特に台風などの大型気象現象を監視できる能力が強化され、気象庁の警報・予報精度向上に貢献しました。 衛星は打ち上げ後も高い信頼性を保ち、約10年間にわたり運用が行われました。 『ひまわり2号』の成功は日本の宇宙技術力を象徴する一大成果となりました。
1981年 気象衛星 ひまわり2号
1989年

潜水調査船「しんかい6500」が宮城県沖での試験潜航で、設計上の最大潜航深度6,527メートルの海底に到達。

1989年、潜水調査船「しんかい6500」が宮城県沖で設計深度6,527メートルに到達し、有人潜水調査の世界記録を更新しました。
しんかい6500は海洋研究開発機構(JAMSTEC)が開発した最大深度6,500メートルの有人深海潜水調査船です。1989年8月11日の試験潜航で設計上の最大潜航深度6,527メートルに到達し、当時の世界記録を更新しました。この成果はマリアナ海溝などの最深部調査を可能にし、深海生物や地質構造の研究に大きく貢献しました。耐圧殻には特殊合金が用いられ、乗員3名が安全に深海を探索できる設計となっています。その後もしんかい6500は定期的に潜航を続け、深海科学の発展に寄与しています。
1989年 しんかい6500