1675年
イギリス、ロンドンでグリニッジ天文台が着工される。
グリニッジ天文台の工事がロンドンで開始され、近代天文学の拠点が誕生しました。
1675年8月10日、イングランド王チャールズ2世の命によりロンドンのグリニッジ丘でグリニッジ天文台の建設が始まりました。
この天文台はジョン・フラムスティードを初代王立天文学者に迎え、正確な星表作成と航海用経度測定の研究を行いました。
後にグリニッジ子午線が設定され、世界測地系の基準線として採用されました。
天文台の観測データは海洋航行の安全を高め、地図作製や天文学の発展に大きく寄与しました。
グリニッジ天文台は現在も研究と観光の拠点として世界中から訪問者を集めています。
1675年
イギリス
ロンドン
グリニッジ天文台
1846年
アメリカ合衆国大統領ジェームズ・ポークがスミソニアン研究所を設立する法案に署名する。
ポーク大統領がスミソニアン研究所設立法に署名し、国立研究機関の礎を築いた日。
1846年8月10日、ジェームズ・K・ポーク大統領はスミソニアン研究所設立法に署名しました。
この研究所はアメリカの国立博物館・研究機関として科学と文化の振興を目的としています。
設立当初はワシントンDCのキャピトルヒルに収蔵庫を設けました。
自然史博物館や航空宇宙博物館、美術館など多岐にわたる施設網を形成しました。
スミソニアン機関群は国際的に高く評価され、米国の科学技術・文化発展に大きく寄与しています。
今日では年間3000万人以上が訪れる世界最大級の博物館グループとなっています。
1846年
アメリカ合衆国大統領
ジェームズ・ポーク
スミソニアン研究所
1915年
日本にて、田熊常吉が日本初の国産ボイラー「タクマ式ボイラ」の特許を出願。
1915年8月10日、田熊常吉が国産ボイラー「タクマ式ボイラ」の特許を出願し、日本の産業技術に新たな一歩を刻みました。
1915年8月10日、田熊常吉が国産ボイラー「タクマ式ボイラ」の特許を出願しました。
従来は外国製が主流だったボイラーの国産化に成功した画期的な技術です。
このボイラは効率的な燃焼と安全性を両立し、日本の重工業発展に貢献しました。
特許取得後、タクマ式ボイラは各種産業施設や船舶に広く採用されました。
日本の製造技術の底上げを象徴する発明品として評価されています。
1915年
ボイラー
特許
1921年
フランクリン・ルーズベルトがカナダ・カンポベロ島の別荘でポリオを発症し、のちの生涯で下半身を不自由にする。
On August 10, 1921, Franklin D. Roosevelt contracted polio at his Campobello Island cottage, an illness that left him paralyzed from the waist down.
While vacationing at his family’s summer home on Campobello Island, New Brunswick, Franklin D. Roosevelt developed a fever and severe muscle weakness. Doctors diagnosed him with poliomyelitis, a crippling disease that was poorly understood at the time. Over the following months, Roosevelt underwent extensive physical therapy, but he never fully regained use of his legs. Despite his paralysis, he remained determined to pursue a public life. The experience shaped his empathy for the disabled and influenced his later New Deal social policies. Roosevelt’s ability to lead with dignity inspired many and remains a defining aspect of his legacy.
1921年
フランクリン・ルーズベルト
カナダ
カンポベロ島
ポリオ
1956年
東海村で日本原子力研究所東海研究所が起工。
1956年、東海村にて日本原子力研究所東海研究所の起工式が行われ、正式な建設が始まりました。日本の原子力研究を本格化させる重要な一歩となった出来事です。
1956年8月10日、日本初の大規模原子力研究施設となる日本原子力研究所東海研究所が東海村で起工式を迎えました。
戦後のエネルギー政策の一環として設立が計画され、原子力発電や基礎研究など幅広い研究を担う拠点と位置づけられました。
施設は研究炉を中心に、各種実験装置や研究室が整備され、理論・実験の両面での原子力研究を推進しました。
この起工により、本格的な研究ラインが確立され、日本の原子力技術発展に大きく貢献しました。
後の東海村JAEAへの発展など、長年にわたり国内外の研究拠点として機能し続けています。
1956年
東海村
日本原子力研究所
1990年
アメリカ合衆国の惑星探査機「マゼラン」が金星軌道上に到達。
1990年8月10日、NASAの惑星探査機「マゼラン」が金星軌道に到達し、高精度レーダー観測を開始した。
NASAが1989年5月4日に打ち上げた惑星探査機「マゼラン」は1990年8月10日に金星の周回軌道へ投入されました。全天周型レーダー探査システムを搭載し、これまで不明だった金星の地形や火山活動を詳細にマッピング。1992年までに約98%の表面データを取得して金星の山脈や火山丘、トレンチ構造の存在を明らかにしました。その成果は惑星科学に大きな影響を与え、後続の探査機計画にも貴重な知見を提供しました。
1990年
惑星探査機
マゼラン
金星
1992年
韓国初の人工衛星「KITSAT A」打上げ。
1992年8月10日、韓国初の人工衛星「KITSAT A」が打ち上げられ、国産宇宙開発への一歩を踏み出しました。
韓国科学技術研究院(KAIST)が主導したプロジェクトである「KITSAT A」は、1992年8月10日に米カリフォルニア州バンデンバーグ空軍基地からデルタロケットで打ち上げられました。重量約45kgの小型衛星で、地球観測や通信実験などを目的としています。これが韓国初の軌道衛星となり、宇宙技術分野での自立を象徴。後続機の開発や教育用途への展開を促し、韓国の宇宙開発史における重要なマイルストーンとなりました。
1992年
韓国
人工衛星
KITSAT-A
2003年
人類史上初の宇宙での結婚式 :国際宇宙ステーションに滞在中のロシアの宇宙飛行士ユーリ・マレンチェンコが、地上にいる婚約者と衛星通信を通じて行う。
2003年8月10日、国際宇宙ステーション滞在中のロシア人宇宙飛行士ユーリ・マレンチェンコが地上の婚約者と結婚式を挙げ、人類初の宇宙婚を実現しました。
ソユーズTMA-3ミッションでISSに滞在していたユーリ・マレンチェンコは、地上の婚約者エカテリーナ・ドミトリエワと衛星通信を介して公式な結婚式を実施しました。儀式はロシアの法律に基づき有効と認められ、人類史上初の「宇宙での結婚式」として登録。宇宙での生活環境下での個人的イベントという新たな可能性を示し、宇宙利用や通信技術の進歩を象徴する出来事となりました。
結婚式
国際宇宙ステーション
ロシア
ユーリ・マレンチェンコ