1908年

ウィルバー・ライトがフランス・ル・マンの競馬場で初の公開飛行を行う。

1908年8月8日、ウィルバー・ライトがフランス・ル・マン競馬場で初の公開飛行を成功させ、航空技術を実演した。
1908年8月8日、ライト兄弟のウィルバー・ライトはフランス・ル・マンの競馬場で公開飛行を行った。 飛行機『ライトフライヤー』を用いて複数回の飛行デモンストレーションを実施し、最長飛行時間は数分に及んだ。 この実演はフランス政府や観衆の大きな注目を集め、航空機の商業化・実用化への期待を高めた。 その後もライト兄弟は欧州各地で公開飛行を続け、20世紀の航空産業発展に不可欠な基盤を築いた。
1908年 ウィルバー・ライト フランス ル・マン
1929年

ドイツの飛行船LZ 127(ツェッペリン伯号)が世界一周飛行を開始

1929年8月8日、ドイツの飛行船LZ127ツェッペリン伯号が世界一周飛行を開始し、長距離航行の可能性を切り開きました。
1929年8月8日、LZ127ツェッペリン伯号がドイツ・フリードリヒスハーフェンを出発し、世界一周飛行に挑戦しました。飛行船には乗員・郵便物・貨物が搭載され、約3万4千キロの航路を予定していました。ヨーロッパ、アフリカ、北米、アジアなどを経由する壮大な旅程は航空技術の限界に挑むものとして注目を集めました。この航行は飛行船の実用性を示し、郵便輸送や旅客定期便の可能性を示唆しました。技術者や一般市民に大きな関心を呼び、飛行船黄金時代の幕開けとなりました。
1929年 LZ 127 世界一周飛行
1940年

戦艦大和が呉海軍工廠にて進水

1940年8月8日、戦艦大和が呉海軍工廠で進水し、当時世界最大級の排水量を誇る巨艦が誕生しました。
1940年8月8日、日本海軍の最新鋭戦艦「大和」が呉海軍工廠で進水しました。全長約263メートル、排水量72,800トンで当時世界最大級の戦艦とされました。主砲46センチ三連装砲を搭載し、圧倒的な火力を誇る設計が特徴です。進水式には海軍関係者や市民が多数詰めかけ、その威容を称えました。大和は後に太平洋戦争で数々の戦闘に参加し、日本海軍の象徴的存在となりました。造船技術の粋を集めた巨艦として、軍事史や技術史においても高く評価されています。
1940年 戦艦大和 呉海軍工廠
1946年

戦略爆撃機B 36が初飛行。

1946年8月8日、アメリカ空軍の大型戦略爆撃機B-36が初飛行を成功させました。
B-36は第二次世界大戦後に開発されたアメリカ初の大陸間戦略爆撃機です。 1946年8月8日にワシントン州シアトルで初飛行を行い、当時としては最大級の機体と優れた航続距離を示しました。 主エンジン6基と補助ジェットエンジン4基を搭載し、最大爆弾搭載量や飛行性能が注目されました。 冷戦初期には核兵器搭載プラットフォームとして配備され、ソ連を牽制する抑止力となりました。 1959年まで運用され、その後の長距離爆撃機開発に大きな影響を与えました。
1946年 戦略爆撃機 B-36
1953年

ソ連のゲオルギー・マレンコフ首相がソ連の水爆保有を公表。

1953年8月8日、ソ連のマレンコフ首相が同国の水素爆弾保有を公式に発表しました。
1953年8月8日、ソ連のマレンコフ首相は同国が水素爆弾を保有したと公式に発表しました。 この発表により、冷戦下の核軍備競争はさらに激化しました。 ソ連は詳細を明かさなかったものの、水爆保有の事実は世界に衝撃を与えました。 この声明は国内外に対する示威として位置付けられ、国際政治の緊張を一層高める要因となりました。 以降、核兵器開発の速度は両陣営で加速し、軍拡競争は頂点へと向かいました。
1953年 ゲオルギー・マレンコフ 水爆
1968年

和田寿郎の執刀によって日本初の心臓移植手術が行なわれる。(和田心臓移植事件)

1968年8月8日、和田寿郎医師が日本初の心臓移植手術を実施し、医療史に新たな一歩を記録した。
手術は東京都内の病院で行われ、ドナー臓器の同定や拒絶反応抑制が課題となった。 主治医の和田寿郎は臓器移植技術の導入に挑戦し、医学界から賛否両論を呼んだ。 当時の技術では免疫抑制剤の効果が限定的だったため、術後管理は非常に困難であった。 この事件は「和田心臓移植事件」と呼ばれ、倫理面や法制度の整備の必要性を浮き彫りにした。 結果的に長期生存には至らなかったが、日本の移植医療の発展に大きな影響を与えた。 後の法整備や技術革新につながる契機となった。
1968年 和田寿郎 心臓 移植 手術 和田心臓移植事件
1995年

飛行船型低層巡航リモートセンシングシステムが初飛行。戦後初の日本製飛行船の有人飛行となる。

1995年8月8日、戦後初の日本製有人飛行船「飛行船型低層巡航リモートセンシングシステム」が初飛行を成功させた。
この飛行船は地上数百メートルを低高度で巡航し、リモートセンシングによる地形観測を目的とする。 全長約70mの機体には高性能センサーが搭載され、環境モニタリングや災害調査への応用が期待された。 1995年の初飛行は日本の航空技術とセンシング技術の結合を示す重要なマイルストーンとなった。 有人での飛行成功は戦後日本の航空事業再開に向けた一歩となり、研究開発を加速させた。 以後、小型航空プラットフォームとしての飛行船研究が活発化した。
1995年 飛行船型低層巡航リモートセンシングシステム