869年

ロタール2世

(835 - 869)

ロタリンギア王

ロタリンギア王
ロタール2世は中世ヨーロッパのロタリンギア王国を治めた王です。
ロタール2世はカロリング朝の王族に生まれ、東フランク王ルートヴィヒ1世の孫としてロタリンギア王国を治めました。彼の治世は帝国分割と領土争いが特徴で、メルセン条約で領土を巡る協議を行いました。ロタリンギア王国は今日のオランダからドイツ西部にまたがる地域です。彼は政治力を駆使し、王権の安定化を図りました。相続問題や諸侯との抗争を背景にした治世で知られています。869年、狩猟中の事故が原因とされる突然の死を迎えました。
869年 ロタール2世 ロタリンギア王 835年
1553年

ジローラモ・フラカストロ

(1478 - 1553)

科学者

科学者
イタリアの医学者・詩人で、梅毒の命名者として知られる。
ジローラモ・フラカストロはイタリア・パドヴァで活躍したルネサンス期の医学者です。彼は詩『Syphilis』で病名「梅毒」を初めて使用しました。また、感染症の伝播に関する先駆的研究を行い、病原体が媒介物を介して拡散する説(fomes説)を提唱しました。彼の業績は近代疫学の基礎となり、公衆衛生の発展に大きく寄与しました。多才な学者として詩や医学書を著し、その影響はヨーロッパ全域に広がりました。
1553年 ジローラモ・フラカストロ 科学者 1478年
元禄6年7月7日

池田光仲

(1630 - 1693)

初代鳥取藩主

初代鳥取藩主
江戸時代前期の鳥取藩初代藩主として領国経営に尽力した大名。
池田光仲は江戸時代前期の大名で、鳥取藩初代藩主として藩政基盤の確立に努めました。転封後の領地開発や治水・農地改革を推進し、財政の安定化に貢献しました。特に用水路の整備や新田開発を積極的に行い、年貢収入の増加を図りました。幕府との関係を良好に保ちながら、地域社会の発展に寄与しました。1693年に没するまで約半世紀にわたり領国の指導を担いました。
1693年 元禄 7月7日 池田光仲 鳥取藩主 1630年
元文元年7月2日

荷田春満

(1669 - 1736)

国学者

国学者
江戸時代前期から中期に活躍した国学の先駆者。
荷田春満は江戸時代の国学者で、日本古典の研究を通じて国学の基礎を築きました。特に『和名抄』や『古事記』などの古典資料を体系的に整理し、国語学や歴史学の発展に寄与しました。京都を拠点に活動し、多くの門人を育成しました。また、漢学にも通じており、漢籍の研究も行いました。彼の功績は後の本居宣長らに大きな影響を与え、国学の隆盛を支えました。
1736年 元文 7月2日 荷田春満 国学者 1669年
1746年

フランシス・ハッチソン

(1694 - 1746)

哲学者

哲学者
アイルランド生まれでスコットランド啓蒙思想に大きな影響を与えた哲学者。
フランシス・ハッチソンは1694年にアイルランドに生まれ、後にグラスゴー大学で教鞭を執りました。彼は人間に備わる「道徳感覚(moral sense)」の存在を主張し、功利主義に先駆ける理論を展開しました。著書『美と徳の観念の起源に関する探究』では、美的判断と倫理的判断の関係を論じました。その思想は後のアダム・スミスやデイヴィッド・ヒュームらに大きな影響を与え、スコットランド啓蒙運動を推進しました。1746年に生涯を閉じるまで、教育者としても多くの人材を育てました。
1746年 フランシス・ハッチソン 哲学者 1694年
1759年

カール・ハインリヒ・グラウン

(1704 - 1759)

作曲家

作曲家
ドイツ出身の作曲家で、プロイセン宮廷音楽を指導した。
カール・ハインリヒ・グラウンは1704年にドイツで生まれた作曲家・声楽家で、フリードリヒ2世(大王)の宮廷楽長を務めました。彼はイタリア・オペラの手法を取り入れた作品を多く手がけ、『チェーザレとクレオパトラ』『モンテズマ』などが評価されました。声楽の才能も持ち、バス歌手としても活躍しました。宮廷音楽を通じてプロイセンの文化的地位向上に寄与し、ドイツ・オペラの発展に影響を与えました。1759年に没し、その後も弟ヨハン・ゴットリープ・グラウンとともに評価され続けました。
1759年 カール・ハインリヒ・グラウン 作曲家 1704年
1788年

ルイ・フランソワ・アルマン・ド・ヴィニュロー・デュ・プレシ

(1696 - 1788)

フランスの元帥

フランスの元帥
フランス王立軍の元帥として長く軍事に従事した人物。
ルイ・フランソワ・アルマン・ド・ヴィニュロー・デュ・プレシは1696年に生まれ、リシュリュー公爵家の一員として育ちました。スペイン継承戦争やオーストリア継承戦争など多くの戦役に参戦し、功績を重ねてフランス元帥に任ぜられました。優れた戦略眼と指揮能力で知られ、軍制改革にも関与しました。宮廷でも高い地位を占め、ルイ15世やルイ16世と交流しました。晩年は外交や政治にも関わり、フランス貴族社会の中心人物として活躍しました。1788年に没するまで、軍人・貴族として一代の栄華を極めました。
1788年 ルイ・フランソワ・アルマン・ド・ヴィニュロー・デュ・プレシ フランス 元帥 1696年
1796年

フランツ・アントン・マウルベルチュ

(1724 - 1796)

画家、彫刻家

画家 彫刻家
オーストリアのロココ期を代表する画家・彫刻家。
フランツ・アントン・マウルベルチュは1724年にオーストリアで生まれ、鮮やかな色彩と動的な構図を特徴とするロココ絵画で知られます。ウィーンや南ドイツの教会や宮殿に数多くのフレスコ画を残し、聖像画や宗教画を得意としました。水彩画やドローイングにも優れ、彫刻や版画にも取り組みました。ヨーロッパ各地で高い評価を受け、弟子たちにも大きな影響を与えました。1796年に亡くなるまで、芸術界の第一線で活躍しました。
1796年 フランツ・アントン・マウルベルチュ 英語版 1724年
享和元年6月29日

細井平洲

(1728 - 1801)

儒学者

儒学者
江戸時代の儒学者・教育者で、藩校改革に尽力した思想家。
細井平洲は1728年に紀州藩に生まれ、実学的な儒学を重視した教育者として知られます。藩校や私塾での指導を通じて、有能な人材育成を目指し、礼儀や道徳教育を重視しました。実践的な学問として数学や地理、農業なども取り入れたカリキュラムを推進しました。著書『平洲語録』などで教えをまとめ、多くの門弟を育成しました。その影響は幕末維新の志士たちにも及び、日本近代化の基礎を築きました。
1801年 享和 6月29日 細井平洲 儒学者 1728年
1827年

ジョージ・カニング

(1770 - 1827)

政治家、イギリス首相

政治家 イギリス首相
イギリスの政治家で短期間首相を務めた外交政策の立役者。
ジョージ・カニングは1770年にロンドンで生まれ、保守党の政治家として活躍しました。外相としてスペイン植民地の独立を支持するなど自由主義的外交を展開し、イギリスの国益拡大に寄与しました。1827年に首相に就任しましたが、就任後わずか119日後に死去し、イギリス史上最も短命の首相となりました。議会での雄弁で知られ、国王ジョージ4世とも密接に協力しました。功利主義的経済政策や自由貿易論者としても知られました。
1827年 ジョージ・カニング イギリス首相 1770年
1828年

カール・ツンベルク

(1743 - 1828)

植物学者

植物学者
スウェーデンの植物学者。リンネの弟子として多くの植物を分類研究した。
1743年にスウェーデンで生まれた植物学者。リンネの門下生として植物分類学を学び、1787年にオランダ東インド会社の医師として日本へ渡航し、長崎で膨大な標本を採取した。南アフリカやアジア各地でも調査を行い、その研究範囲は広い。その成果は著書で発表され、植物地理学の発展に寄与した。1828年にヨーロッパで没し、今日まで多くの標本や業績が評価されている。
1828年 カール・ツンベルク 植物学者 1743年
弘化2年7月6日

徳川斉荘

(1810 - 1845)

第4代田安家当主・第12代尾張藩主

第4代田安家当主・第12代尾張藩主
江戸幕府の譜代大名、尾張藩第12代藩主として藩政改革に取り組んだ。
1810年に徳川家宗家の一つである田安家第4代当主として誕生。1839年に尾張藩第12代藩主となり、藩財政の立て直しや教育制度改革を推進した。在任中は家臣団の統率や領民救済にも力を注いだ。保守的な藩論を維持しつつ、洋学の導入などにも取り組んだ。1845年に若くして没した。
1845年 弘化 7月6日 徳川斉荘 田安家 尾張藩主 1810年