1735年
ゼンガー事件。ニューヨーク植民地総督ウィリアム・コスビーを批判し逮捕されていた新聞出版者ジョン・ピーター・ゼンガーに無罪判決。
1735年8月5日、ジョン・ピーター・ゼンガーの無罪判決が言論の自由の先駆けとなった。
ニューヨーク植民地総督コスビーを批判したことでゼンガーは名誉毀損で起訴されました。
当時の植民地法では政府批判が犯罪とされていました。
弁護士アンドリュー・ハミルトンらの尽力により陪審員は無罪と判断しました。
この判決は植民地における報道の自由を支持する先例となりました。
後のアメリカ合衆国憲法修正第1条の精神に大きな影響を与えました。
1735年
ジョン・ピーター・ゼンガー
1942年
讀賣新聞と報知新聞が合併、『讀賣報知』に改題される。
讀賣新聞と報知新聞が合併し、新たに「讀賣報知」として発行を開始しました。
1942年8月5日、讀賣新聞と報知新聞が合併し、新たに「讀賣報知」として発行を開始しました。
両紙の経営合理化と紙資源の節約が目的とされました。
合併後は全国紙とスポーツ紙の機能を併せ持つ形態に。
終戦後の1946年には再分離され、讀賣新聞と報知新聞(現スポーツ報知)に分かれました。
この動きは戦時下のメディア統制の一環とも位置付けられています。
讀賣新聞
報知新聞
讀賣報知
1944年
防諜を理由に神奈川県、千葉県沿岸の大部分で海水浴を制限。軍事施設周辺は完全遊泳禁止、施設ない場所も学校などの団体に限るものとされた。
戦時中、防諜対策として神奈川・千葉両県沿岸で海水浴が制限されました。
1944年8月5日、防諜対策の一環として神奈川県と千葉県沿岸の海水浴が大幅に制限されました。
軍事施設周辺は完全遊泳禁止とし、その他の海岸も学校などの団体のみ許可。
当時は米軍潜水艦の活動が活発化しており、海岸監視が強化されました。
地元住民や観光業は大きな影響を受け、海水浴客は激減しました。
制限は戦争末期まで継続され、戦後にようやく解除されました。
神奈川県
千葉県
海水浴
1962年
南アフリカ共和国の黒人解放運動指導者ネルソン・マンデラが当局に逮捕。国家反逆罪で終身刑となり、1990年の釈放まで獄中で過ごす。
ネルソン・マンデラが国家反逆罪で逮捕され、27年間に及ぶ獄中生活の始まりとなった日。
1962年8月5日、南アフリカ共和国で黒人解放運動を率いていたネルソン・マンデラが警察に逮捕されました。
当時はアパルトヘイト(人種隔離政策)が厳しく施行され、反体制活動は国家反逆罪とされました。
マンデラはロベン島刑務所などで計27年間服役し、その間も釈放と移送を繰り返されました。
1980年代後半から国際的な解放運動の高まりを受け、1990年にようやく釈放。
その後、彼は和解を訴えるリーダーとして南アフリカ初の黒人大統領に就任しました。
1962年
南アフリカ共和国
黒人
ネルソン・マンデラ
1963年
広島市で第9回原水爆禁止世界大会を開催。社会党・総評系グループが要求する部分的核実験禁止条約の支持に共産党系グループが反発し流会。
広島で開かれた原水爆禁止世界大会で対立が表面化し、流会となった日。
1963年8月5日、広島市で第9回原水爆禁止世界大会が開催されました。
社会党・総評系グループは部分的核実験禁止条約の支持を訴えましたが、共産党系は「不十分」と反発。
両派の意見対立は埋まらず、会議は流会となってしまいました。
大会は被爆地広島から核廃絶を世界に訴える重要な機会と位置づけられていました。
この対立は冷戦下の平和運動の複雑さとイデオロギーの違いを浮き彫りにしました。
原水爆禁止世界大会