317年‐コンスタンティウス2世

ローマ皇帝

ローマ皇帝
ローマ皇帝を務めたコンスタンティウス2世はコンスタンティヌス大帝の三男として生まれた人物です。
317年に生まれ、337年に父コンスタンティヌス1世の死後、共同皇帝として即位しました。東西ローマ帝国の統一と内乱鎮圧に尽力し、アーリア派論争にも深く関与しました。358年には単独皇帝となり、東方国境の防衛を強化しました。政治的安定と宗教政策に取り組みながら、ローマ皇帝として24年にわたり在位しました。361年に現在のシリアで没し、その治世は後世に大きな影響を与えました。
317年 コンスタンティウス2世 ローマ皇帝 361年

1430年‐尋尊

法相宗の僧

法相宗の僧
法相宗の僧として知られる尋尊は、室町時代に仏教思想の研究と教学に注力した人物です。
1430年に生まれ、法相宗の僧侶として仏教理論の深耕に努めました。主要な寺院で教学教育を担い、経典の注釈や講義を行いました。学問と僧侶としての生活を両立させ、信徒への教化に力を注ぎました。1508年に入寂し、その生涯は法相宗の発展に大きく寄与しました。
1430年 尋尊 法相宗 1508年
1509年

エティエンヌ・ドレ

ラテン語学者、翻訳家、出版業者 ※生没同日

ラテン語学者 翻訳家 出版業者 ※生没同日
フランスの人文主義者で、ラテン語学者・翻訳家として知られ、生没が同じ日であるエティエンヌ・ドレです。
1509年に生まれ、オルレアン大学で学んだ後、イタリアやフランス各地で活動しました。古典作品のラテン語訳や出版事業を手がけ、パリで多くの学術書を刊行しました。教会からの異端審問を受けるなど波乱の生涯を送り、明晰な学識と大胆な出版活動で知られました。1546年に異端の罪で告発され、処刑されるまで翻訳・出版に生涯を捧げました。
1509年 エティエンヌ・ドレ ラテン語 翻訳家 1546年 生没同日
1746年

ジェームズ・ワイアット

(1746 - 1813)

建築家

建築家
イギリスの建築家ジェームズ・ワイアットは、18世紀後半から19世紀初頭にかけて活躍し、ジョージアン様式の邸宅を設計しました。
1746年に生まれ、建築家としてイギリス南部で多くの邸宅や教会の設計を手がけました。ネオゴシック様式を取り入れた作品が特徴で、貴族や富裕層の依頼を広く受けました。1813年に没するまで、その優美なデザインは建築史において重要な位置を占めています。
1746年 ジェームズ・ワイアット 建築家 1813年
1770年

フリードリヒ・ヴィルヘルム3世

(1770 - 1840)

プロイセン王

プロイセン王
プロイセン王としてナポレオン戦争期の国家改革を主導したフリードリヒ・ヴィルヘルム3世です。
1770年に生まれ、1797年にプロイセン王として即位しました。ナポレオン戦争での敗北を受け、シュタインやハーデンベルクら改革者を登用し、軍制・行政・教育の近代化を図りました。ライプツィヒの戦いなどでプロイセン復権を果たし、ウィーン会議では列強の一員として国際政治に影響を与えました。1840年に没し、その改革はドイツ統一への礎となりました。
1770年 フリードリヒ・ヴィルヘルム3世 プロイセン 1840年

1779年‐カール・リッター

地理学者

地理学者
ドイツの地理学者カール・リッターは、近代地理学の基礎を築いた学者です。
1779年に生まれ、ベルリン大学教授として教鞭を取りました。地理学を学問として体系化し、『地理学原理』を著して空間分析の概念を提唱しました。ヨーロッパ各地の調査を行い、環境と人間社会の関係を研究しました。この業績により近代地理学の父と称され、19世紀の地理学発展に大きく貢献しました。1859年に逝去しました。
1779年 カール・リッター 地理学者 1859年
天明5年6月29日 旧暦

鷹見泉石

(1785 - 1858)

蘭学者

蘭学者
江戸時代後期の蘭学者鷹見泉石は、西洋医学と蘭学の発展に尽力した人物です。
1785年、現在の長野県で生まれました。杉田玄白らの門人として蘭学を学び、洋書の翻訳や医学書の刊行に携わりました。幕府直轄の講義所で医術を教授し、全国の藩士に西洋医学を普及させました。鷹見家の医業を担いながら、多くの蘭学著作を残し、日本の近代医学の礎を築きました。1858年に没しました。
1785年 天明 6月29日 (旧暦) 鷹見泉石 蘭学者 1858年
1803年

ジョセフ・パクストン

(1803 - 1865)

造園家、建築家

造園家 建築家
イギリスの造園家・建築家ジョセフ・パクストンは、『クリスタル・パレス』を設計した人物です。
1803年に生まれ、チャッツワース邸の庭園監督を務めました。1851年の万国博覧会のために巨大ガラス建築のクリスタル・パレスを設計し、その革新的な空間デザインで注目を集めました。造園と建築の知識を融合し、温室や展示場の設計にも携わりました。後に議会議員として活躍し、騎士にも叙せられました。1865年に亡くなりました。
1803年 ジョセフ・パクストン 造園家 建築家 1865年
1811年

エリシャ・オーチス

(1811 - 1861)

発明家、起業家

発明家 起業家
アメリカの発明家・実業家エリシャ・オーチスは、エレベーターの安全装置を発明した人物です。
1811年に生まれ、1852年にエレベーター落下防止用の安全ブレーキを発明しました。自身の発明を実演展示し、オーチス社を創業。高層建築の普及を技術面で支え、都市の高層化を可能にしました。会社は世界中に展開し、彼の発明は現代のエレベーターにおいても標準技術とされています。1861年に没しました。
1811年 エリシャ・オーチス 発明家 起業家 1861年
天保7年6月21日 旧暦

磯部百鱗

(1836 - 1906)

画家

画家
明治期に活躍した日本画家・磯部百鱗は、伝統技法と洋画技法を融合させた作品で知られます。
1836年に江戸で生まれ、狩野派の流れをくむ伝統的な画法を学びました。のちに洋画技法を取り入れ、風景画や人物画に独自の表現を展開しました。美術展覧会で受賞を重ね、画論や画塾の主宰を通じて後進の育成にも貢献しました。日本画の近代化に寄与し、その芸術活動は明治時代の美術界に大きな影響を与えました。1906年に没しました。
1836年 天保 6月21日 (旧暦) 磯部百鱗 画家 1906年
天保12年6月16日 旧暦

藤田伝三郎

(1841 - 1912)

藤田財閥創立者

藤田財閥創立者
明治期に藤田財閥を創立し、日本の近代産業発展に貢献した実業家。
藤田伝三郎は1841年に生まれ、明治期の実業家として活躍しました。 鉱業や造船業などを中心に事業を展開し、藤田財閥を創立。 藤田財閥は海運業や銀行業などへも進出し、日本の近代産業発展に寄与しました。 経営者として事業拡大を図り、多岐にわたる産業基盤を築きました。 晩年まで財閥経営に携わり、1912年にその生涯を閉じました。
1841年 6月16日 (旧暦) 藤田伝三郎 藤田財閥 1912年
道光23年7月8日 旧暦

尚泰

(1843 - 1901)

琉球国王

琉球国王
琉球王国最後の国王として、王国の歴史的転換期を担った人物。
尚泰は1843年に琉球国王として即位し、国内外の政務を統括しました。 在位中は清朝や薩摩藩との関係調整を行い、文化交流を推進。 1879年の日本による琉球処分により王国は廃止され、尚泰は侯爵として東京に移住。 その後も琉球文化の保存と伝承に尽力し、学術・文化活動を支援しました。 1901年に亡くなるまで、琉球王家の象徴として影響を残しました。
1843年 道光 7月8日 (旧暦) 尚泰 琉球国王 1901年