1932年

カール・デイヴィッド・アンダーソンが、霧箱による宇宙線の軌跡の観測で陽電子を発見。

1932年にアンダーソンが霧箱実験で陽電子を発見した業績。
1932年8月2日、アメリカの物理学者カール・デイヴィッド・アンダーソンは霧箱を用いて宇宙線の観測を行い、電子と同じ質量で正の電荷を持つ陽電子を初めて検出しました。これはポール・ディラックが理論的に予言していた反粒子の実在を実証する画期的な発見です。アンダーソンの実験結果は当時の物理学界に大きな衝撃を与え、反粒子理論の発展を促しました。この功績により1936年にノーベル物理学賞を受賞し、素粒子物理学の新たな時代を切り開きました。陽電子の発見は後の粒子加速器実験や宇宙線研究に大きな影響を与え、現代物理学の基礎となっています。
1932年 カール・デイヴィッド・アンダーソン 霧箱 宇宙線 陽電子
1939年

第二次世界大戦: レオ・シラードらがルーズベルト米大統領に核開発を促すアインシュタインの署名入りの書簡を送る。これがマンハッタン計画のきっかけとなる。

1939年にシラードらがルーズベルト大統領へ書簡を送り、マンハッタン計画が始動。
1939年8月2日、物理学者レオ・シラードらはアインシュタインに協力を依頼し、署名入りの書簡をルーズベルト米大統領に送付しました。この手紙ではナチス・ドイツによる原子核分裂研究の可能性が指摘され、米国での核兵器開発の必要性が説かれました。これを受けて米政府は後にマンハッタン計画を立ち上げ、核兵器開発に巨額の資金と人材を投入します。書簡は科学と政治の交差点に位置する重要な契機となり、第二次世界大戦の終結を左右する新兵器の誕生へと繋がりました。この出来事は核時代の幕開けとも言われています。
1939年 第二次世界大戦 レオ・シラード ルーズベルト 米大統領 アインシュタイン 書簡 マンハッタン計画
1972年

カシオ計算機がパーソナル電卓「カシオミニ」を発売。サイズは当時主流の4分の1、価格は3分の1の1万2,800円を実現し、発売後10カ月で100万台を販売する大ヒットになる。のちにニューヨーク近代美術館(MOMA)の永久所蔵品になり「重要科学技術史資料(未来技術遺産)に選定された。

世界初の小型パーソナル電卓『カシオミニ』を発売。手頃な価格とサイズで大ヒットを記録し、MoMAに永久所蔵。
1972年8月2日、カシオ計算機が世界初の小型パーソナル電卓『カシオミニ』を発売しました。従来機の4分の1サイズ、3分の1以下の価格を実現し、1万2,800円で提供されました。発売から10か月で累計100万台を販売する大ヒットとなりました。デザイン性や実用性が高く評価され、ニューヨーク近代美術館(MoMA)への永久所蔵や未来技術遺産への選定を果たしました。日常の計算を革新した技術史上の重要製品です。
1972年 カシオ計算機 電卓 カシオミニ
2003年

1970年に打ち上げられた日本初の人工衛星「おおすみ」が大気圏に再突入し消滅。

1970年に打ち上げられた日本初の人工衛星『おおすみ』が大気圏再突入し、33年の役割を終えました。
『おおすみ』は1970年2月11日に日本初の人工衛星として打ち上げられました。比較的小型ながら地球周回軌道に投入され、日本の宇宙開発の第一歩となりました。2003年8月2日、その衛星が制御を完全に失い大気圏に再突入して燃え尽きました。再突入時の燃焼は観測対象となり、廃棄衛星の将来処理問題を考える契機となりました。多くの宇宙開発関係者にとって記念碑的な出来事です。
2003年 1970年 日本 人工衛星 おおすみ