1802年

フランスでナポレオン・ボナパルトが憲法を改定して自らを終身統領(終身執政)と規定。

1802年、ナポレオンが憲法改定で自らを終身統領に定め、権力基盤を強化した。
フランス革命後の混乱期に台頭したナポレオンは、統領政府の第一統領として実権を掌握しました。 1802年の憲法改定により、統領の任期が終身に延長され、反対勢力を抑え込みました。 これにより事実上の独裁体制が確立し、ナポレオンはヨーロッパでの覇権を目指す足掛かりを得ました。 同時に国内の行政改革や法典整備を推進し、近代国家の基礎を築きました。 この決定は最終的に皇帝即位への道を開き、ヨーロッパの政局を大きく動かしました。
1802年 フランス ナポレオン・ボナパルト
嘉永7年7月9日

江戸幕府が日章旗を日本国惣船印とすることを決定。

1854年、江戸幕府が日本船の統一旗として日章旗を正式採用した。
日米和親条約締結を受け、幕府は船舶識別のための統一旗を必要としました。 嘉永7年7月9日、日章旗が日本国惣船印として公式に定められました。 これにより日本船は一目で識別可能となり、外国船との衝突を防止しました。 日章旗は後の明治政府にも引き継がれ、今日の日本国旗の原型となりました。 国際的な海運ルールの中で、日本が主権国家としての地位を示す重要な一歩となりました。
1854年 嘉永 7月9日 江戸幕府 日章旗
1918年

ロシア内戦: 日本軍が英米仏軍とともにシベリアに出兵することを閣議決定。

1918年8月2日、日本政府が英米仏とともにシベリア出兵を閣議決定した出来事。
ロシア内戦における連合国の介入の一環として、日本政府は8月2日、閣議でシベリアへの軍事派遣を決定しました。この決定はボリシェヴィキの台頭を抑制し、列強間の勢力均衡を維持する狙いがありました。日本軍は英米仏軍と共同作戦を展開し、沿線の鉄道保護や反共勢力支援を行いました。出兵は1922年まで続き、現地住民との衝突や莫大な費用負担など国内外で賛否を呼びました。最終的に撤兵に至り、戦後の日本の対外政策に影響を与えました。
1918年 ロシア内戦 日本 シベリアに出兵
1934年

強制的同一化: ドイツ大統領ヒンデンブルクの死去により、「指導者兼首相」のアドルフ・ヒトラーに大統領の権限が移譲され、総統となる。

1934年にヒンデンブルク大統領の死去により、ヒトラーが総統となった出来事。
1934年8月2日、ドイツ大統領パウル・フォン・ヒンデンブルクが死去し、首相兼国家元首の権限を併せ持っていたアドルフ・ヒトラーに大統領権限が移譲されました。この権力集中により国家元首と政府の長を兼ねる「総統(Führer)」の地位が確立されました。ナチス体制の強化が一層進み、反対勢力は抑圧されました。総統体制は第二次世界大戦への突入とホロコーストの実行を加速させる要因ともなりました。以降、ヒトラーの独裁体制は欧州全土に甚大な影響を及ぼしました。
1934年 強制的同一化 ドイツ大統領 ヒンデンブルク アドルフ・ヒトラー 総統
1944年

マケドニア人民解放反ファシスト会議 (ASNOM) の第1回総会開催。(マケドニア共和国の革命記念日)

1944年にASNOMの第1回総会がマケドニアで開催された。
1944年8月2日、ユーゴスラヴィア解放人民軍とパルチザン勢力はビトラでマケドニア人民解放反ファシスト会議(ASNOM)の第1回総会を開催しました。会議ではマケドニア共和国の将来と社会主義体制の構築が議論され、新生国家の基礎が定められました。ASNOMの決定によりマケドニアはユーゴスラビア連邦内の構成共和国として承認され、民族的アイデンティティと自治権が保障されました。この日が現在マケドニア共和国の革命記念日として祝われています。
マケドニア人民解放反ファシスト会議 マケドニア共和国 革命記念日
1945年

第二次世界大戦: ポツダム会談が終了。

1945年にポツダム会談が終了し、連合国の戦後体制構築が進展した。
1945年8月2日、米英ソの首脳がドイツ・ポツダム郊外で開催したポツダム会談が正式に閉幕しました。会談では日本への降伏勧告を含む連合国の対日方針、ドイツの分割統治、戦後復興計画などが協議され、連合国共同宣言としてまとめられました。特に日本への無条件降伏要求(ポツダム宣言)が採択され、これが終戦への重要な一歩となりました。会談の決定は戦後ヨーロッパとアジアの秩序を大きく変える契機となりました。
1945年 ポツダム会談
1970年

美濃部亮吉知事の提唱で、東京都内で初めての歩行者天国が銀座、新宿、池袋、浅草で実施される。

東京都内4地区で初の歩行者天国を実施。自動車規制で街の活性化を図り、都市文化として定着。
1970年8月2日、東京都知事・美濃部亮吉の提唱により、銀座・新宿・池袋・浅草の4地区で初めて歩行者天国が実施されました。自動車通行を一時的に禁止し、歩行者専用の広場が開放されました。買い物客や観光客が自由に歩き回れ、街の賑わいが大いに活性化しました。新たな都市文化として注目を集め、全国各地でも同様の取り組みが広がりました。現在も都心の風物詩として定着しています。
1970年 美濃部亮吉 東京都 歩行者天国 銀座 新宿 池袋 浅草
1990年

湾岸戦争: イラクがクウェートに侵攻。同日、国連安保理は即時無条件撤退を求める決議660を採択。

1990年8月2日、イラク軍がクウェートへ侵攻し、湾岸戦争が勃発すると同時に国連安保理決議660が採択されました。
イラクは当時のサッダーム・フセイン政権の命令で隣国クウェートに軍事侵攻を開始しました。これを受け国連安全保障理事会は即時無条件撤退を求める決議660を全会一致で採択して非難しました。決議はイラクに対し武力行使停止と撤退を求める強いメッセージとなり、国際社会は多国籍軍の結成へと動き出しました。湾岸戦争は1991年1月に多国籍軍事行動に発展し、中東情勢に大きな影響を与えました。国連中心の対応は集団安全保障の重要性を改めて示す出来事となりました。
1990年 湾岸戦争 イラク クウェート 侵攻 国連安保理 決議660
2008年

福田康夫内閣改造内閣が発足。

福田康夫首相が初の内閣改造を行い、新しい閣僚を任命しました。
2008年8月2日、第91代内閣総理大臣福田康夫は初の内閣改造を実施しました。人事では金融危機への対応を重視し、経済産業大臣や財務大臣など主要ポストが交代しました。これにより自民党内の結束強化や政策推進力の向上を図る狙いがありました。改造内閣は国内外から注目され、世界金融市場の不安定化にどう対処するかが焦点となりました。福田内閣は改造後も景気対策や構造改革を進めることを表明しました。
2008年 福田康夫内閣改造内閣
2019年

日本政府が、貿易管理上の優遇措置を受けられる「ホワイト国」のリストから、韓国を除外する政令改正を閣議決定。

日本政府が韓国を貿易管理上の優遇措置国リスト(ホワイト国)から除外する政令改正を閣議決定しました。
2019年8月2日、菅義偉官房長官は韓国をホワイト国リストから除外する政令改正を発表しました。これは輸出管理強化の一環として半導体素材などの軍事転用の懸念を理由とした措置です。韓国側は不当だと反発し、両国間で経済・外交の摩擦が一段と激化しました。日本の輸出管理制度見直しは国際的にも波紋を呼び、サプライチェーンへの影響が懸念されました。以降、日韓関係は貿易を巡る対立が深まる結果となりました。
2019年 韓国