1948年

神奈川県川崎市で竜巻が発生。戦災跡地に建てられていたバラック住宅が被害に遭い、死者3人、重軽傷者106人。38戸が全壊、50戸が半壊。

川崎市の戦災バラック住宅街を竜巻が直撃し、死者3名、106名が重軽傷。多数の家屋が破壊。
1948年8月2日、神奈川県川崎市の戦災跡地に建てられたバラック住宅街で竜巻が発生しました。突風は住宅を直撃し、3名が死亡、106名が重軽傷を負いました。全壊した建物が38戸、半壊が50戸に及びました。被災地は戦後の住宅難を背景にした仮設住居地だったため、被害が拡大しました。地域住民の生活に深刻な打撃を与えました。
1948年 神奈川県 川崎市 竜巻 バラック
1950年

茨城県高須村高須地先で小貝川の堤防が決壊。同村ほか相馬町、小文間村、山王村、寺原村、六郷村が水没。被災者25000人。

小貝川の堤防決壊により茨城県高須村など6つの村が水没。約2万5千人が被災し、広範囲に被害を伴う水害。
1950年8月2日、茨城県高須村付近の小貝川堤防が決壊し、周辺の村々が広範囲にわたり水没しました。相馬町や小文間村、山王村などを含む6つの村で住民約2万5千人が被災しました。農地や家屋への浸水被害が深刻で、生活基盤が失われました。復旧作業には長期を要し、地域社会の再生に大きな課題を残しました。この水害は昭和期の地方災害の代表例として記録されています。防災対策の重要性を改めて示した事件です。
1950年 茨城県 高須村 小貝川 相馬町 小文間村 山王村 寺原村 六郷村
1955年

神奈川県横浜市に存在した日本カーリット保土ケ谷工場で爆発事故。従業員ら21人が死亡、19人が重軽傷。

横浜の化学工場で爆発事故が発生し、従業員21名が死亡、19名が重軽傷。化学プラントの安全管理強化が課題に。
1955年8月2日、横浜市保土ケ谷区の日本カーリット工場で爆発事故が発生しました。内部の化学薬品製造ラインで起きた爆発により、従業員ら21人が死亡、19人が重軽傷を負いました。工場内設備は大きく損壊し、周辺地域にも被害が及びました。事故原因は化学反応の暴走とされ、安全管理体制の不備が指摘されました。以降、化学プラントの安全対策強化が進められる契機となりました。
1955年 神奈川県 横浜市 日本カーリット
1972年

近鉄奈良線の車内で、座席下にしかけられたアルミ缶爆弾が爆発。乗客2人重傷、19人軽傷。

近鉄奈良線車内で仕掛け爆弾が爆発し、乗客2名が重傷、19名が軽傷。鉄道の安全に衝撃を与える事件。
1972年8月2日、近鉄奈良線の車内でアルミ缶爆弾が爆発しました。座席下に仕掛けられた爆弾が突然爆発し、乗客2名が重傷、19名が軽傷を負いました。車両は一部損壊し、乗客は恐怖に包まれました。犯行の動機や背景は不明のまま捜査が続きました。鉄道に対する不安を一時的に高める事件となりました。
近鉄奈良線
1985年

デルタ航空191便墜落事故。

1985年8月2日、ダラス・フォートワース空港付近でデルタ航空191便が墜落し、多数の死傷者を出した航空事故です。
デルタ航空191便はメキシコシティ発ダラス行きの旅客機でした。当日はマイクロバーストと呼ばれる突風による激しい乱気流に巻き込まれたことが原因で墜落しました。乗員乗客全員が脱出に失敗し、135人が死亡、わずか26人が生存しました。この事故は航空気象学の重要性を再認識させ、空港周辺の気象観測システムの強化やパイロットへの天候教育の充実が図られるきっかけとなりました。現在でも航空安全の教訓として語り継がれています。
1985年 デルタ航空191便墜落事故
1994年

ビートたけし(北野武)が原付で転倒事故を起こし重傷。

ビートたけしこと北野武が原付バイクで転倒し、全治数カ月の重傷を負ったエピソードです。
1994年8月2日、北野武は東京都内で原動機付自転車を運転中に転倒事故を起こしました。頭部裂傷や全身打撲など重傷を負い、病院で約2週間入院しました。その後もリハビリを続け約半年間の休養を余儀なくされました。事故当時は映画監督としての撮影スケジュールにも影響が出ましたが、復帰後は更に精力的に活動を再開し、『菊次郎の夏』などの作品制作に励みました。芸能界でも語り草となったエピソードです。
1994年 ビートたけし 北野武 原付 転倒事故
2005年

エールフランス358便事故。

エールフランス358便がトロント・ピアソン空港で滑走路をオーバーランし事故を起こしました。
2005年8月2日、パリ発トロント行きのエールフランス358便は着陸時に豪雨と強風に見舞われました。機体は滑走路を越えて池に突入しましたが、全員が迅速に避難し死者は出ませんでした。事故調査では悪天候下の着陸判断や滑走路の摩擦係数が問題視されました。その後、カナダ航空当局は着陸基準の厳格化や乗員訓練の強化を実施しました。安全運航の教訓を残した事例として知られています。
2005年 エールフランス358便事故