1881年
華族などが参加して日本初の私立鉄道会社日本鉄道の創立が決定。
1881年8月1日、日本初の私立鉄道会社『日本鉄道』の創立が決定しました。華族や実業家らが参加し、鉄道事業の民間参入が始まりました。
明治時代における鉄道敷設事業は国営が主流でしたが、民間参入の機運が高まっていました。
1881年8月1日、華族や実業家らが中心となり、日本初の私立鉄道会社『日本鉄道』の創立が決定しました。
政府から借り受ける路線を運営し、民間資本による鉄道事業の先駆けとなりました。
出資者には有力者が名を連ね、資金調達や建設計画が迅速に進行。
この設立は後の私鉄網拡大や競合激化の基盤を築き、日本の交通インフラ発展に大きく寄与しました。
1881年
日本鉄道
1911年
東京市が東京鉄道会社を買収して電気局を設置。東京市電(現在の都電)となる。
1911年8月1日、東京市が東京鉄道会社を買収し、電気局を設置、東京市電(都電)が誕生しました。
明治末期、東京の交通需要は急増し、既存の路面電車事業の拡充が求められていました。
東京市は1911年に東京鉄道会社を買収し、電気局を通じて運営を統合。
これにより路面電車は「東京市電」として再編され、利便性と運営効率が向上。
都電は都市部と郊外を結ぶ重要な公共交通手段として市民の生活に定着。
戦後の路線整理やバス化を経て、現在の都電荒川線へとつながっています。
1911年
東京市
都電
1913年
東海道本線の全線複線化が完成。
1913年8月1日、東海道本線の全線複線化が完成し、列車輸送能力が大幅に向上しました。
明治から大正期にかけて、東海道本線は日本の主要幹線鉄道として重用されていました。
単線区間による運行制約を解消するため、複線化工事が段階的に進行。
1913年8月1日、東京から神戸までの全線で複線化が完了し、輸送効率が向上。
列車の運行本数増加や輸送速度向上により、旅客・貨物輸送が飛躍的に拡大。
近代日本の物流や都市間交流の発展を支えた大規模インフラ整備でした。
1913年
東海道本線
複線
1921年
東海道本線の大津 京都間が現在の新逢坂山トンネル経由のルートに変更。
1921年8月1日、大津-京都間の東海道本線が新逢坂山トンネル経由にルート変更されました。
東海道本線の大津-京都間は従来、山間部を経由する急峻な線形でした。
大幅な勾配緩和と直線化を図るため、逢坂山トンネルの新ルートが計画。
1921年8月1日、新逢坂山トンネル経由への切り替えが完成し、運行時間が短縮。
安全性の向上や定時性確保にも寄与し、鉄道輸送の信頼性が改善。
後に旧線は観光用や保線用路線として一部区間で活用されました。
1921年
大津
京都
新逢坂山トンネル
1978年
営団地下鉄半蔵門線(現 東京メトロ半蔵門線)・渋谷 青山一丁目が開業。東急新玉川線・田園都市線と相互直通運転を開始。
1978年、営団地下鉄半蔵門線の渋谷~青山一丁目間が開業し、東急新玉川線・田園都市線との相互直通運転を開始しました。
1978年8月1日、営団地下鉄(現東京メトロ)半蔵門線の渋谷駅から青山一丁目駅間が開業しました。
この区間開通により、東京の都心部と東急新玉川線・田園都市線の相互直通運転が可能となり、利便性が大きく向上しました。
路線は地下を走り、神宮前など新たな駅が誕生して沿線開発を促進しました。
開業当初から1日の輸送人員は増加傾向を示し、渋谷を中心とした通勤・通学の混雑緩和に寄与しました。
その後、半蔵門線は東京メトロの一翼を担う主要路線として成長し、現在も多くの乗客に利用されています。
1978年
東京メトロ半蔵門線
渋谷
青山一丁目
東急新玉川線・田園都市線
1979年
国鉄山口線で、国鉄初のSLの動態保存運転となるやまぐち号の運行を開始。
1979年、国鉄山口線で蒸気機関車による動態保存運転列車『やまぐち号』の運行が始まりました。
1979年8月1日、国鉄山口線で日本初となる動態保存蒸気機関車列車『やまぐち号』の運行が開始されました。
昭和30年代に廃車されたD51形蒸気機関車を復元し、観光列車として運用されたのが特徴です。
列車はSL牽引の趣をそのままに、車内では当時の駅弁や車内放送を再現する演出も行われました。
『やまぐち号』は地域振興や鉄道文化の保存に大きく貢献し、以後の蒸気機関車保存運転の先駆けとなりました。
現在も保存運転が続けられ、多くの鉄道ファンや観光客を集めています。
1979年
国鉄
山口線
SL
動態保存
やまぐち号
2007年
ミネアポリス高速道路崩落事故: アメリカ・ミネソタ州のミネアポリスでミシシッピ川に架かる高速道路の橋が崩落、多数の死傷者が出る。
ミシシッピ川の高速道路橋が突如崩落し、多数の死傷者を伴う大事故となりました。
2007年8月1日夜、アメリカ・ミネソタ州ミネアポリス市でミシシッピ川を跨ぐ高速道路橋が突然崩落しました。通勤時間帯だったため、多数の車両が橋上にあり、複数名の死傷者が発生しました。崩落原因は構造的な疲労と凍結・融解による鋼材への負荷とされ、老朽化したインフラの危険性が浮き彫りとなりました。事故後は橋梁の点検強化や補修計画が進められ、全国的な交通インフラの安全見直しにつながりました。
2007年
ミネアポリス高速道路崩落事故
アメリカ
ミネソタ州
ミネアポリス
ミシシッピ川
高速道路