推古天皇15年7月3日
小野妹子を使者として第2回遣隋使が派遣される。
推古天皇期に、中国(隋)への2度目の遣隋使が派遣された。
日本は隋の先進的な制度や文化を学ぶため、第2回遣隋使を派遣しました。小野妹子を使者とする使節団は長い航海を経て隋の都・大興城に到着しました。遣隋使は仏教や行政制度、官僚制度などの知識を収集しました。帰国後に持ち帰った情報は、律令国家体制の整備や仏教文化の浸透に大きく貢献しました。この派遣は日本が本格的に中国文化を吸収し、国家体制を確立する契機となりました。
607年
推古天皇
7月3日
小野妹子
第2回遣隋使
1291年
ウーリ・シュヴィーツ・ウンターヴァルデンの3州が盟約者同盟結成を宣言 。スイス建国の日とされる。
ウーリ・シュヴィーツ・ウンターヴァルデンの3州が盟約者同盟を結成し、スイス建国の基礎が築かれた。
1291年8月1日、アルプス地方のウーリ、シュヴィーツ、ウンターヴァルデンの3州が相互防衛を定める盟約を結びました。これは後のスイス連邦の前身とされ、『永久同盟』とも呼ばれます。この盟約により独立性を確保し、オーストリア大公国の影響から自律を維持しました。スイス建国の起点として毎年8月1日が建国記念日とされています。この出来事は地域の連帯と民主的自治の象徴となりました。
1291年
ウーリ
シュヴィーツ
ウンターヴァルデン
州
スイス
慶長15年6月13日
徳川家康の命で京都の商人・田中勝介らが鉱山技師を招くためにメキシコへ向けて出航。翌年帰国。
徳川家康の命で京都の商人らが鉱山技師を招聘するためにメキシコへ航海した。
江戸幕府は銀山開発のために優れた鉱山技術を求め、1610年8月1日に京都の商人・田中勝介らを派遣しました。使節団はメキシコまで往復する過酷な海路に挑み、翌年に帰国しました。彼らはスペイン植民地で発展していた鉱山技術の導入を目指し、炉の設計や採鉱技術を学ぶことが目的でした。持ち帰った技術は日本国内の金銀山開発に応用され、幕府の財政基盤強化に寄与しました。この遠征は江戸時代前期における技術交流の先駆けとなりました。
1610年
慶長
6月13日
田中勝介
メキシコ
1774年
イギリスの化学者ジョゼフ・プリーストリーが酸素の単離に成功。翌1775年3月15日、酸素発見に関する論文をロンドン王立協会に提出した。
ジョゼフ・プリーストリーが酸素を単離し、化学史に大きな足跡を残した。
1774年8月1日、イギリスの化学者ジョゼフ・プリーストリーが加熱した酸化水銀から気体を単離しました。この気体は後に『酸素』と命名され、呼吸や燃焼に不可欠な元素として認識されました。プリーストリーは論文をまとめ、翌年にロンドン王立協会に提出してその成果を発表しました。彼の発見はフログスト論を覆し、ラボアジエらによる化学理論の発展に影響を与えました。この功績は近代化学の礎の一つとされています。
1774年
ジョゼフ・プリーストリー
酸素
1775年
3月15日
1798年
エジプト・シリア戦役: ナイルの海戦が行われイギリスが勝利、地中海の制海権を掌握。
ナイルの海戦でイギリスがフランス艦隊を撃破し、地中海の制海権を掌握した。
1798年8月1日、ナポレオンのエジプト遠征に対し、イギリス海軍のホレーショ・ネルソン提督がフランス艦隊を奇襲しました。夜間の戦闘でフランス艦隊は壊滅的ダメージを受け、地中海における制海権はイギリスのものとなりました。この勝利によりエジプト駐留フランス軍は補給路を断たれ、ナポレオンの遠征計画に大きな打撃を与えました。戦後、ネルソンは英雄として称えられ、イギリス海軍の威信は一層高まりました。ナイルの海戦は英仏戦争史における代表的な海戦とされています。
1798年
エジプト・シリア戦役
ナイルの海戦
1828年
マダガスカル島のメリナ王国で、前王ラダマ1世の第一夫人ラナヴァルナが、自分より王位継承順位が上の夫の親族を皆殺しにした上で国王に即位。
マダガスカル王国でラナヴァルナが王位継承争いの一族粛清を経て即位した。
1828年8月1日、マダガスカル島のメリナ王国で前王ラダマ1世の第一夫人ラナヴァルナが、自身より上位の親族を皆殺しにして王位を簒奪しました。彼女は権力を掌握すると、徹底した粛清と恐怖政治を展開し、国政を強固に支配しました。在位中は国外勢力との接触を制限し、孤立主義的な統治を推進しました。ラナヴァルナ1世の支配は厳酷さで知られ、メリナ王国の歴史に暗い影を落としました。この出来事はマダガスカルの国家体制と王権のあり方に大きな変革をもたらしました。
1828年
マダガスカル島
メリナ王国
ラダマ1世
ラナヴァルナ
英語版
1834年
植民地を含むイギリスの全領土において奴隷制を廃止する奴隷廃止法が発効。1840年の同日に奴隷が解放される。
イギリス帝国全土で奴隷制が廃止され、一斉に解放が始まった。
1834年8月1日、英国議会が1833年に可決した奴隷廃止法が正式に発効し、イギリス本国と植民地の奴隷制が廃止されました。対象となった奴隷は『半自由』状態の徒弟制に移行し、1840年8月1日に完全に解放されました。この法律制定に際し、奴隷所有者には約2千万ポンドの補償金が支払われました。奴隷制度廃止運動は国内外に大きな影響を与え、他国の解放運動を促進する契機となりました。今日でも8月1日は多くの地域で奴隷廃止記念日として祝われています。
1834年
イギリス
奴隷制
奴隷廃止法
1840年
1855年
アルプス山脈2番目の高峰モンテ・ローザ・デュフール峰が初登頂。
アルプス第2峰モンテ・ローザ・デュフール峰が初めて登頂された。
1855年8月1日、スイス・イギリスの登山隊がアルプス山脈第2峰にあたるモンテ・ローザのデュフール峰へ初登頂に成功しました。標高4,634メートルを誇るこの峰は、登頂技術と体力を要する難所として知られていました。隊はスイス側の登山ルートを利用し、岩稜帯や氷河を越えて頂上に到達しました。初登頂の成果はヨーロッパの登山史における重要な一里塚とされ、その後の山岳探検に大きな影響を与えました。今日でも多くの登山者が挑戦する人気ルートとなっています。
1855年
アルプス山脈
モンテ・ローザ
デュフール峰
1876年
コロラド準州が州に昇格し、アメリカ合衆国38番目の州・コロラド州となる。
コロラド準州が州に昇格し、アメリカ合衆国38番目の州として加盟した。
1876年8月1日、コロラド準州が正式にアメリカ合衆国の州に昇格し、第38番目の州として加盟しました。これは金鉱発見による人口急増が背景にあり、州昇格の要件を満たしていました。州都デンバーは標高約1,600メートルに位置し、『マイル・ハイ・シティ』の愛称で知られます。コロラド州の加盟により、山岳地域の開発やインフラ整備が加速しました。今日では自然景観とアウトドアレジャーの中心地としても注目されています。
1876年
コロラド準州
アメリカ合衆国
コロラド州
1879年
日本初の海上保険会社・東京海上保険会社(現在の東京海上日動火災保険)が営業開始。
日本初の海上保険会社として東京海上保険会社が営業を開始した。
1879年8月1日、日本初の海上保険会社である東京海上保険会社が設立・営業を開始しました。当時の日本は明治維新後の商業・産業振興期にあり、貿易拡大と共に保険制度の整備が求められていました。東京海上は国内外の海上貨物や船舶に保険を提供し、商取引のリスクを軽減しました。後に東京海上日動火災保険となり、国内最大手の損害保険会社に成長します。この設立は日本の近代金融システム確立の一歩と評価されています。
1879年
海上保険
東京海上日動火災保険
1881年
華族などが参加して日本初の私立鉄道会社日本鉄道の創立が決定。
1881年8月1日、日本初の私立鉄道会社『日本鉄道』の創立が決定しました。華族や実業家らが参加し、鉄道事業の民間参入が始まりました。
明治時代における鉄道敷設事業は国営が主流でしたが、民間参入の機運が高まっていました。
1881年8月1日、華族や実業家らが中心となり、日本初の私立鉄道会社『日本鉄道』の創立が決定しました。
政府から借り受ける路線を運営し、民間資本による鉄道事業の先駆けとなりました。
出資者には有力者が名を連ね、資金調達や建設計画が迅速に進行。
この設立は後の私鉄網拡大や競合激化の基盤を築き、日本の交通インフラ発展に大きく寄与しました。
1881年
日本鉄道
1894年
日清戦争: 日本と清が相互に宣戦布告。
1894年8月1日、日本と清(中国)が相互に宣戦布告し、日清戦争が本格的に始まりました。
19世紀末、朝鮮半島の支配権を巡り日本と清国の対立が深まっていました。
同年8月1日、日本は清に対して宣戦布告し、清側からも応戦が発表されました。
これにより正式に日清戦争が勃発し、朝鮮半島や中国東北部で激しい戦闘が展開。
日本は近代化した軍隊を背景に優勢を保ち、威海衛や豊島海戦などで勝利を収めました。
戦争終結後の下関条約(1895年)で日本は賠償金と領土を獲得し、国際的地位を高めました。
1894年
日清戦争
日本
清
宣戦布告