1924年

羽越本線が全通。敦賀 青森の日本海縦貫線が完成。

羽越本線が全通し、日本海沿岸を縦貫する鉄道網が完成しました。
1924年7月31日、羽越本線(新潟県・山形県・秋田県を結ぶ路線)が全線開通しました。 これにより敦賀から青森を結ぶ日本海縦貫鉄道網が完成し、物流と観光が飛躍的に発展しました。 建設には険しい山岳地帯や日本海沿岸の難所を克服する多くの橋梁やトンネルが要されました。 地域の米や海産物、石炭輸送が効率化され、沿線都市の経済活性化に寄与しました。 現在も観光列車「いなほ」などが運行し、日本海の風景を楽しめる路線として親しまれています。
1924年 羽越本線 日本海縦貫線
1948年

ニューヨークでアイドルワイルド空港(現ジョン・F・ケネディ国際空港)が国際空港として開港。

ニューヨークのアイドルワイルド空港(現ジョン・F・ケネディ国際空港)が国際空港として開港した日。
1948年7月31日、アイドルワイルド空港が開港し、ニューヨークへの国際線受け入れが始まりました。 当初は2つの滑走路で運用され、欧州や南米などへの定期便が就航しました。 1973年にジョン・F・ケネディ国際空港と改称され、現在に至る国際ハブ空港の礎となりました。 開港当初からアメリカ東海岸の主要ゲートウェイとして成長を続け、世界中の航空路線網をつないできました。 現在では年間7000万人以上の旅客が利用する世界有数の空港の一つとなっています。
1948年 ニューヨーク ジョン・F・ケネディ国際空港 国際空港
1952年

日本テレビがテレビ放送の予備免許を取得。日本での取得第1号。

日本テレビが日本初のテレビ放送予備免許を取得した日。
1952年7月31日、日本テレビ(NTV)がテレビ放送に先立ち、日本で初めて予備免許を取得しました。 予備免許は放送開始に必要な技術基準と設備計画の審査を通過したことを示します。 同社はこの免許をもとに放送局の整備を進め、1953年に本免許を取得して本放送を開始しました。 これにより日本の民間放送時代の幕開けが告げられ、テレビ文化の発展が始まりました。 現在の日本テレビは全国ネットを展開し、多彩な番組を提供し続けています。
日本テレビ 予備免許
1970年

山手線に国鉄の通勤電車では初の冷房車を導入。

1970年7月31日、山手線に国鉄通勤電車として初めて冷房車が導入され、夏季の通勤環境が大きく改善しました。
1970年7月31日に山手線の通勤電車編成に初めて冷房装置が搭載された車両が登場しました。当時は冷房設備がまだ高価かつ技術的にも挑戦的であり、国鉄にとって画期的な試みでした。導入当初は限定編成での運行でしたが、乗客からは「暑さが和らぎ快適」と好評を博しました。この成功を受けてその後の通勤電車全体に冷房車両の導入が加速され、都市部の鉄道輸送における標準装備となりました。
山手線
1982年

豊橋鉄道東田本線・井原 運動公園前延長開業。

1982年7月31日、豊橋鉄道東田本線が井原・運動公園前まで延伸開業し、地域の利便性が向上しました。
1982年7月31日、愛知県豊橋市内を走る豊橋鉄道東田本線は新たに井原・運動公園前駅まで約0.9kmの延長区間を開業しました。この延伸により、地域住民やスポーツ施設利用者のアクセスが飛躍的に向上しました。運動公園前駅は周辺の公園や体育施設への最寄り駅として機能し、イベント開催時の混雑緩和にも寄与しました。豊橋鉄道は延伸に合わせてダイヤ改正を実施し、列車本数を増加させるなどサービス向上を図りました。地元経済や観光面にも好影響を与え、都市交通インフラの充実モデルとなりました。
豊橋鉄道 東田本線
2008年

航空自衛隊自衛隊U4多用途支援機機が中華人民共和国北京首都国際空港へ初着陸。日本国政府専用機以外で中国国内に着陸は初。

航空自衛隊のU-4多用途支援機が日本の政府専用機以外として初めて中国・北京首都空港に着陸しました。
2008年7月31日、航空自衛隊のU-4多用途支援機が北京首都国際空港に初めて着陸し、日本の政府専用機以外の航空自衛隊機として中国国内への初の飛来を果たしました。 この飛来は国際的な捜索救難演習への参加を目的とし、日中両国の防衛当局間での信頼醸成措置の一環と位置づけられました。 着陸許可の取得には中国民間航空当局との綿密な調整が行われ、両国の軍用航空機間協力の新たな一歩と評価されました。 日本と中国はその後も救難分野での共同訓練を継続し、地域の安全保障環境に一定の影響を与えています。 この出来事は日中関係における防衛交流の進展を象徴するものとなりました。
2008年 航空自衛隊 中華人民共和国 北京首都国際空港 日本国政府専用機