1888年

吉野川が増水。藍畑村の覚円地先で堤防が決壊したことを契機に一揆のような騒動が起きる。

1888年、吉野川の増水で藍畑村の堤防が決壊し、一揆のような騒動が発生した。
1888年7月31日、高知県を流れる吉野川が豪雨により増水し、藍畑村(現徳島県)の覚円地先で堤防が決壊した。周辺農民は被害の拡大に怒り、役所への救済要求が一揆のような集団行動に発展した。警察と衝突寸前の緊迫した事態となり、後に地元行政の治水対策強化を促した。被害状況や住民の対応は、明治期の地方行政と民衆意識を理解するうえで重要な史実となっている。
1888年 吉野川 藍畑村 堤防 一揆
1930年

東海地方、近畿地方で台風接近に伴う暴風雨。木曽三川では堤防の決壊や氾濫が相次いだほか、福知山盆地ではほぼ全域が浸水した。

東海・近畿地方を暴風雨が襲い、木曽三川では堤防決壊、福知山盆地が大規模に浸水しました。
1930年7月31日、台風の影響で東海地方および近畿地方に記録的な暴風雨が襲来しました。 木曽三川(木曽川、揖斐川、長良川)の堤防が相次いで決壊し、広範囲で氾濫が発生しました。 福知山盆地一帯もほぼ全域が浸水し、農作物被害や家屋損壊が相次ぎました。 被災地では避難や復旧作業が急ピッチで進められましたが、交通網の寸断や物資不足が深刻化しました。 後の河川改修や防災対策強化の契機となり、流域治水の重要性が再認識されました。
1930年 東海地方 近畿地方 台風 木曽三川 福知山盆地
1965年

品川駅構内で山手線内回り電車がポイントを通過中の回送電車に側面から衝突して大破。15人負傷。

品川駅で山手線電車同士が衝突し、15人が負傷した事故。
1965年7月31日朝、品川駅構内で内回り電車がポイントを通過中の回送電車に衝突しました。 衝撃で車体が大破し、乗客および乗務員合わせて15人が負傷しました。 原因はポイントの切り替えミスとされ、国鉄の運行管理の問題が浮き彫りとなりました。 事故後、鉄道の安全対策強化やポイント設備の見直しが進められました。 今日では同様の事故防止に向けた技術や規則が整備されています。
1965年 品川駅
1970年

コロンビア南部でマグニチュード8.0の深発地震(コロンビア地震)。

1970年7月31日、コロンビア南部でM8.0の深発地震が発生し、広範囲で揺れと被害をもたらしました。
1970年7月31日にコロンビア南部の深さ数百キロメートルでマグニチュード8.0の深発地震が発生しました。深い震源から発生した長周期の揺れは遠方でも観測され、多くの建物やインフラ設備に影響を与えました。地震後は被災地で緊急の救援・復旧活動が実施され、国内外から支援が集まりました。事後調査ではプレート沈み込み帯に関するデータが蓄積され、地震学の研究に大きく貢献しました。正確な死傷者数は記録にばらつきがありますが、当時としては深発地震の被害規模を示す重要な事例とされています。
コロンビア マグニチュード コロンビア地震
1973年

バーモント州バーリントン発ボストン行きのデルタ航空723便DC 9型機がボストン・ローガン国際空港への着陸に失敗、乗員乗客89名全員が死亡。 (en:Delta Air Lines Flight 723)

1973年7月31日、デルタ航空723便(DC-9型機)がボストン・ローガン国際空港への着陸に失敗し、乗員乗客89名全員が亡くなりました。
1973年7月31日にバーモント州バーリントン発ボストン行きのデルタ航空723便DC-9型機が着陸進入中に事故を起こし、機体は滑走路を逸脱して破壊されました。89名の乗員乗客は即時に死亡し、漂流や火災の痕跡が確認されました。米国家運輸安全委員会(NTSB)が事故原因の調査を実施し、レポートでは悪天候や滑走路の状態が影響を及ぼした可能性が指摘されました。事故後は滑走路安全対策や着陸支援システムの改善が進められ、同様の事態を防ぐための技術的・運用的な見直しが行われました。犠牲者の慰霊碑がボストン近郊に建立され、航空史に残る悲劇として記憶されています。
1973年 バーモント州 ボストン デルタ航空 DC-9 ローガン国際空港 en:Delta Air Lines Flight 723
1992年

バンコク発カトマンズ行きのタイ国際航空311便エアバスA310型機が、ランタン国立公園内「ゴプテビル」(ゴプテの崖)と呼ばれる標高約3500mの山肌に激突し、乗員乗客113名全員が死亡した。 (en:Thai Airways International Flight 311)

1992年7月31日、タイ国際航空311便がネパール・ランタン国立公園内の山肌に墜落し、乗員乗客113名全員が死亡した。
1992年7月31日、バンコク発カトマンズ行きのタイ国際航空311便(エアバスA310)が離陸後に消息を絶った。 同機はネパール・ランタン国立公園内の「ゴプテの崖」と呼ばれる標高約3500mの斜面に激突。 乗員乗客113名は全員死亡し、現地環境の厳しさが捜索活動を困難にした。 事故原因は悪天候や管制との交信トラブルなどが指摘されている。 ネパールでの航空事故としては死者数が最大規模で、航空安全の課題を浮き彫りにした。 同社はその後機材更新や運航プロセスの見直しを進め、安全強化を図った。
バンコク カトマンズ タイ国際航空 エアバスA310 ランタン国立公園 en:Thai Airways International Flight 311
1992年

南京発アモイ行きの中国通用航空7522便Yak 42型機が離陸直後に墜落、乗員乗客126名中106名が死亡。

1992年7月31日、中国通用航空7522便Yak-42型機が離陸直後に墜落し、乗員乗客126名中106名が死亡した。
1992年7月31日、南京発アモイ(厦門)行きの中国通用航空7522便ヤコブレフYak-42型機が離陸直後に墜落。 前方約500mの地点で機体が地上に衝突し、4名の乗員と102名の乗客の計106名が死亡。 墜落原因は機体設計や整備状況、操縦ミスなど複数の要因が取りざたされた。 国内線事故としては中国航空史上でも死者数の多い事故となった。 事故後、中国当局は航空安全基準の見直しと管制通信の強化を推進。 乗客らの遺族には補償が行われ、国内航空会社の信用回復が急務となった。
南京 アモイ Yak-42