1419年

第一次プラハ窓外投擲事件。フス戦争の契機となる。

フス派と王権側の対立が激化し、プラハ市議会議員らが窓から放り出された事件です。
1419年7月30日、プラハ新市庁舎の窓外投擲で市議会議員がフス派信徒により 窓から投げ落とされました。 この事件が契機となり、チェコ国内でフス戦争(1419-1434年)が勃発。 宗教改革の先駆けとなったこの衝突は、当時の神聖ローマ帝国やカトリック教会に 大きな影響を与え、ヨーロッパ宗教戦争の前兆ともいわれます。
1419年 第一次プラハ窓外投擲事件 フス戦争
元亀元年6月28日

姉川の戦い。織田信長・徳川家康連合軍が浅井長政・朝倉義景連合軍を破る。

織田信長・徳川家康連合軍が浅井・朝倉連合軍を破った戦国時代の戦いです。
元亀元年(1570年)7月30日、近江国姉川のほとりで織田信長・徳川家康連合軍と 浅井長政・朝倉義景連合軍が激突しました。 戦場となった姉川両岸で銃砲隊や騎馬隊が激しく衝突し、連合軍が勝利。 これにより信長は南近江における浅井氏の勢力を弱体化させ、勢力拡大の足がかりを得ます。 戦国時代の勢力図を大きく塗り替えた重要な戦いです。
1570年 元亀 6月28日 姉川の戦い 織田信長 徳川家康 浅井長政 朝倉義景
1609年

タイコンデロガ(現在のニューヨーク州)でサミュエル・ド・シャンプランが原住民のイロコイ族と戦闘。その後のフランスのケベック植民地の基礎を作る。

シャンプランがイロコイ族と戦闘し、フランス領ケベック建設の基礎を築いた遠征です。
1609年7月30日、フランス探検家サミュエル・ド・シャンプランはタイコンデロガで イロコイ族の部隊と交戦しました。 この戦闘で先住民勢力との同盟関係が変化し、シャンプランは近隣インディアンと結び 新大陸北東部での影響力を強化します。 後にこの地域を拠点としてケベック植民地が成立し、フランス植民地政策の礎となりました。
1609年 タイコンデロガ ニューヨーク州 サミュエル・ド・シャンプラン イロコイ族
1811年

メキシコ独立運動の指導者ミゲル・イダルゴがスペインの植民地政府により処刑。

メキシコ独立運動の先駆者、ミゲル・イダルゴがスペイン植民地政府により処刑されました。
1811年7月30日、メキシコ独立運動の指導者ミゲル・イダルゴ神父は スペイン植民地当局に逮捕され処刑されました。 彼は1810年に『ドロレスの叫び』を発し独立蜂起の火ぶたを切った人物です。 処刑後もイダルゴは殉教者として称えられ、メキシコ独立の象徴となります。 その精神は後の独立運動を鼓舞し、1821年の独立達成に大きく貢献しました。
1811年 メキシコ独立運動 ミゲル・イダルゴ
天保8年6月28日

モリソン号事件。日本人漂流民を乗せて浦賀に来航したアメリカの商船「モリソン号」に浦賀奉行が砲撃。

アメリカ商船『モリソン号』が浦賀奉行に砲撃された、鎖国期の異例の事件です。
1837年7月30日(天保8年6月28日)、漂流民を乗せた米国商船『モリソン号』が 浦賀に来航し、浦賀奉行所から砲撃を受けました。 幕府の鎖国政策に反すると判断されたためで、救助行動は拒否されました。 この事件は鎖国体制の硬直性を象徴し、後の開国交渉にも影響を与えます。 国内外で批判を呼び、幕府は外交方針の見直しを迫られる契機となりました。
1837年 天保 6月28日 モリソン号事件 浦賀奉行
1864年

南北戦争: クレーターの戦い。

アメリカ南北戦争中のクレーターの戦いが行われた。 トンネルを使った爆破作戦が試みられ、大きな衝撃を与えた。
1864年の南北戦争末期、聯合軍(北軍)はクレーターを形成するためのトンネルを掘削し、爆薬を仕掛けた。 爆破により地面が大規模に陥没し、南軍(南軍)の防御線に深刻な打撃を与えた。 しかし、遅れた進軍で陥没地形に囚われ、多くの北軍兵士が犠牲となった。 南北ともに数千名規模の戦死傷者を出し、戦闘は混乱のまま終結した。 この戦いは斬新な工兵作戦として注目されたが、戦術的成功には至らなかった。 戦後、軍事史上の教訓として分析され、後の塹壕戦にも影響を与えた。
1864年 南北戦争 クレーターの戦い
1938年

日ソ国境紛争: 張鼓峰事件が発生。第19師団が独断でソ連軍を攻撃するがソ連軍の反撃を受けて多大の損害を出した。8月11日の停戦協定の調印により事件は落着。

日ソ国境紛争の張鼓峰事件で第19師団が独断攻撃を行い、ソ連軍の反撃で大損害を出した。
1938年7月30日、満州国国境の張鼓峰付近で日ソ両国の軍事衝突が発生した。 日本陸軍第19師団が独断で攻撃を開始したものの、ソ連・モンゴル連合軍の反撃を受けた。 両軍は山岳地帯で激しい小規模戦闘を繰り返し、多数の死傷者を出した。 8月11日に停戦協定が結ばれ、一時的に衝突は収束したが緊張状態は継続した。 この事件はノモンハン事件への伏線ともされ、日ソの軍事的緊張を高めた。 満州国防衛や満州地域における日ソ対立の象徴的出来事であった。
1938年 日ソ国境紛争 張鼓峰事件
1945年

第二次世界大戦: 日本の伊号第五八潜水艦が、アメリカの巡洋艦インディアナポリスを撃沈。インディアナポリスは長崎へ投下予定の原爆部品の輸送後、単独でレイテ島へ向けて航海中だった。

日本海軍の伊号第五八潜水艦がアメリカ巡洋艦インディアナポリスを雷撃で撃沈した。原爆部品輸送後、インディアナポリスは単独航行中だった。
1945年7月30日、第二次世界大戦の海戦において日本海軍の伊号第五八潜水艦がアメリカ巡洋艦インディアナポリスを雷撃で撃沈した。 インディアナポリスは長崎へ投下予定の原爆部品を運搬後、レイテ島へ向けて単独航行していた。 雷撃は夜間に行われ、艦はわずか数分で沈没した。 救助活動は遅れ、多くの乗組員が海中で苦しむこととなった。 この事件は戦争末期の戦訓としても語り継がれている。
1945年 第二次世界大戦 伊号第五八潜水艦 インディアナポリス 原爆部品の輸送
1969年

ベトナム戦争: リチャード・ニクソン米大統領が南ベトナムを突然訪問し、グエン・バン・チュー大統領と会談。

1969年7月30日、ニクソン大統領が南ベトナムを極秘訪問し、グエン・バン・チュー大統領と会談した。
1969年7月30日、ベトナム戦争の最中、リチャード・ニクソン大統領は突然南ベトナムを訪問し、サイゴンでグエン・バン・チュー大統領と会談した。 訪問は極秘裏に計画され、ベトナム現地での安全対策に万全が期された。 この会談では米軍のベトナム撤退計画や平和交渉の進展について協議が行われた。 ニクソンは「ベトナム化政策」を推進し、南ベトナム軍の軍事力強化を約束した。 この訪問はアメリカ国内外に波紋を呼び、戦争終結への道筋に影響を与えた。
1969年 ベトナム戦争 リチャード・ニクソン 南ベトナム グエン・バン・チュー
2006年

レバノン侵攻: イスラエルによってカナ空爆が行われる。

2006年7月30日、レバノン侵攻中にイスラエル軍がカナを空爆し、多数の民間人が死傷した。
2006年7月30日、レバノン南部の村カナに対し、イスラエル国防軍による空爆が行われた。攻撃はヒズボラへの報復を目的としていたが、標的の近隣に逃れた民間人が多数巻き込まれた。国連などの報告によれば少なくとも28人が死亡し、数十人が負傷する大惨事となった。現地では国際的な非難が高まり、イスラエル政府には民間人保護への配慮を求める声が上がった。空爆後、犠牲者の家族や支援団体は真相究明と責任追及を訴え、第二次レバノン戦争の象徴的事件として語り継がれることとなった。
レバノン侵攻 イスラエル カナ空爆