1933年

日本で最初のグライダー滑空場となる霧ヶ峰グライダー滑空場が開場。

日本初のグライダー滑空場、霧ヶ峰グライダー滑空場が開場し、航空レジャーと技術開発を促進した。
1933年7月30日、長野県霧ヶ峰高原に日本初のグライダー滑空場が開場した。 標高約1,650メートルの立地を活かし、安定した気象条件のもと滑空訓練が行われた。 国内外から多くの愛好家や技術者が集まり、航空技術の研究・開発の場となった。 当時の日本航空協会が支援し、滑空機の製造や操縦技術の向上に寄与した。 滑空大会や講習会が定期的に開催され、戦後の航空教育の基盤形成に貢献した。 現在もパラグライダーやグライダーのメッカとして知られている。
1933年
1978年

730。沖縄県で自動車が右側通行から日本本土と同じ左側通行に変更。

沖縄県で自動車の右側通行から左側通行への切り替えが実施され、日本本土と同様の交通ルールに統一された。
1978年7月30日、いわゆる「730(ナナサンマル)」と呼ばれる大規模な道路交通体制の変更が行われました。沖縄県は第二次世界大戦後に米国統治下で右側通行を採用していましたが、本土復帰に合わせて左側通行へ移行。約50万人の住民や警察、運輸関係者が動員され、標識や信号機、バス路線など交通インフラの一斉切り替え作業が行われました。切り替え当日は混乱が最小限に抑えられ、無事に新ルールが定着しました。この出来事は沖縄の本土復帰に伴うシンボル的イベントとして知られています。
1978年 730 沖縄県 自動車 左側通行
1988年

北陸自動車道の新潟県 富山県県境区間(朝日IC 名立谷浜IC)が開通し全線開通。

北陸自動車道の最後の区間が開通し、全線の交通連結が完成した。
1988年7月30日、新潟県と富山県の県境区間(朝日IC〜名立谷浜IC)が開通し、北陸自動車道は全線約476kmの開通を迎えました。これにより東海地方から北陸地方への物流や観光の利便性が大幅に向上。通行料の体系見直しやサービスエリア整備も同時に行われ、地域経済の活性化に寄与しました。北陸地方の産業輸送コストが削減されたほか、災害時の迂回路としての機能も期待されています。現在も国内有数の幹線道路として利用されています。
1988年 北陸自動車道 新潟県 富山県 朝日IC 名立谷浜IC