762年
アッバース朝の新都としてアッバース朝のカリフマンスールバグダッドの街が建設される。
アッバース朝第2代カリフ、マンスールが新都バグダッドを建設しました。
第2代カリフ・アブー・ジャアファル・マンスール(在位754-775年)は政治的・経済的に
有利なティグリス川沿岸に新都の建設を命じました。
バグダッドは円形都市として設計され、城壁と運河が整備されました。
完成後、商業や学問・文化の中心地として発展し「知恵の館」など学術機関が設立。
中世イスラム世界の黄金時代を象徴する都市となりました。
762年
アッバース朝
アッバース朝
マンスール
バグダッド
1419年
第一次プラハ窓外投擲事件。フス戦争の契機となる。
フス派と王権側の対立が激化し、プラハ市議会議員らが窓から放り出された事件です。
1419年7月30日、プラハ新市庁舎の窓外投擲で市議会議員がフス派信徒により
窓から投げ落とされました。
この事件が契機となり、チェコ国内でフス戦争(1419-1434年)が勃発。
宗教改革の先駆けとなったこの衝突は、当時の神聖ローマ帝国やカトリック教会に
大きな影響を与え、ヨーロッパ宗教戦争の前兆ともいわれます。
1419年
第一次プラハ窓外投擲事件
フス戦争
元亀元年6月28日
姉川の戦い。織田信長・徳川家康連合軍が浅井長政・朝倉義景連合軍を破る。
織田信長・徳川家康連合軍が浅井・朝倉連合軍を破った戦国時代の戦いです。
元亀元年(1570年)7月30日、近江国姉川のほとりで織田信長・徳川家康連合軍と
浅井長政・朝倉義景連合軍が激突しました。
戦場となった姉川両岸で銃砲隊や騎馬隊が激しく衝突し、連合軍が勝利。
これにより信長は南近江における浅井氏の勢力を弱体化させ、勢力拡大の足がかりを得ます。
戦国時代の勢力図を大きく塗り替えた重要な戦いです。
1570年
元亀
6月28日
姉川の戦い
織田信長
徳川家康
浅井長政
朝倉義景
1609年
タイコンデロガ(現在のニューヨーク州)でサミュエル・ド・シャンプランが原住民のイロコイ族と戦闘。その後のフランスのケベック植民地の基礎を作る。
シャンプランがイロコイ族と戦闘し、フランス領ケベック建設の基礎を築いた遠征です。
1609年7月30日、フランス探検家サミュエル・ド・シャンプランはタイコンデロガで
イロコイ族の部隊と交戦しました。
この戦闘で先住民勢力との同盟関係が変化し、シャンプランは近隣インディアンと結び
新大陸北東部での影響力を強化します。
後にこの地域を拠点としてケベック植民地が成立し、フランス植民地政策の礎となりました。
1609年
タイコンデロガ
ニューヨーク州
サミュエル・ド・シャンプラン
イロコイ族
1629年
イタリア・ナポリで地震。1万人が死亡。
ナポリで発生した大地震で、多数の死者を出した壊滅的な自然災害です。
1629年7月30日、イタリア南部のナポリを震源とする大規模地震が発生しました。
地震の規模は推定マグニチュード6以上とされ、甚大な被害をもたらします。
倒壊した建物により約1万人が犠牲となり、ナポリ市街は壊滅的被害を受けました。
地震後の火災や疫病の拡大も相次ぎ、復興には長い歳月を要しました。
17世紀ヨーロッパにおける重大な自然災害の一つです。
1629年
イタリア
ナポリ
地震
1733年
ヘンリー・プライスがアメリカのマサチューセッツで、フリーメイソンのグランドロッジを組織した。これは、イングランド、アイルランドに続く世界で3番目に古いものである。
アメリカ・マサチューセッツで世界3番目のフリーメイソン・グランドロッジが設立されました。
1733年7月30日、ヘンリー・プライスの主導によりマサチューセッツ州で
フリーメイソンのグランドロッジが組織されました。
これはイングランド(1717年)とアイルランド(1725年)に次ぐ世界3番目のロッジです。
フリーメイソンリーは互助と自由思想を掲げる結社であり、アメリカ独立運動にも
影響を与えたとされます。
以後、植民地各地でロッジが設立され、社会的ネットワークとして広がっていきました。
1733年
アメリカ
フリーメイソン
1756年
ロシア皇帝エリザヴェータの命によりバルトロメオ・ラストレッリが建築した現在のエカテリーナ宮殿が完成。
ロシア・エリザヴェータ女帝の命で建築されたエカテリーナ宮殿が完成しました。
1756年7月30日、バルトロメオ・ラストレッリの設計によりエカテリーナ宮殿が完成。
宮殿はエリザヴェータ女帝(在位1741-1762年)の夏の離宮として建設されました。
バロック様式を極めた豪華絢爛な装飾が特徴で、後の建築や美術に大きな影響を与えます。
庭園や宮殿内部の大広間は『琥珀の間』などで知られ、ロマノフ王朝の権力と美意識を象徴。
現在も観光名所として世界中から訪問者を集めます。
1756年
エリザヴェータ
バルトロメオ・ラストレッリ
エカテリーナ宮殿
1811年
メキシコ独立運動の指導者ミゲル・イダルゴがスペインの植民地政府により処刑。
メキシコ独立運動の先駆者、ミゲル・イダルゴがスペイン植民地政府により処刑されました。
1811年7月30日、メキシコ独立運動の指導者ミゲル・イダルゴ神父は
スペイン植民地当局に逮捕され処刑されました。
彼は1810年に『ドロレスの叫び』を発し独立蜂起の火ぶたを切った人物です。
処刑後もイダルゴは殉教者として称えられ、メキシコ独立の象徴となります。
その精神は後の独立運動を鼓舞し、1821年の独立達成に大きく貢献しました。
1811年
メキシコ独立運動
ミゲル・イダルゴ
1825年
ライン諸島のマルデン島が英国海軍軍艦HMS Blondeの指揮官ジョージ・バイロン7世によって発見される。
英国海軍の探検隊がライン諸島のマルデン島を発見した地理的発見の出来事です。
1825年7月30日、英国海軍軍艦『HMS Blonde』の指揮官ジョージ・バイロン7世卿が
ライン諸島に属するマルデン島を発見しました。
マルデン島は珊瑚礁の環礁で、当時は無人の小島でした。
発見後、英国は航海記録に記載し、太平洋航路の航海図を更新。
後にこの島は捕鯨活動や植物採集の拠点として注目を集めました。
1825年
ライン諸島
マルデン島
天保8年6月28日
モリソン号事件。日本人漂流民を乗せて浦賀に来航したアメリカの商船「モリソン号」に浦賀奉行が砲撃。
アメリカ商船『モリソン号』が浦賀奉行に砲撃された、鎖国期の異例の事件です。
1837年7月30日(天保8年6月28日)、漂流民を乗せた米国商船『モリソン号』が
浦賀に来航し、浦賀奉行所から砲撃を受けました。
幕府の鎖国政策に反すると判断されたためで、救助行動は拒否されました。
この事件は鎖国体制の硬直性を象徴し、後の開国交渉にも影響を与えます。
国内外で批判を呼び、幕府は外交方針の見直しを迫られる契機となりました。
1837年
天保
6月28日
モリソン号事件
浦賀奉行
1864年
南北戦争: クレーターの戦い。
アメリカ南北戦争中のクレーターの戦いが行われた。
トンネルを使った爆破作戦が試みられ、大きな衝撃を与えた。
1864年の南北戦争末期、聯合軍(北軍)はクレーターを形成するためのトンネルを掘削し、爆薬を仕掛けた。
爆破により地面が大規模に陥没し、南軍(南軍)の防御線に深刻な打撃を与えた。
しかし、遅れた進軍で陥没地形に囚われ、多くの北軍兵士が犠牲となった。
南北ともに数千名規模の戦死傷者を出し、戦闘は混乱のまま終結した。
この戦いは斬新な工兵作戦として注目されたが、戦術的成功には至らなかった。
戦後、軍事史上の教訓として分析され、後の塹壕戦にも影響を与えた。
1864年
南北戦争
クレーターの戦い
1907年
第一次日露協約調印。
日本とロシアが初の協約を締結し、朝鮮及び満州における勢力範囲を定めた。
1907年7月30日、日本帝国とロシア帝国は第一次日露協約に調印した。
同協約では朝鮮半島を日本の、満州をロシアの勢力範囲とすることが確認された。
これにより両国の緊張は一時的に緩和され、日露関係は外交的安定を迎えた。
協約はイギリスとも連携した三国協約の一環であり、植民地政策に影響を与えた。
後に関東州租借や満鉄設立など、東アジア政策の基盤となった。
一方で対露傾斜を深めたことで列強間のバランスに微妙な変化をもたらした。
1907年
第一次日露協約