1942年

金鵄(タバコ)のバラ売りが始まる。戦時中の混乱にあって、包装用箱が製造できなくなったため。

戦時中の物資不足を受け、金鵄ブランドのタバコが1本単位でバラ売りされた。
1942年7月28日、包装用の箱が不足したため、日本たばこ産業の金鵄(きんし)ブランドで1本売りが始まりました。 これは戦時下での紙資源や金属の配給制限が原因で、消費者にとっても新たな購入スタイルとなりました。 バラ売りは戦後もしばらく続き、タバコ文化の一端として記憶されています。 戦時経済の物資管理や国民生活への影響を象徴するエピソードでもあります。 戦後、包装資材の安定供給が再開されるまでバラ売りは続き、戦中の文化的記憶として残りました。
金鵄(タバコ)
1950年

報道機関でレッドパージが始まる。初日だけでも朝日新聞社72人、毎日新聞社49人、読売新聞社34人、日本経済新聞社10人、東京新聞社8人、日本放送協会104人、時事通信社16人、共同通信社33人が解雇。

1950年、米軍占領政策の一環として報道機関でレッドパージが実施され、多数の報道関係者が解雇されました。
・GHQ(連合国軍総司令部)は共産主義者排除を目的に報道機関でレッドパージを指示しました。 ・初日の7月28日だけで朝日新聞72人、毎日新聞49人、読売新聞34人など計数百名が職を失いました。 ・日本経済新聞社や日本放送協会(NHK)など各社を対象に厳格な人事検査が行われました。 ・この措置は報道の自由や言論統制の問題を浮き彫りにし、後のメディア史に大きな影響を与えました。 ・国内では批判と擁護の声が分かれ、占領期の検閲・統制政策を象徴する出来事とされています。
1950年 報道機関 レッドパージ 朝日新聞 毎日新聞 読売新聞 日本経済新聞 東京新聞 日本放送協会 時事通信 共同通信
1974年

冨士大石寺顕正会が明治公園で「立正安国野外集会」を行う。3,000人が参加し、創価文化会館(創価学会本部)までデモ行進。

1974年7月28日、冨士大石寺顕正会が明治公園で大規模野外集会を開催し、創価学会本部までデモ行進を行いました。
・冨士大石寺顕正会は日蓮宗本門法華宗の教団であり、1974年に宗教的見解の違いから創価学会と対立を深めていました。 ・本集会には約3,000人が参加し、「立正安国野外集会」と銘打って開かれました。 ・終了後、参加者は創価文化会館までパレードを行い、宗教的メッセージと抗議の意を示しました。 ・当日は多くの警察官が警備にあたり、大規模集会としては戦後最大級の動員となりました。 ・この出来事は宗教運動と信教の自由を巡る議論を呼び起こし、社会的な注目を集めました。
冨士大石寺顕正会 明治公園 創価学会