1214年

ブーヴィーヌの戦い。フランス王フィリップ2世がイングランド王ジョンを破る。

1214年、中世ヨーロッパの覇権をかけた大規模な戦いです。フランス王フィリップ2世がイングランド王ジョン率いる軍を打ち破り、カペー朝の勢力を確固たるものとしました。
戦いはフランス北部のブーヴィーヌ近郊で行われ、神聖ローマ帝国やフランドル伯も介入した連合軍と対峙しました。フィリップ2世は巧みな戦術で敵の大軍を分断し、要所を制圧して勝利を収めました。この勝利によりフィリップ2世は国内の統治基盤を強化し、中央集権化を推進しました。対するイングランド王ジョンは権威を大きく失墜させ、後のマグナ・カルタ締結にも影響を与えました。ブーヴィーヌの戦いは中世ヨーロッパの勢力図を書き換える転換点として知られています。
1214年 ブーヴィーヌの戦い フィリップ2世 ジョン
1778年

アメリカ独立戦争: ウェサン島の海戦。

1778年7月27日、アメリカ独立戦争の戦局を左右する海戦がイギリス海軍とフランス海軍の間でウェサン島沖で行われました。
この海戦はイギリス海軍のケッペル提督とフランス海軍のドルヴィリエ提督が指揮を執りました。両艦隊は激しい砲撃戦を繰り広げましたが、決定的な勝利は得られず戦況は宙ぶらりんのまま終結しました。フランス王ルイ16世の支援を受けたアメリカ側は海上戦力の均衡を示し、独立戦争へのフランス参戦の意義を示しました。この結果、イギリスはアメリカ東海岸への補給線維持に苦慮し、戦略に影響を及ぼしました。戦後、両国艦隊は港に退き、海上戦における戦術や艦隊運用の見直しが行われました。
1778年 アメリカ独立戦争 ウェサン島の海戦
1930年

第一次国共内戦。中国で紅軍が長沙を占領。湖南省ソビエト政権樹立。

1930年7月27日、第一次国共内戦で中国共産党紅軍が長沙を占領し、湖南ソビエト政権を樹立しました。
中華民国政府軍との内戦が激化する中、紅軍は湖南省の要衝である長沙を制圧しました。 これに伴い湖南ソビエト政権が発足し、共産党による農民政策や土地改革が試みられました。 しかし国民党の反攻によって政権は数ヶ月で崩壊し、内戦はその後も断続的に続きました。
1930年 第一次国共内戦 紅軍 長沙
1953年

朝鮮戦争: 板門店で休戦協定が調印され、現在の軍事境界線が設定される。

1950年から続いた朝鮮戦争での膠着状態を終わらせるべく、板門店で休戦協定が調印され、現在の軍事境界線が設置されました。
1950年から続いた朝鮮戦争は長期間におよぶ消耗戦の末、北朝鮮と中国を支持する側と国連軍(主にアメリカ及び韓国軍)との間で休戦協定が締結されました。調印式は板門店の北朝鮮側の施設で行われ、1953年7月27日に共同警備区域を分断する38度線を基に新たな軍事境界線が設定されました。これにより、朝鮮半島は南北それぞれ停戦ラインを境に分割され、現在に至るまで非武装地帯(DMZ)が存在することとなりました。また、休戦協定には戦争捕虜の帰還や捕虜交換に関する条項も含まれています。休戦は正式な和平条約ではなく、技術的には戦争状態が継続しているものの、実質的な戦闘は停止した点が特徴です。板門店は以後、南北協議の場としても使用されるようになり、歴史的な象徴となっています。
1953年 朝鮮戦争 板門店 休戦協定 軍事境界線