946年

ムハンマド・ブン・トゥグジュ

(882 - 946)

イフシード朝の創始者

イフシード朝の創始者
イフシード朝の創始者で、エジプトとシリアを支配したイスラーム世界の有力な統治者。
882年に生まれたムハンマド・ブン・トゥグジュは、アッバース朝のエジプト総督として権勢を振るい、後にイフシード朝を樹立しました。 自らを「イクシード」と称し、実質的に独立国家を築き上げ、シリア地方にも影響力を拡大しました。 都をフスタート(現カイロ)に据え、行政・財政改革を推進して地域の安定化を図りました。 学問や文化にも理解を示し、宮廷では詩人や学者を保護しました。 946年の死去までに、イフシード朝はアッバース朝中枢からの独立性を維持し、彼の後継者たちへ受け継がれました。
946年 ムハンマド・ブン・トゥグジュ イフシード朝 882年
1115年

マティルデ・ディ・カノッサ

(1046 - 1115)

トスカーナ女伯

トスカーナ女伯
トスカーナ女伯として中世イタリアで政治的影響力を行使し、教皇派と皇帝派の対立で重要な役割を果たした。
1046年に生まれたマティルデ・ディ・カノッサは、トスカーナ地域を治めた女伯で、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世と教皇グレゴリウス7世の対立(叙任権闘争)において教皇側を支持しました。 1077年のカノッサの屈辱で知られるハインリヒ4世の謝罪を受け入れ、中世ヨーロッパの政治史に大きな足跡を残しました。 自領の城塞や都市を要所に築き、トスカーナの防衛と統治を強化しました。 教会改革運動にも積極的に関与し、多くの修道院や教会を支援しました。 1115年に没し、その死後も彼女の遺産は後世の政治・宗教に影響を与え続けました。
1115年 マティルデ・ディ・カノッサ トスカーナ女伯 1046年
大治4年7月7日

白河天皇

(1053 - 1129)

第72代天皇

第72代天皇
第72代天皇として院政を開始し、平安時代後期の政治に大きな影響を与えた。
1053年に生まれ、第72代天皇として1073年に即位しました。 時の権力構造に不満を抱き、1086年に譲位後も上皇として実権を掌握する院政を開始し、貴族社会の勢力均衡を図りました。 院政は藤原氏の太政大臣就任を制限し、天皇中心の政治体制を復活させる試みとされます。 学問と文化にも造詣が深く、歌学や仏教に関心を示し、多くの典籍を収集しました。 1129年の崩御まで院政を維持し、平安時代後期の政治の在り方に大きな影響を与えました。
1129年 大治 7月7日 白河天皇 天皇 1053年
1568年

カルロス(ドン・カルロ)

(1545 - 1568)

アストゥリアス公

アストゥリアス公
スペイン王位継承者として知られ、父王フィリップ2世との確執が悲劇的な最期を迎えた王子。
1545年にマドリードで生まれ、父フェリペ2世の後継者として教育を受けました。 華やかな宮廷生活の中で政治的能力を期待されましたが、性格や精神的な不安定さが問題視されました。 若くしてネーデルラント総督就任を志しながらも父との意見対立が深刻化し、宮廷内で孤立しました。 1568年、宮廷内での軋轢から監禁され、23歳で非業の死を遂げました。 その死因はいまだに論争が続き、歴史的ミステリーの一つとなっています。
1568年 カルロス アストゥリアス公 1545年
天正17年6月12日

上井覚兼

(1545 - 1589)

戦国時代の島津氏家臣

戦国時代の島津氏家臣
島津氏に仕えた戦国時代の武将・家臣で、領国の統治と軍事に貢献した。
1545年に生まれ、島津氏の家臣として仕えました。 領国の警備や城郭の管理を担い、島津家の勢力拡大に貢献しました。 特に領内の治安維持や農民徴税制度の整備に尽力し、領地経営を支えました。 大名間の合戦でも軍役を果たし、忠誠を尽くしました。 1589年に死去するまで、島津氏の家臣団を支える重鎮として活動しました。
1589年 天正 6月12日 上井覚兼 戦国時代 島津氏 1545年
元和4年6月3日

鍋島直茂

(1538 - 1618)

戦国武将

戦国武将
戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍し、佐賀藩の礎を築いた武将・大名。
1538年に生まれ、若くして戦場で頭角を現し、豊臣秀吉の天下統一事業にも協力しました。 関ヶ原の戦いでは東軍に属し、戦後は徳川家康から佐賀藩主に任じられました。 初代鍋島氏の藩主として領国経営に尽力し、農業政策や治水事業で藩の財政基盤を強化しました。 文化・学問にも理解を示し、領内に学問所を設立して人材育成に力を入れました。 1618年に没し、彼の築いた基盤は子孫へと受け継がれました。
1618年 元和 6月3日 鍋島直茂 戦国武将 1538年
1739年

ベネデット・マルチェッロ

(1686 - 1739)

作曲家

作曲家
バロック期のイタリアで活躍した作曲家・チェンバロ奏者で、宗教曲や器楽曲を多数残した。
1686年にヴェネツィアで生まれ、貴族の教養として音楽を学びました。 兄アレッサンドロと共に作曲家として活躍し、とりわけ宗教合唱曲集『詩的調和の霊感』で名を馳せました。 彼はチェンバロ奏者としても高い評価を受け、優雅な器楽曲を数多く残しました。 音楽理論にも造詣が深く、ヴェルクマイスター音律に関する論文を執筆しました。 1739年に没し、バロック音楽の発展に寄与した重要な作曲家とされています。
1739年 ベネデット・マルチェッロ 作曲家 1686年
延享5年6月29日

牧野忠敬

(1729 - 1748)

第6代越後長岡藩主

第6代越後長岡藩主
越後長岡藩の第6代藩主として領国経営を行った大名。
1729年に生まれ、第6代越後長岡藩主として藩政を担いました。 家督を継いだ後、財政改革や治水工事に着手し、領民の生活安定に努めました。 文化事業にも関心を示し、学問所や寺社の保護・整備を推進しました。 江戸幕府との関係を良好に保ちつつ、独自の領国政策を推進し、藩の自立性を高めました。 1748年に27歳で没し、短い治世ながらも改革志向の大名として知られています。
1748年 延享 6月29日 牧野忠敬 越後長岡藩主 1729年
宝暦5年6月16日

島津重年

(1729 - 1755)

第7代薩摩藩主

第7代薩摩藩主
薩摩藩の第7代藩主として領国を治めた江戸時代の大名。
1729年に生まれ、第7代薩摩藩主として藩政を担いました。 享保年間の財政難に対処するため、藩財政の立て直しに努めました。 特産品の育成や交易振興を図り、領内経済の活性化を模索しました。 また、幕府との関係にも配慮し、藩主としての安定した統治を目指しました。 1755年に26歳で死去し、短命ながらも藩政改革の志を示しました。
1755年 宝暦 6月16日 島津重年 薩摩藩主 1729年
明和7年閏6月2日

藤堂高悠

(1751 - 1770)

第8代津藩主

第8代津藩主
津藩の第8代藩主として藩政を担った江戸時代の大名。
1751年に生まれ、第8代津藩主に就任しました。 藩財政や領民生活の改善に努め、治水工事や農村振興策を実施しました。 学問や文化事業にも理解を示し、藩校の整備に携わりました。 若くして病没し、わずか20年の治世であったものの改革志向を示しました。 1770年に死去し、その遺志は後継者に受け継がれました。
1770年 明和 6月2日 藤堂高悠 津藩主 1751年
文政9年6月8日

阿部正精

(1775 - 1826)

江戸幕府老中・第5代備後福山藩主

江戸幕府老中・第5代備後福山藩主
江戸幕府の老中として幕政を支え、備後福山藩主を務めた武士。
阿部正精は譜代大名阿部氏の一門に生まれ、備後福山藩主を継承した。 幕政では老中として幕府の最高職の一つを務め、財政・人事などに携わった。 藩政改革に取り組み、領内の財政基盤の強化や農村振興を進めた。 幕府老中として江戸城に入府し、対外政策や幕府内の調整役を果たした。 晩年は家業や後継者育成に注力し、1826年にその生涯を閉じた。
1826年 文政 6月8日 阿部正精 江戸幕府 老中 備後福山藩主 1775年
1838年

フレデリック・キュヴィエ

(1773 - 1838)

動物学者

動物学者
フランスの動物学者で、脊椎動物の解剖学と分類学に貢献した。
フレデリック・キュヴィエはフランスの著名な動物学者。 パリの国立自然史博物館で研究・教育に携わり、脊椎動物の解剖学と分類学を専門とした。 哺乳類を中心に多くの標本を収集・研究し、新種の記載や分類体系の整備を進めた。 兄のジョルジュ・キュヴィエと共に比較解剖学の発展に寄与し、19世紀の動物学界に影響を与えた。 数々の学術著作を残し、後進の研究者育成にも尽力した。
1838年 フレデリック・キュヴィエ 動物学者 1773年