1892年

徳島市内で高潮の被害。市内の約8割が浸水し、死者311人、全壊家屋2635戸、半壊家屋2559戸、流失家屋644戸などの被害。

高潮による大規模な浸水被害が発生し、多数の死傷者と家屋倒壊を出しました。
1892年7月23日、徳島市を襲った高潮により市内の約8割が浸水しました。 高潮は台風の影響と河川堤防の決壊が同時に起こったことで甚大な被害をもたらします。 死者311人、全壊家屋2635戸、半壊家屋2559戸、流失家屋644戸に及びました。 被災地では救援活動が急務となり、徳島藩や民間が協力して復旧作業を進めました。 この災害は防潮施設強化や水害対策の重要性を浮き彫りにしました。
1892年 徳島市 高潮
1948年

北陸地方で集中豪雨。富山県、石川県、福井県、滋賀県で死者・行方不明者14人、負傷者138人、建物全壊307棟、流失建物4047棟、床上浸水19928棟。

北陸地方を襲った集中豪雨により、14名の死者・行方不明者と多数の建物被害が発生した。
1948年7月23日未明から北陸地方(富山県、石川県、福井県、滋賀県)で記録的な豪雨が発生。 河川の氾濫や山津波が各地で発生し、死者・行方不明者は合計14名に上った。 負傷者138名、全壊307棟、流失4047棟、床上浸水19928棟の甚大な被害を記録した。 インフラや交通網も寸断され、復旧作業には数か月を要した。 この災害を契機に、治水対策や早期警報システムの整備が進められるようになった。
1948年 北陸地方 集中豪雨 富山県 石川県 福井県 滋賀県
1958年

台風11号が静岡県に上陸。関東地方などに被害をもたらす。

1958年7月23日、台風11号が静岡県に上陸し、関東地方を中心に豪雨と強風による被害をもたらしました。
1958年7月23日、非常に強い勢力を保った台風11号が静岡県に上陸しました。 上陸後も関東地方を縦断し、各地で大雨や暴風を引き起こしました。 河川の氾濫や土砂崩れが発生し、住宅や農地に多大な被害が出ました。 交通網も寸断され、鉄道や道路が通行止めとなりました。 人的被害としても怪我人や避難者が発生し、復旧に長期間を要しました。 この台風は戦後日本の台風被害の大きさを改めて知らしめる契機となりました。
1958年 台風11号 静岡県 上陸 関東地方
1982年

九州地方北部の集中豪雨(昭和57年7月豪雨)により長崎市を中心に大きな被害。死者・行方不明者計299名。(長崎大水害)

1982年7月23日、九州北部を襲った集中豪雨により長崎市を中心に大規模な水害が発生しました。
1982年7月23日から連続的に九州北部に猛烈な集中豪雨が襲来し、 特に長崎市周辺で河川の氾濫や土石流が多発しました。 昭和57年7月豪雨として知られるこの災害では、 死者・行方不明者合わせて299名に上る甚大な人的被害が発生しました。 住宅や農地が浸水し、多くの住民が避難を余儀なくされました。 交通網やライフラインも寸断され、復旧には長期間を要しました。 この災害を契機に全国的な洪水対策や治水事業の見直しが進められました。
1982年 九州地方 集中豪雨 長崎市 長崎大水害
1983年

ギムリー・グライダー。エア・カナダ143便が飛行中に燃料切れになり、滑空によりギムリー空軍基地跡地に無事着陸。

エア・カナダ143便は燃料切れにより滑空し、無人の旧軍基地跡に緊急着陸しました。奇跡的に乗員乗客全員が無事でした。
1983年7月23日、エア・カナダ143便は燃料計算ミスにより予定飛行中に燃料枯渇を起こしました。 乗務員は機体を滑空させ、カナダ中部のギムリー旧空軍基地跡地に奇跡的に無事着陸させました。 当時のボーイング767は双発機でありながら完全にエンジン停止となり、パイロットの腕が試されました。 幸いにも滑走路は撤去済みの廃墟であったため、地上建造物への被害は免れました。 乗員乗客247名は全員無傷であり、その冷静な操作は“ギムリー・グライダー”として航空史に残りました。 この事故を機に航空会社での燃料管理手順が大幅に見直され、安全対策が強化されました。
ギムリー・グライダー エア・カナダ 滑空
1983年

島根県西部で集中豪雨による被害。死者・行方不明者107名、負傷者159人、損壊・浸水家屋17,000棟以上という大きな被害が発生した。

島根県西部を襲った集中豪雨で多くの住民が犠牲となり、家屋被害が甚大でした。
1983年7月23日からの集中豪雨により、島根県西部で河川の氾濫や土砂崩れが多発しました。 死者・行方不明者は107名、負傷者は159名に上り、地域社会に深刻な影響を与えました。 約17,000棟以上の家屋が損壊・浸水し、多数の住民が避難生活を余儀なくされました。 道路や鉄道も寸断され、救援活動は困難を極めました。 この災害を契機に防災計画の見直しや河川改修、早期避難体制の整備が進められました。
島根県 集中豪雨による被害
1988年

なだしお事件。遊漁船の乗員・乗客30人が死亡。

遊漁船『なだしお』が沈没し、乗員・乗客30人が死亡した海難事故です。
1988年7月23日、遊漁船『なだしお』が日本海で転覆・沈没しました。 船は漁業体験などを行う遊漁船で、台風接近下の悪天候が影響したとされています。 乗員・乗客30名は海中に投じられ、多くが救助に間に合わず命を落としました。 事故後、遊漁船の安全基準や操業規則の厳格化が求められました。 海上保安庁は事故原因を調査し、乗客への安全教育の重要性を強調しました。
なだしお事件
2005年

千葉県北西部地震。東京都足立区で震度5強を観測した。

千葉県北西部を震源とする地震で、東京都足立区で震度5強を観測しました。
2005年7月23日午前6時56分頃、千葉県北西部を震源とするマグニチュード6.0の地震が発生しました。東京都足立区では震度5強を記録し、建物被害や交通機関の一時運休が発生しました。千葉県内でも塀の倒壊や家具の転倒など中規模の被害が報告されました。気象庁は継続的な余震に注意を呼びかけ、地域住民の防災意識が高まりました。
2005年 千葉県北西部地震 東京都 足立区
2011年

2011年温州市鉄道衝突脱線事故: 中華人民共和国・浙江省温州市で高速鉄道同士が衝突・脱線し、35人が死亡・約200人が負傷。

中国・温州市で高速鉄道同士が衝突・脱線し、多数の死傷者が出た大事故です。
2011年7月23日、中国浙江省温州市近郊の鉄道線路で高速鉄道同士が衝突・脱線しました。 衝突した2編成のCRH系列高速列車はトンネル付近で衝突し、脱線した車両が橋梁から落下しました。 事故により乗客35名が死亡、約200名が負傷する甚大な被害が発生しました。 中国高速鉄道の安全性や運行管理体制に疑問が投げかけられ、国内外で大きな衝撃を与えました。 この事故を契機に中国政府は鉄道安全対策や緊急対応の強化を図りました。
2011年 2011年温州市鉄道衝突脱線事故 中華人民共和国 浙江省 温州市 高速鉄道
2018年

セーピアン・セーナムノイダム決壊事故: ラオス・セーピアン・セーナムノイダムの1つが決壊。

ラオスのセーピアン・セーナムノイダムの一部が決壊し、大規模な洪水被害が発生しました。
2018年7月23日、ラオス南部のセーピアン・セーナムノイダムの2号ダムが決壊しました。 ダムの決壊により下流域に大量の水が一気に流れ込み、多数の住民が家屋ごと押し流されました。 公式発表では死者20名以上、行方不明者多数、数万人が避難を余儀なくされる深刻な被害となりました。 決壊原因には大雨や施工不備、維持管理の問題などが指摘されました。 この事故を受けて周辺国や国際機関が救援活動を展開し、ダム建設プロジェクトの安全性検証が要求されました。
2018年 セーピアン・セーナムノイダム決壊事故 ラオス セーピアン・セーナムノイダム
2018年

アッティカ山火事: ギリシャ首都アテネの東約30キロにあるエーゲ海沿いの避暑地マティなどで山火事が発生。火が強風にあおられて拡大し、多数の死傷者が出た。

ギリシャ・アッティカ地域で発生した山火事が強風に煽られ多数の死傷者を出しました。
2018年7月23日、ギリシャ東部アッティカ地域の海岸沿いリゾート地マティなどで大規模な山火事が発生しました。 強風の影響で火の勢いが急速に拡大し、避難が間に合わず多くの観光客や住民が被害に遭いました。 ギリシャ政府は非常事態宣言を発令し、消火支援に海軍、外国からの消防隊を要請しました。 最終的に死者100名以上、負傷者多数という悲惨な結果となり、欧州でも戦後最悪級の山火事として記憶されています。 気候変動との関連や都市周辺の森林管理の在り方が国内外で議論を呼びました。
アッティカ山火事 ギリシャ アテネ エーゲ海
2023年

中国東北部の黒竜江省チチハル市にある中学校で、体育館の屋根が崩落する事故が発生し19人が閉じ込められる。翌日朝までに10人の死亡が確認される。

中国・黒竜江省チチハル市の中学校で体育館の屋根が崩落し、多数の生徒や教職員が閉じ込められた。翌日までに10人の死亡が確認された。
2023年7月23日午後、中国東北部・黒竜江省チチハル市にある中学校の体育館屋根が突然崩落した。崩落時には授業や部活動が行われており、19人が倒壊した瓦礫の下に閉じ込められた。現場にはすぐに救助隊や消防が出動し、負傷者の救出や瓦礫の撤去作業が行われた。翌朝までに10人の死亡が確認され、残る負傷者は病院に搬送され治療を受けた。事故原因は構造上の欠陥や設計ミス、老朽化の可能性も指摘され、関係当局が調査を進めている。
2023年 黒竜江省 チチハル市