紀元前356年

アレクサンドロス3世

マケドニア王国バシレウス (紀元前323年)

マケドニア王国バシレウス (紀元前323年)
マケドニア王国の王で、東方遠征を通じて広大な帝国を築いた。史上屈指の軍事指導者。
紀元前356年に生まれ、父王フィリッポス2世の死後、若干20歳で王位を継承した。紀元前334年から東方遠征を開始し、ペルシャ帝国を攻略した。インドまで進軍を続け、未踏の地を切り開いてギリシア文化を広めた。征服地には都市「アレクサンドリア」を各地に築き、ヘレニズム文化の普及に大きく貢献した。紀元前323年にバビロンで急逝し、帝国は将軍たちによって分割された。
紀元前356年 アレクサンドロス3世
1304年

ペトラルカ

(1304 - 1374)

詩人

詩人
イタリア・アレッツォ出身の詩人で、『カンツォニエーレ』で知られる人文主義の先駆者。
1304年に生まれ、中世後期のイタリアで活動した。叙情詩『カンツォニエーレ』でラウラへの愛を詠み、ソネット形式を確立した。古典ラテン文学の研究を通じて人文主義を推進し、ルネサンス文化への礎を築いた。古典文献の収集活動は後世の学者に大きな影響を与えた。1374年に死去し、その詩作と思索は現代まで読み継がれている。
1304年 ペトラルカ 詩人 1374年
1659年

イアサント・リゴー

(1659 - 1743)

画家

画家
フランス・バロック期の肖像画家で、貴族や王族の肖像を数多く手がけた。
1659年に生まれ、主にルイ14世や貴族の宮廷画家として活躍した。緻密で豪華な衣装表現に定評があり、権力者の威光を印象づける作品を制作した。代表作には『ルイ14世像』があり、当時のヨーロッパの服飾美術を伝えている。1743年にパリで没し、その肖像技法は後の画家に大きな影響を与えた。
1659年 イアサント・リゴー 画家 1743年
1744年

ジョシュア・クレイトン

(1744 - 1798)

医師、政治家

医師 政治家
アメリカの医師・政治家で、デラウェア州知事を務めた。
1744年に生まれ、医学を学んで医師として活動した。アメリカ独立戦争中は軍医として従軍し、戦時医療に貢献した。戦後はデラウェア州議会議員を経て、1789年から1793年まで州知事を務めた。在任中は公共医療や教育制度の整備を推進した。1798年に死去し、同州の政治史にその名を刻んだ。
1744年 ジョシュア・クレイトン 医師 政治家 1798年
天明6年6月3日

相馬祥胤

(1765 - 1816)

第9代中村藩主

第9代中村藩主
江戸時代中期の大名、第9代中村藩主として藩政を担った。
1765年に生まれ、第9代中村藩主として藩政を担った。領内の財政再建や治水事業に注力し、農村の振興を図った。藩校整備や学問奨励にも取り組み、教育文化の振興を推進した。1816年に死去し、その治世は藩政の安定と発展に寄与した。
1765年 天明 6月3日 相馬祥胤 中村藩主 1816年
天明6年6月28日

松平頼慎

(1770 - 1830)

第4代守山藩主

第4代守山藩主
江戸時代後期の大名、第4代守山藩主として藩政にあたった。
1770年に生まれ、第4代守山藩主を継承した。藩の財政再建のため倹約令を施行し、経済改革を進めた。農業振興や治水事業に取り組み、領民生活の安定に努めた。藩校整備や儒学教育にも理解を示し、文化振興に貢献した。1830年に死去し、守山藩の基礎固めに寄与した。
1770年 天明 6月28日 松平頼慎 守山藩主 1830年
天明6年6月25日

山内豊武

(1786 - 1825)

第3代土佐新田藩主

第3代土佐新田藩主
江戸時代後期の大名、第3代土佐新田藩主として藩政を担当した。
1786年に生まれ、第3代土佐新田藩主として藩政を取り仕切った。財政再建や治水事業に注力し、農業生産性の向上を図った。藩校の整備や学問奨励を推進し、文化教育の振興に努めた。1825年に死去し、藩の安定と発展に貢献した。
1786年 天明 6月25日 山内豊武 土佐新田藩主 1825年
1804年

リチャード・オーウェン

(1804 - 1892)

生物学者

生物学者
イギリスの生物学者で、恐竜という言葉を造語し古生物学の発展に寄与した。
1804年に生まれ、比較解剖学の研究を通じて脊椎動物の系統分類を行った。1842年に『Dinosauria(恐竜)』という名称を提唱し、古生物学の礎を築いた。ロンドン自然史博物館の設立に関与し、多くの化石を収集・研究した。晩年は博物館長や教授職を務め、学界に大きな影響を与えた。1892年に死去した。
1804年 リチャード・オーウェン 生物学者 1892年
文政2年5月29日

徳川斉温

(1819 - 1839)

第11代尾張藩主

第11代尾張藩主
江戸時代中期の大名、第11代尾張藩主として藩政を統括した。
1819年に生まれ、第11代尾張藩主を継承した。藩財政の健全化を図るため改革を実施し、倹約や産業振興に尽力した。藩校の整備や学問奨励にも尽力し、文化藩政を推進した。1839年に若くして急死し、その急逝は藩に衝撃を与えた。
1819年 文政 5月29日 徳川斉温 尾張藩主 1839年
1822年

グレゴール・ヨハン・メンデル

(1822 - 1884)

遺伝学者、修道士

遺伝学者 修道士
オーストリア出身の修道士で、エンドウ豆の交配実験により遺伝の法則を発見した。
1822年に生まれ、オーストリアの修道院で修道士として学んだ。エンドウ豆を使った交配実験で優性と分離の法則を発見し、遺伝学の父と称される。成果は発表当初は注目を集めなかったが、20世紀初頭に再発見されて遺伝学の基礎となった。修道院の教育者としても活動し、自然科学教育に貢献した。1884年に死去した。
1822年 グレゴール・ヨハン・メンデル 1884年
1847年

マックス・リーバーマン

(1847 - 1935)

画家

画家
ドイツの画家。ドイツ印象派を代表し、ベルリン分離派の中心人物として活躍した。
1847年にベルリンで生まれ、風景画や肖像画を得意とし、印象派の手法を取り入れた作品で知られる。 パリやオランダを訪れ、光と色彩の表現を深め、ベルリン分離派の設立に関わり初代会長を務めた。 その革新的な活動はドイツ美術界に大きな影響を与え、ヨーロッパ各地で評価を得た。 ナチス政権下では「退廃芸術」と見なされたが、戦後再評価が進み、現在も国内外で展覧会が開かれている。 1935年にベルリンで没し、多くの作品が美術館に収蔵されている。
1847年 マックス・リーバーマン 1935年
文久元年6月13日

白瀬矗

(1861 - 1946)

南極探険家

南極探険家
日本の南極探検家。1910年に南極探検隊を率い、当時の南緯80度5分に到達した。
1861年に青森で生まれ、帝国陸軍を経て独自に資金を集め南極探検を実施。 1911年から翌年にかけて南極へ向かい、当時の最南記録を更新する成果を挙げた。 厳しい環境下で探検隊を指揮し、多くの地理資料と写真を持ち帰った。 帰国後は研究発表を行い、一時は資金難に苦しんだが戦後再評価され功績が顕彰された。 1946年に没し、南極の山や氷河に彼の名を冠した地名が残る。
1861年 文久 6月13日 白瀬矗 南極 1946年