64年
ローマ大火
西暦64年7月19日に発生したローマ市街を襲った大規模火災。
西暦64年7月19日に起こったローマ大火は、都市の大部分を焼き尽くしたとされる火災です。
皇帝ネロの治世中に発生し、6日間にわたって延焼を続けました。
古代ローマの木造家屋が密集していたため、燃え広がりは猛烈でした。
火災後、ネロはローマの再建と自身の豪華な宮殿建設を進めました。
一方で、ネロ自らが火を放ったという説もあり、歴史的議論が絶えません。
この事件は古代都市の危険性と権力者の影響力を象徴しています。
64年
ローマ大火
711年
グアダレテの戦い。タリク・イブン・ジヤード率いるムスリム軍が西ゴート王国のロデリック王を破る。
711年7月19日にムスリム軍が西ゴート王国を打ち破った歴史的戦闘。
711年7月19日に起こったグアダレテの戦いは、タリク・イブン・ジヤード率いるウマイヤ朝の軍勢が西ゴート王国を撃破した戦闘です。
イベリア半島南部に上陸したムスリム軍は、数で劣るゴート王ロデリックの軍を包囲し打倒しました。
この勝利によりイベリア半島でのイスラム勢力の支配が始まり、後のアル=アンダルス時代へとつながります。
戦術的な奇襲と騎兵の機動性が勝因とされ、ヨーロッパ史に大きな影響を与えた戦闘です。
スペイン史でも画期的な転換点となりました。
711年
グアダレテの戦い
英語版
タリク・イブン・ジヤード
ムスリム
西ゴート王国
ロデリック
天禄元年6月14日
祇園祭が初めて官祭として実施。以降毎年行われるようになる。
970年7月19日、京都で祇園祭が初めて朝廷の正式祭礼として行われた。
平安時代の天禄元年6月14日(現行暦の7月19日)、京都の八坂神社(当時の祇園社)で祇園祭が初めて官営の祭礼として実施されました。
疫病退散を祈願する御霊会として始まり、その後毎年開催されるようになります。
鉾や山鉾の巡行、神事、宴会など多彩な行事が繰り広げられ、平安京の庶民文化を象徴しました。
現代の祇園祭は日本三大祭りの一つに数えられ、1ヶ月以上にわたる祭礼として国内外から多くの観光客を集めます。
千年以上の歴史を誇り、伝統と革新が融合した祭りとして知られています。
970年
天禄
6月14日
祇園祭
1333年
第二次スコットランド独立戦争: ハリドンヒルの戦い。
1333年7月19日、第二次スコットランド独立戦争中のハリドンヒルの戦いが発生。
1333年7月19日、イングランド軍とスコットランド軍が北東イングランドで衝突し、ハリドンヒルの戦いが行われました。
イングランド王エドワード3世の軍勢が山の高地を確保し、有利な地形を生かして射撃陣でスコットランド軍に大打撃を与えました。
アーチャーの連続射撃により、スコットランド側は大損害を受け、多くの貴族も戦死または捕虜となります。
この勝利は一時的にイングランドの優位を決定づけ、第二次独立戦争の重要な転換点となりました。
戦術と地形利用の典型例として軍事史に残る戦いです。
1333年
第二次スコットランド独立戦争
ハリドンヒルの戦い
英語版
1544年
第4次イタリア戦争: ブローニュ攻城戦が始まる。
1544年7月19日、第4次イタリア戦争でブローニュ攻城戦が開始。
1544年7月19日、フランスとハプスブルク帝国の対立から始まった第4次イタリア戦争において、英仏連合軍がフランス北部の要衝ブローニュへの攻城戦を開始しました。
イングランド王ヘンリー8世と神聖ローマ皇帝カール5世が同盟を組み、フランス領への圧力を強める狙いがありました。
要塞都市ブローニュを落とすことで戦略的優位を確保し、講和交渉を有利に運ぼうとしました。
攻城戦は数週間にわたり、多数の大砲と破城槌が投入され、当時の軍事技術を象徴しました。
この戦いはヨーロッパの勢力均衡に大きな影響を与えた重要な出来事です。
1544年
第4次イタリア戦争
ブローニュ攻城戦
英語版
1545年
前日のソレントの海戦で炎上したイングランドの軍艦「メアリー・ローズ」がプリマス沖で沈没。
1545年7月19日、イングランド王ヘンリー8世の旗艦メアリー・ローズが沈没。
1545年7月19日、イングランド海軍の軍艦『メアリー・ローズ』がプリマス沖で沈没しました。
前日のソレントの海戦で火薬庫が損傷を受け、帰還中に揺れによって引火したとされています。
乗組員約500名のうちおよそ350名が戦死または行方不明となりました。
1982年に沈没地点から引き揚げられ、16世紀の海軍装備や日用品が数多く発見されました。
発見物はイギリス海軍史や当時の生活文化を物語る貴重な史料となっています。
1545年
メアリー・ローズ
プリマス
1553年
即位9日目のジェーン・グレイが逮捕・廃位され、メアリー1世がイングランド女王に即位。
1553年7月19日、ジェーン・グレイが廃位され、メアリー1世が即位。
1553年7月19日、即位からわずか9日目のイングランド女王ジェーン・グレイが逮捕・廃位されました。
ジェーンはプロテスタント派の後押しで選ばれましたが、支持基盤は薄弱でした。
カトリック復興を掲げるメアリー1世は軍事力と民衆の支持を背景に政権を掌握しました。
同日にメアリーは女王として戴冠し、エリザベス1世即位まで続くカトリック政策を推進します。
「九日女王」の悲劇はイングランド宗教史に大きな影響を与えました。
1553年
ジェーン・グレイ
メアリー1世
イングランド
享保8年6月18日
足高の制制定。
1723年7月19日、江戸幕府が足高の制を制定。
享保8年6月18日(現行暦の7月19日)、江戸幕府の8代将軍・徳川吉宗が武士の扶持米高を実支給制に近づける『足高の制』を制定しました。
それまで俸禄は名目上の高い株数で支給され、実質的な収入と乖離がありました。
新制度は実際の支給量を基に俸禄を算定し、武士の生活安定と幕府財政の透明化を図るものでした。
この改革により幕府財政の引き締めが進み、飢饉対策や農村政策の強化が可能になりました。
享保改革の中核をなす制度として、近代的な官僚制への第一歩となりました。
1723年
享保
6月18日
足高の制
文久3年6月4日
香港からアメリカに向けて航海をしていた「バイキング号」(1349トン)が、荒天により伊豆諸島御蔵島の岩場に引き寄せられて座礁。乗っていた中国人労働者や乗員ら483人が島民により救助された。
1863年7月19日、航海中の帆船『バイキング号』が御蔵島沖で座礁。
文久3年6月4日(現行暦の7月19日)、香港から米国へ向かっていた1349トンの帆船『バイキング号』が荒天により伊豆諸島御蔵島の岩場に引き寄せられ座礁しました。
船内には中国人労働者や乗員合わせて483名が乗船しており、島民による迅速な救助活動により全員が無事救出されました。
島民は食料や毛布を提供し、一時滞在所を設置して乗客を保護しました。
この事件は遠洋航海の危険性だけでなく、離島住民の献身的な支援と国際的な連帯を示すエピソードとして知られています。
座礁後、船体は解体されましたが、その後も島と乗客の交流は語り継がれています。
1863年
文久
6月4日
香港
伊豆諸島
御蔵島
座礁
同治3年6月16日
太平天国の乱: 曽国藩が天京(南京)を占領し、天京攻防戦が終結。太平天国が清に敗れ、14年に及ぶ太平天国の乱が事実上終結。
1864年7月19日、曽国藩が天京を陥落させ、太平天国の乱が事実上終結。
同治3年6月16日(現行暦の7月19日)、清朝の総督曽国藩率いる湘軍が太平天国の首都天京(現在の南京)を攻略し、天京攻防戦が終結しました。
14年にわたる大規模反乱はここに事実上の終焉を迎え、太平天国政権は瓦解します。
曽国藩は西洋式砲兵隊と鉄道による補給網を活用し、新たな軍事戦術を導入しました。
戦後、清朝は列強の圧力を受けつつも内政改革の必要性を痛感し、次の同治の中興へとつなげていきます。
太平天国の宗教思想や社会構想は失敗に終わったものの、後の中国近代化運動に影響を与えました。
1864年
同治
6月16日
太平天国の乱
曽国藩
南京
天京攻防戦
太平天国
清
1870年
普仏戦争勃発。
1870年、プロイセン王国とフランス帝国の間で普仏戦争が勃発しました。
1870年、プロイセン王国とフランス帝国の間で普仏戦争が勃発しました。
この戦争はドイツ統一運動に大きな影響を与え、最終的にドイツ帝国誕生の契機となりました。
プロイセン軍は迅速に北ドイツ連邦を中心とした軍事同盟を結成し、フランス軍を圧倒しました。
主な会戦としては、ザンムリットの戦いやセダンの戦いが知られています。
フランス皇帝ナポレオン3世は捕虜となり、戦争終結後に第三共和制が樹立されました。
1870年
普仏戦争
1879年
西部開拓時代: ガンマンのドク・ホリデイが初めての殺人を犯す。
アメリカ西部のガンマン、ドク・ホリデイが初めて殺人を犯しました。
ジョン・ヘンリー“ドク”・ホリデイはガンマンであり歯科医でもありました。
西部開拓時代の混沌としたアリゾナ領フェニックス近郊で酒場の客を撃ち、殺人を犯しました。
以後ホリデイはガンマンとして名を馳せ、ワイアット・アープらと因縁を持つようになります。
彼の人生は銃撃戦と賭博の繰り返しで彩られ、後に“OK牧場の決闘”でも知られるようになりました。
この事件は西部開拓時代の暴力的な側面を象徴するものとして語り継がれています。
1879年
西部開拓時代
ガンマン
ドク・ホリデイ