1453年
百年戦争: カスティヨンの戦い。フランスが勝利。
1453年、百年戦争最後の戦い、カスティヨンの戦いが行われる。
フランス軍が決定的勝利を収めた。
1453年7月17日、百年戦争の最終決戦となるカスティヨンの戦いが開戦しました。
フランス軍は砲兵隊を効果的に使用し、イングランド軍を包囲・撃破しました。
この勝利によりイングランドのフランス支配はほぼ消滅し、戦争は終結へと向かいます。
戦いは中世における火砲戦術の重要性を示す転機とも評価されます。
百年戦争はこの年に正式に終結し、フランス王権の再興が確固たるものとなりました。
1453年
百年戦争
カスティヨンの戦い
長享2年6月9日
加賀一向一揆で、加賀国の守護の富樫政親が殺害される。
1488年、加賀一向一揆で守護富樫政親が殺害。
一向一揆勢力の急速な台頭を示す事件。
長享2年6月9日(西暦1488年7月17日)、加賀一向一揆の蜂起により守護富樫政親が討たれました。
一向一揆は浄土真宗門徒を中心とした武装蜂起で、守護勢力に挑戦する動きでした。
政親の死は一揆勢力の支配力を加賀一国に確立させる契機となります。
この事件以降、加賀は一向宗寺社が実質的な支配者となり、特異な自治形態を形成しました。
地方宗教勢力と武士との複雑な関係を象徴する歴史的事例です。
1488年
長享
6月9日
加賀一向一揆
加賀国
守護
富樫政親
天正17年6月5日
摺上原の戦いが行われる。
1589年、東北地方で摺上原の戦いが行われる。
伊達政宗勢と蘆名氏の軍勢が激突。
天正17年6月5日(西暦1589年7月17日)、伊達政宗と蘆名氏の間で摺上原の戦いが起こりました。
伊達政宗は東北随一の勢力拡大を目指し、蘆名領への侵攻を進めていました。
両軍の激しい衝突となり、政宗軍が勝利を収めて戦域を拡大します。
この勝利により伊達氏の東北地方での地位は一層強固となり、戦国大名としての評価を高めました。
地域の勢力図を塗り替えた戦国期の重要な合戦の一つです。
1589年
天正
6月5日
摺上原の戦い
1791年
フランス革命: シャン・ド・マルスの虐殺が起こる。
1791年、パリのシャン・ド・マルスで抗議集会が軍隊により鎮圧され、多数の死傷者が発生しました。
フランス革命期の緊張が高まる中、市民たちが憲法制定を支持する署名運動を行うためシャン・ド・マルスに集結しました。これに対し国民衛兵が発砲し、50人以上が死亡、何百人もの負傷者が出ました。事件は革命内部の亀裂を象徴し、革命の急進化を一層促す結果となりました。
1791年
フランス革命
シャン・ド・マルスの虐殺
ユリウス暦7月4日
ロシア革命: ロシア・エカテリンブルクのイパチェフ館に監禁されていた元ロシア皇帝ニコライ2世とその家族らがボリシェヴィキにより銃殺される(ロマノフ家の処刑)。
ロシア革命期に元皇帝ニコライ2世とその家族らがイパチェフ館で銃殺された。
1918年7月17日(ユリウス暦7月4日)、ロシア内戦の混乱期にエカテリンブルクのイパチェフ館で、ボリシェヴィキはロマノフ王朝最後の皇帝ニコライ2世と皇后アレクサンドラ、子女、側近ら計11名を処刑しました。この処刑はロシア革命の徹底を図るための政治決断であり、世界に衝撃を与えました。遺体は遺棄され、一時行方不明となりましたが、その後発見・身元確認が行われました。本件はロマノフ家の終焉を象徴し、帝政ロシアの時代に決定的な断絶をもたらしました。歴史家の間では革命の暴力性と政権の正統性を巡る議論が続いています。
1918年
ユリウス暦
7月4日
ロシア革命
ロシア
エカテリンブルク
イパチェフ館
ロシア皇帝
ニコライ2世
ボリシェヴィキ
ロマノフ家の処刑
1936年
スペイン内戦が勃発。
スペイン内戦が勃発し、国民党軍と共和派の戦闘が始まった。
1936年7月17日、スペインで軍の反乱が発生し、内戦が勃発しました。反乱軍を率いるフランシスコ・フランコ将軍は北アフリカのスペイン植民地から上陸し、共和政府への攻撃を開始しました。内戦は3年にわたって続き、多数の犠牲者と破壊を生みました。国際的にはナチス・ドイツやイタリア王国が反乱軍を支援し、ソ連や義勇兵が共和国側を後援しました。1939年にフランコの勝利で終結し、20世紀欧州の政治地図に大きな影響を与えました。
1936年
スペイン内戦
1937年
日中戦争: 廬山会談。中国国民党の蔣介石と中国共産党の周恩来が会談し、抗日決戦で合意。
廬山会談で蔣介石と周恩来が抗日統一戦線で合意した。
1937年7月17日、中華民国の蔣介石と中国共産党の周恩来は江西省廬山で会談し、国内抗日統一戦線の構築で一致しました。これにより国共内戦は一時停止し、中国全土での日本軍に対する共同抵抗が可能となりました。会談は互いの勢力を尊重する枠組みを確認し、国民党と共産党の協力が正式に始まりました。統一戦線は日中戦争の長期化に対応するための重要な方策とされ、中国の国際的立場にも影響を及ぼしました。後に会談の成果は国共合作として歴史に刻まれました。
1937年
日中戦争
中国国民党
蔣介石
中国共産党
周恩来
1945年
第二次世界大戦・日本本土空襲: 沼津大空襲。
第2次世界大戦中に沼津市が米軍の空襲を受け、多大な被害が出た。
1945年7月17日夜から18日未明にかけて、米軍は静岡県沼津市を標的に大規模な空襲を行い、市街地の多くが焼失しました。焼夷弾による火災で約200名以上の民間人が死亡し、1万棟以上の建物が被害を受けました。攻撃は日本本土空襲の中でも被害規模が大きく、戦況末期の市民生活に深刻な影響を与えました。戦後、復興計画が進められたものの、当時の記憶は地元住民に今も語り継がれています。日本の空襲史研究においても重要な事例とされています。
日本本土空襲
沼津大空襲
1968年
イラクで7月17日革命が起きる。
1968年7月17日、イラクでバース党主導のクーデター(7月17日革命)が成功し、新政権が樹立されました。
このクーデターはアフマド・ハサン・アル=バクルやサダム・フセインらが主導し、アブドゥル・ラフマーン・アリ政権を打倒しました。バース党政権はナセル主義・アラブ民族主義を掲げ、国内近代化や軍事力増強を推進しました。特に石油産業の国有化政策を進め、西側諸国との緊張を深めました。この政変は後のサダム・フセイン体制への布石となり、中東情勢に大きな影響を与えました。
1968年
7月17日革命
1979年
ニカラグアのサンディニスタ民族解放戦線が武装蜂起。19日にアナスタシオ・ソモサ・デバイレ大統領がフロリダの別荘に亡命。
1979年7月17日、ニカラグアのサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)が
レジスタンス蜂起を開始しました。
FSLNの蜂起は独裁政権ソモサ家の打倒を目指す長期闘争の一環。
政権は混乱に陥り、19日には大統領アナスタシオ・ソモサが亡命。
これによりサンディニスタ政権樹立への道が開かれ、
ニカラグアは社会主義路線を採用し米国との対立が深刻化しました。
内戦は後の中央アメリカ情勢にも大きな影響を与えました。
1979年
ニカラグア
サンディニスタ民族解放戦線
アナスタシオ・ソモサ・デバイレ
フロリダ
2014年
マレーシア航空17便が墜落する。
2014年7月17日、上空を飛行中のマレーシア航空MH17便がウクライナ東部で撃墜され、多くの犠牲者が出る悲劇となりました。
国際的な衝撃を与え、航空安全と地政学的リスクへの警戒が高まりました。
マレーシア航空17便(MH17)はオランダ・アムステルダム発クアラルンプール行きの旅客機で、ウクライナ紛争地域上空を飛行中に地対空ミサイルで撃墜されました。
乗員乗客298人全員が死亡し、多国籍の犠牲者を含む大惨事となりました。
国際的な捜査により、ロシア製のミサイルシステムが使用された可能性が指摘され、責任所在を巡る外交摩擦が深刻化しました。
この事件を受けて多くの航空会社が紛争地域上空の飛行経路を見直し、航空安全管理の強化が進められました。
また国際社会は被害者遺族への支援や真相究明を求める動きを強め、地域情勢への注視が高まりました。
2014年
マレーシア航空17便