1948年
キャセイ・パシフィック航空機ハイジャック事件。ハイジャック犯が機長・副機長を射殺した結果ハイジャック機が墜落、25名の死者を出す。
1948年、キャセイ・パシフィック機がハイジャックされ、犯人の射殺により機長らが死亡し墜落した。
当時、キャセイ・パシフィック航空の定期便がハイジャックされる前代未聞の事件でした。
犯人は武装して機内に乗り込み、機長と副機長を射殺しました。
操縦不能となった機体は制御を失い墜落、乗客乗員計25名が死亡しました。
この事件は民間航空のセキュリティ対策強化の契機となりました。
国際的にも大きな衝撃を与え、その後の航空機ハイジャック対策に影響を与えました。
1948年
キャセイ・パシフィック航空機ハイジャック事件
ハイジャック
1949年
フェイ台風が翌17日にかけて九州西側をかすめて北上。集中豪雨により死者29人、行方不明13人。全壊家屋150戸、床上浸水2054戸。
1949年、フェイ台風が九州西側をかすめ北上し、集中豪雨で29人が死亡、13人が行方不明となった。
7月16日から17日にかけて九州西岸を通過したフェイ台風は猛烈な風雨を伴いました。
各地で河川の氾濫や土砂災害が発生し、広範囲にわたり被害が拡大しました。
死者29名、行方不明13名、全壊家屋150戸、床上浸水2054戸の被害をもたらしました。
被災地では緊急救援活動が展開され、国や自治体による復旧支援が行われました。
戦後の気象観測技術が未発達だった時代で、事前の警戒情報も充分ではありませんでした。
1949年
フェイ台風
九州
1971年
7月16日から18日にかけて、兵庫県相生市や佐用町周辺で局地的な大雨が降る。相生市では河川の増水により橋が流失。土砂災害も相次ぎ、死者19人、重傷者26人の被害となった。
兵庫県相生市や佐用町で局地的大雨による河川増水や土砂災害が発生し、19人の死亡者が出る。
1971年7月16日から18日にかけて、兵庫県相生市や佐用町周辺で局地的な大雨が断続的に降りました。\n急激な雨量増加により河川が氾濫し、相生市では主要な橋が流失しました。\n土砂崩れや浸水被害も相次ぎ、住宅の倒壊や道路の寸断が発生。\n公式発表では死者19人、重傷者26人に上る大規模な被害となりました。\n地元自治体や自衛隊による救援活動が展開され、復旧作業には多年を要しました。
1971年
兵庫県
相生市
1987年
富士山麓の忍野八海にてダイバー2人死亡。
富士山麓の観光名所、忍野八海で発生したダイビング事故。ダイバー2人が命を落としました。
忍野八海は富士山麓に位置する湧水池群で、多くのダイバーや観光客が訪れる人気スポットです。\n1987年7月16日、池内で潜水していたダイバー2人が行方不明となり、後に死亡が確認されました。\n当時の事故原因は詳細に公表されていませんが、急流や水温低下、設備トラブルが指摘されています。\nこの事故を受け、潜水規制や安全対策の強化が進められました。\n現在はガイドの同行や装備点検が義務付けられ、二度と同様の悲劇を起こさない取り組みが行われています。
富士山
忍野八海
1989年
越前海岸崩落事故。福井県丹生郡越前町玉川の国道305号線で岩盤が崩落する事故で15人死亡。
福井県越前海岸の国道305号で起きた岩盤崩落事故。15人が犠牲となりました。
1989年7月16日、福井県丹生郡越前町玉川付近の国道305号線で大規模な岩盤崩落が発生しました。\n通行中の車両や歩行者が巻き込まれ、計15人が死亡する痛ましい事故となりました。\n当時の現場は急峻な海岸線に沿った道路で、対策工事中の箇所もあったと言われます。\n事故後、道路の補強工事や落石防止ネットの設置が急がれ、安全管理体制の見直しが行われました。\n現在も同地域では厳重な点検と警報システムが整備され、再発防止に努めています。
1989年
越前海岸崩落事故
福井県
丹生郡
越前町
国道305号
1990年
バギオ大地震。
フィリピン・バギオを襲った大地震が発生し、多数の被害が出ました。
1990年7月16日、フィリピン北部の都市バギオでマグニチュード7.8の大地震が発生しました。\n強い揺れにより市内の建物が倒壊し、多くの住民が負傷または死亡しました。\n特にコルデリャ州では路面や橋梁が崩落し、道路網が寸断される深刻な被害を受けました。\n国内外から救援隊が派遣され、被災地支援や復興活動が本格化しました。\nこの地震を契機に建築基準の見直しや防災意識の高まりが生じました。
1990年
バギオ大地震
1999年
ジョン・F・ケネディの長男ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ・ジュニアが操縦する小型飛行機がロングアイランド沖で墜落。乗っていた3人全員が死亡。
ジョン・F・ケネディ・ジュニア操縦機がロングアイランド沖で墜落し、搭乗者3名全員が死亡しました。
1999年7月16日、ジョン・F・ケネディ元大統領の長男ジョン・F・ケネディ・ジュニアが操縦する小型機がロングアイランド沖で消息を絶ちました。\n地上捜索の結果、機体の残骸が発見され、ケネディ・ジュニア、妻キャロリン・ベセッテ・ケネディ、キャロリンの妹ローレン・ベセッテの3名全員の死亡が確認されました。\n事故当日は視界不良の濃霧が断続的に発生しており、空間定位障害による悲惨な墜落と推測されています。\n悲劇は全米に衝撃を与え、ケネディ家の象徴的存在の死に多くの追悼と報道が寄せられました。\nその後、民間小型機の安全運航や計器飛行訓練の重要性が改めて見直されました。
1999年
ジョン・F・ケネディ
ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ・ジュニア
2007年
午前10時13分、マグニチュード6.8で最大震度6強の新潟県中越沖地震発生。柏崎市を中心に被害が発生。死者10人、重軽傷者1700人以上。
2007年7月16日午前10時13分、新潟県中越沖を震源とするマグニチュード6.8の地震が発生し、最大震度6強を記録しました。
新潟県中越沖地震は柏崎市を中心に建物の倒壊や火災・土砂崩れなど大規模な被害をもたらしました。死者は10人、負傷者は1700人以上に上り、多くの住民が避難生活を余儀なくされました。福島第一原子力発電所の一部損傷により一時的に停止措置が取られ、エネルギー供給への影響も懸念されました。救援活動には自衛隊やボランティアが参加し、道路やライフラインの復旧作業が急ピッチで進められました。地震後も余震が続き、沿岸地域では津波警報も発令されました。
2007年
マグニチュード
最大震度
新潟県中越沖地震
柏崎市