1486年

アンドレア・デル・サルト

(1486 - 1530)

画家

画家
ルネサンス期のイタリアを代表する画家。巧みな色彩と優雅な構図で名高い。
フィレンツェ出身のアンドレア・デル・サルトは、16世紀前半に活躍した高位ルネサンスの画家です。ピエロ・ディ・コジモの工房で学び、サンタ・マリア・デル・カルミネ修道院の回廊に描いたフレスコ画などで名声を得ました。ヴィザリに「過ちのない画家」と称賛されるほどの緻密な技法と色彩感覚を持ち、構図の均整と表情の繊細さで知られます。「ハーピーの聖母」は代表作として高く評価されています。彼は多くの弟子を育て、後世の画家にも影響を与えました。
1486年 アンドレア・デル・サルト 画家 1530年
1723年

ジョシュア・レノルズ

(1723 - 1792)

画家

画家
18世紀イギリスを代表する肖像画家。ロイヤル・アカデミー芸術院の初代総裁として英国美術を牽引した。
デヴォン生まれのジョシュア・レノルズは、芸術のグランド・スタイルを提唱し、歴史画の理想を肖像画に取り入れました。イタリア留学を経て1768年にロイヤル・アカデミー芸術院の初代総裁に就任し、美術教育の発展に尽力。サミュエル・ジョンソンやエドマンド・バークなど当時の文化人を多く描き、その気品ある表現で高い評価を受けました。著作『美術に関する講話』では芸術理論を説き、後世の画家に大きな影響を与えました。1792年に没するまで精力的な制作活動を続けました。
1723年 ジョシュア・レノルズ 1792年
1746年

ジュゼッペ・ピアッツィ

(1746 - 1826)

天文学者

天文学者
イタリアの天文学者。1801年に小惑星ケレスを発見したことで知られる。
1746年にロンバルディア地方で生まれたジュゼッペ・ピアッツィは、司祭でありながら数学と天文学を研究しました。1790年にパレルモ天文台を設立し、観測機器の整備に尽力。1801年1月1日、最初の小惑星ケレスを発見し、『天文学者の間で最も重要な発見』と評されました。精密な恒星カタログを作成し、約7,000個の星を記録。天文測定法の発展にも寄与し、多くの後進に影響を与えました。1826年に亡くなるまで観測と研究を続けました。
1746年 ジュゼッペ・ピアッツィ 天文学者 1826年
1773年

ヨセフ・ユングマン

(1773 - 1847)

言語学者、詩人

言語学者 詩人
チェコ国民復興運動を牽引した言語学者・詩人。古チェコ語研究と文学翻訳で知られる。
1773年にボヘミア地方で生まれたヨセフ・ジュンマンは、言語学者としてチェコ語の標準化に大きく貢献しました。プラハ大学で教鞭を執りながら、チェコ語‐ドイツ語辞典を編纂し、数多くの古典文書を収集・研究。ジョン・ミルトンの『失楽園』をチェコ語に翻訳し、文学面での啓蒙にも努めました。詩人としても活動し、自国語に新たな表現の可能性を開きました。彼の業績はチェコ語復興の基礎となり、1847年の死後も高く評価されています。
1773年 ヨセフ・ユングマン 言語学者 詩人 1847年
1816年

アントワーヌ・マルモンテル

(1816 - 1898)

ピアニスト、教育者、著述家

ピアニスト 教育者 著述家
パリ音楽院で長年教鞭をとったフランスのピアニスト・教育者。多くの名演奏家を育成。
1816年にパリで生まれたアントワーヌ・マルモンテルは、16歳でパリ音楽院に入学し、1841年に同学院の教授に就任。約50年間にわたり後進の指導に尽力し、サン=サーンスやフランクなど数多くの作曲家・演奏家を育成しました。自身も優れた演奏家として活躍し、演奏技巧論や教育理論をまとめた著書を多数執筆。ピアノ演奏と音楽教育の両面で大きな功績を残し、1898年にこの世を去りました。
1816年 アントワーヌ・マルモンテル ピアニスト 教育者 著述家 1898年
文政10年6月23日

小栗忠順

(1827 - 1868)

江戸幕府勘定奉行、万延元年遣米使節団監察

江戸幕府勘定奉行 万延元年遣米使節団監察
幕末の江戸幕府勘定奉行。万延元年遣米使節団監察として渡米した先駆者。
1827年に江戸で生まれた小栗忠順は、幕府の勘定奉行として財政管理を担い、幕末の動乱期に重要な役割を果たしました。1859年、万延元年遣米使節団監察としてアメリカへ赴任し、ワシントンで通商条約の交渉を監督。帰国後は幕府財政の改革に取り組み、洋式兵制の導入にも寄与しました。1868年の戊辰戦争直前に没し、幕末の国際外交史にその名を残しています。
1827年 文政 6月23日 小栗忠順 勘定奉行 万延元年遣米使節団 1868年
文政10年6月23日

加納宗七

(1827 - 1887)

紀州藩の御用商人

紀州藩の御用商人
紀州藩の御用商人として藩財政と貿易を支えた実業家。
1827年に紀州藩領で生まれた加納宗七は、藩の御用商人として米や塩など生活必需品の調達を担当しました。幕末の動乱期には藩財政の安定化に向けて貿易業務を拡大し、資金繰りを調整。明治維新後も実業界で活動し、近代経済の発展に貢献しました。1887年に没するまで、地方商人として藩政と地域経済を支え続けました。
加納宗七 紀州藩 御用商人 1887年
1858年

ウジェーヌ・イザイ

(1858 - 1931)

指揮者、作曲家、ヴァイオリニスト

指揮者 作曲家 ヴァイオリニスト
近代ヴァイオリン奏法を確立したベルギーのヴィルトゥオーソ。作曲家・指揮者としても活躍。
1858年にリエージュで生まれたウジェーヌ・イザイは、幼少期よりヴァイオリンを学び、世界的な名声を築きました。1886年にはシカゴ交響楽団のコンサートマスターに就任し、ソリスト・指揮者として数々の国際ツアーを行いました。自らの演奏技術を反映した無伴奏ヴァイオリンソナタ6曲を作曲し、後のヴァイオリニストに多大な影響を与えました。指揮者としても活動し、ベルギー国内外で演奏会を指揮。1931年に世を去るまで音楽界をリードしました。
1858年 ウジェーヌ・イザイ 指揮者 1931年
1860年

オットー・イェスペルセン

(1860 - 1943)

言語学者

言語学者
言語学の近代化に貢献したデンマークの言語学者。文法・音声学の研究で知られる。
1860年にデンマークで生まれたオットー・イェスペルセンは、コペンハーゲン大学で教鞭をとりながら文法学と音声学の研究を推進しました。言語の構造と発音を体系化し、『文法の原理』や『現代英語文法』などの著作を発表。多言語間比較研究にも取り組み、言語学の方法論を確立しました。彼の理論は言語教育や辞書編纂にも応用され、20世紀の言語学に大きな影響を与えました。1943年に没しました。
1860年 オットー・イェスペルセン 言語学者 1943年
1863年

ファニー・ブルームフィールド・ツァイスラー

(1863 - 1927)

ピアニスト

ピアニスト
アメリカのピアニスト。ヨーロッパで研鑽を積み、世界各地で演奏を行った。
1863年にアメリカ中西部で生まれたファニー・ブルームフィールド・ツァイスラーは、幼少期よりピアノの才能を発揮しました。ウィーン音楽院で研鑽を積んだ後、1882年にヨーロッパ各地でデビュー。帰国後は全米で演奏ツアーを行い、ベートーヴェンやショパンの作品を得意としました。演奏家としての評価だけでなく、後進の指導者としても貢献。録音技術の黎明期に数曲を残し、1927年に没しました。
1863年 ファニー・ブルームフィールド・ツァイスラー ピアニスト 1927年
1872年

ロアール・アムンセン

(1872 - 1928)

探検家

探検家
ノルウェーの探検家。1911年に初めて南極点に到達したことで知られる。北西航路の横断にも成功した。
1872年、ノルウェーで生まれたアムンセンは、1903年から1906年にかけて北西航路の横断に成功し探検家として名声を得ました。1911年にはロバート・スコット隊と競い合いながら南極点に到達し、人類史に大きな足跡を残しました。極地探検のリーダーとして数々の遠征を指導し、最新の技術と厳格な計画で成果を上げました。第一次世界大戦中は航空隊の指導にも携わりました。1928年に北極飛行探検中に消息を絶ち、その功績は今日まで称えられています。
1872年 ロアール・アムンセン 1928年
1883年

チャールズ・シーラー

(1883 - 1965)

画家、写真家

画家 写真家
アメリカの画家・写真家。精密主義と呼ばれる画風で産業風景をモチーフにした作品を制作した。
1883年に米国で生まれたシーラーは、シカゴ美術館付属美術学校で学んだ後、画家や写真家として活動を開始しました。彼は工場や建築物を題材に直線的でシンプルな構図を用い、20世紀初頭のアメリカ産業を象徴する精密主義の代表作を残しました。写真家としても企業や雑誌の依頼で工業写真を手がけ、写真と絵画の境界を超えた表現を追求しました。1932年にはニューヨーク近代美術館で個展を開催し、その先鋭的な作風が注目を集めました。1965年に亡くなるまで多彩な作品を発表し、米国美術史に重要な足跡を残しました。
1883年 チャールズ・シーラー 写真家 1965年