応永15年6月22日

若狭国小浜に南蛮(東南アジア)の「亜烈進卿」が派遣した船が入港。文献記録上初めてゾウが日本に到来。

応永15年(1408年)6月22日、若狭国小浜の港に東南アジアからの使節が携えたゾウが到来し、日本史上初めて象が記録に現れました。
応永15年(1408年)6月22日、若狭国小浜の港に南蛮使節が到着し、日本史上初のゾウが目撃されました。 使節を率いた「亜烈進卿」は東南アジアから珍獣を呈上し、地元民を驚嘆させました。 当時の日本では生のゾウを見る機会は皆無であり、伝承や絵巻物にも記録が残されています。 この出来事は日本と東南アジアの交流史における重要な一幕とされています。 生態や習性に関する詳述は少ないものの、異文化接触の象徴として語り継がれました。
1408年 応永 6月22日 若狭国 小浜 南蛮 亜烈進卿 ゾウ
1948年

GHQが新聞社16社・通信社3社の事前検閲を廃止し、事後検閲に移行。

GHQが事前検閲を廃止し、新聞・通信社の事後検閲体制へ移行。言論の自由に重要な転換点となりました。
1948年7月15日にGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)は、日本の新聞社16社と通信社3社に対する事前検閲を廃止しました。これまで原稿提出を義務付けていた体制を改め、出版後に問題があれば事後的に検閲を行う方式に変更しました。事後検閲の導入により、報道機関は一層自由な報道が可能となり、戦後民主主義の成熟に寄与しました。一方で、自主規制への転換やメディア倫理の整備も求められるようになりました。これを契機に日本のマスコミは多様化と活発な言論活動を迎えました。
1948年 GHQ 検閲
1948年

教育委員会法公布・施行。

教育委員会法が公布・施行され、地方教育行政の枠組みが整備されました。
1948年7月15日に教育委員会法が公布・施行され、日本の学校教育の管理・運営体制が大きく見直されました。法により都道府県・市町村に教育委員会が設置され、その構成や権限が明確化されました。教育委員会は教育方針の決定や教員人事、予算配分などを担当し、地域に即した教育行政を促進する仕組みを整備しました。また、教育の民主化や地域参画の観点から教育委員の公選制なども議論されました。以降、地方分権と教育の質向上を巡る課題が続いています。
教育委員会法
1954年

ニッポン放送が開局、本放送を開始。

1954年7月15日、ニッポン放送が開局。 本放送を開始し、関東地区のリスナーに番組を届け始めました。
1954年7月15日、東京都を拠点とするニッポン放送が正式に開局し、初の本放送を開始しました。 周波数は東京地区で1134kHz(当時は1300kHz)で、ワイドFMの先駆けとなるメディアです。 ニュース、音楽、娯楽番組など多彩なプログラム編成でリスナーを魅了し、ラジオ界に新風を吹き込みました。 特に開局当初から個性的なパーソナリティや独自企画を展開し、人気を集めました。 戦後のラジオ復興期における重要な節目とされ、以降も日本の民間放送を代表する存在となります。 その後、番組ネットワークの拡大や技術革新を通じて現在に至る放送局の礎を築きました。
1954年 ニッポン放送
1970年

九州初となる民放FMラジオ局・エフエム福岡が開局。

1970年7月15日、九州初の民放FMラジオ局・エフエム福岡が開局しました。 地域密着の番組編成でリスナーに愛され続けています。
1970年7月15日、九州地方初の民間FMラジオ局として株式会社エフエム福岡(FM Fukuoka)が運営を開始しました。 当初は音楽番組を中心に放送を行い、若者文化の発信基地として注目を集めました。 地域のイベント情報やローカルニュースにも力を入れ、公共性と娯楽性を両立させています。 開局以来、最新ヒット曲から懐かしのナンバーまで幅広い選曲を提供し、福岡県を中心に多くのリスナーを獲得しています。 現在もFM局として地域コミュニティの一翼を担い、リスナー参加型の企画や公開生放送を行っています。
1970年 九州 エフエム福岡
1974年

アメリカ合衆国・フロリダ州サラソータのテレビ局WXLT TV(のちのWWSB)のニュースキャスター、クリスティーン・チュバックが、ニュース番組の生放送中に突然拳銃自殺。

1974年7月15日、フロリダ州サラソータのテレビ局WXLT TVのキャスター、クリスティーン・チュバックが生放送中に拳銃自殺しました。 事件はテレビ史上に残る衝撃的な出来事として語り継がれています。
1974年7月15日、フロリダ州サラソータのTV局WXLT TVの生放送ニュース番組中、キャスターのクリスティーン・チュバックが突然拳銃自殺しました。 彼女は慢性的な抑うつ状態に苦しんでいたとされ、事件直後には多くの視聴者が衝撃を受けました。 生放送中に発生した前代未聞の出来事は、世界中のメディアに衝撃を与え、放送倫理や心の健康に関する議論を巻き起こしました。 この事件を契機に、多くの放送局で出演者のメンタルヘルス対策や生放送管理の強化が図られました。 彼女の最期の姿は映像アーカイブに残り、メディア史上でも異色の事件として語り継がれています。
アメリカ合衆国 フロリダ州 サラソータ ニュースキャスター クリスティーン・チュバック 拳銃 自殺