1823年
ローマのサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂が火災で焼失。
1823年、ローマのサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂が大規模火災により焼失しました。
1823年7月15日、ローマのサン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂が火災により焼失しました。
この大聖堂はコンスタンティヌス帝時代に創建された由緒ある建物で、ローマ教皇庁の主要聖堂の一つでした。
火災は内部のモザイクや彫刻、美術品をことごとく焼き尽くし、建築史上の大きな損失となりました。
復興には数十年を要し、19世紀後半に現在の形で再建されました。
大聖堂の再生はローマ市民の信仰と文化遺産保護への意識を象徴しています。
1823年
サン・パオロ・フオーリ・レ・ムーラ大聖堂
1888年
磐梯山噴火。小磐梯の山体崩壊により発生した泥流などにより477名が犠牲となる。
1888年、磐梯山が大噴火を起こし、山体崩壊と泥流により多数の犠牲者が出ました。
1888年7月15日、磐梯山が大規模噴火し、小磐梯の山体崩壊と泥流により多数の犠牲者が出ました。
火山灰と泥流は周辺の村や田畑を埋め尽くし、山頂部の地形を大きく変化させました。
噴火後には五色沼などの美しい湖沼群が形成され、現在は観光地として知られています。
この災害は明治時代の日本における自然災害の脅威を改めて認識させる契機となりました。
科学的調査も進められ、火山学の発展に寄与しました。
1888年
磐梯山噴火
山体崩壊
1907年
広島県南部に集中豪雨。総頭川が決壊し、坂町で死者2名、家屋流失11棟、田畑も流失するという大災害が発生した。
1907年7月15日、広島県南部を襲った集中豪雨により総頭川が決壊し、坂町で大規模な被害が発生しました。
1907年7月15日、広島県南部で集中豪雨が発生しました。
総頭川が決壊し、坂町では家屋11棟が流失し、田畑も壊滅的な被害を受けました。
この災害により2名が亡くなり、地域の生活基盤が大きく損なわれました。
災害直後には救援活動が行われましたが、交通網の寸断などから復旧に時間を要しました。
この出来事は、河川の治水対策の重要性を改めて浮き彫りにしました。
1907年
広島県
集中豪雨
坂町
1914年
歩兵第42連隊の軍事演習中に熱射病となる者多数。7人が死亡。
1914年7月15日、歩兵第42連隊の軍事演習中に多数の兵士が熱射病となり、7人が命を落としました。
1914年7月15日、猛暑の中で行われた歩兵第42連隊の野外演習中に、多くの兵士が熱射病にかかりました。
救護体制が不十分だったため、迅速な治療が行われず7名が死亡しました。
この事故は、軍事訓練における熱中症対策の遅れを露呈するものとなりました。
以降、厚生施設の整備や救護班の配置など、衛生管理の強化が求められる契機となりました。
軍の訓練方法や装備見直しの必要性が広く認識されました。
1914年
歩兵第42連隊
軍事演習
熱射病
1941年
長野地震が起こる。
1941年7月15日に長野県を中心に地震が発生し、家屋倒壊や土砂災害が起こりました。
1941年7月15日に長野県を中心に地震が発生し、震度5以上の揺れが観測されました。地震により家屋の倒壊や土砂崩れが各地で発生し、道路や橋梁にも被害が出ました。多くの住民が避難を強いられ、救援活動が急ピッチで行われました。被災地では復旧に数か月を要し、地元自治体による防災計画の見直しが進められました。以来、長野県は耐震対策の強化が図られています。
1941年
長野地震
1943年
愛媛県松山市の沖合で関西汽船所属の定期旅客船「浦戸丸」(1326トン)が貨物船と衝突して沈没。死者・行方不明者200人以上。
愛媛県松山市沖合で旅客船「浦戸丸」が貨物船と衝突し沈没。200人以上が犠牲になりました。
1943年7月15日、関西汽船の定期旅客船「浦戸丸」は松山市沖合で貨物船と衝突しました。事故により船体は浸水し、沈没に至りました。当時乗員乗客合わせて約300人が乗船しており、死者・行方不明者は200人以上に達しました。海上保安庁や地元漁船による救助活動で多数の乗客が救出されましたが、悲惨な被害となりました。この事故は日本の海難事故史上でも大規模なものとして知られています。
1943年
愛媛県
松山市
関西汽船
1949年
三鷹事件。中央線三鷹駅構内で無人電車が暴走し民家に突入。
中央線三鷹駅構内で無人電車が暴走し、民家に突入した異例の鉄道事故です。
1949年7月15日、中央線三鷹駅構内で入庫待ちの無人電車が暴走を始めました。車両にはブレーキが掛かっておらず、制御員の急行操作も間に合わず線路上を進行。最終的に待避線を越えて脱線し、線路沿いの民家に衝突して停止しました。この事故で数名の死傷者が発生し、鉄道安全管理の在り方が大きく問われました。後の脱線防止装置導入や運行管理の強化につながる契機となりました。
1949年
三鷹事件
三鷹駅
1951年
天竜川バス転落事故。静岡県磐田郡浦川町の県道から国鉄バスが増水した天竜川に転落。死者28人前後。
1951年7月15日、天竜川の増水により国鉄バスが川に転落。
乗客・乗員約28人が死亡した痛ましい事故。
1951年7月15日、静岡県磐田郡浦川町の県道で国鉄バスが増水した天竜川に転落しました。
現場は豪雨の影響で川幅が広がり、視界も悪い状況でした。
バスには多くの乗客が乗車しており、乗員・乗客合わせて約28人が命を落としました。
事故後の調査で道路整備や警戒体制の不備が指摘され、防災対策強化の契機となりました。
地元では慰霊碑が建立され、毎年追悼式が行われています。
この事故は公共交通の安全管理の重要性を改めて浮き彫りにしました。
1951年
天竜川バス転落事故
1958年
東京都大田区雪ヶ谷にあった進化製薬工場で爆発事故。工場3棟、敷地内にあった社長宅に延焼して従業員13人が死亡、重軽傷者24人。
進化製薬工場での爆発事故により工場および周辺施設が炎上、多数の死傷者が発生。
1958年7月15日、東京都大田区雪ヶ谷にあった進化製薬工場で爆発事故が発生しました。
事故の衝撃で工場の3棟が大破し、敷地内にあった社長宅にも延焼しました。
従業員13人が死亡し、24人が重軽傷を負う深刻な被害となりました。
調査では製造設備の安全管理の不備や揮発性化学薬品の取り扱い問題が指摘されました。
この事故を受けて化学工場の防災・安全基準が見直され、業界全体の安全意識が高まりました。
東京都
大田区
雪ヶ谷
1962年
北海道芦別市の三井鉱山頼城炭鉱でガス爆発事故。作業員11人が坑内に取り残され8人が死亡。
1962年7月15日、北海道芦別市の三井鉱山頼城炭鉱でガス爆発事故が発生しました。
坑内に取り残された作業員11人のうち8人が犠牲となる大惨事でした。
1962年7月15日午後、三井鉱山頼城炭鉱(北海道芦別市)で坑内のガスが引火し爆発が発生しました。
当時作業中だった11名の作業員が坑内に取り残され、救助作業の末8名の死亡が確認されました。
国内有数の石炭産地で起きたこの事故は、採炭現場での安全管理の重要性を改めて浮き彫りにしました。
事故後、炭鉱の換気設備やガス検知システムの強化が図られ、鉱山労働の安全基準が見直されました。
この事故は鉱業史上に残る痛ましい教訓となりました。
1962年
北海道
芦別市
1988年
境トンネル多重衝突炎上事故。中国自動車道の境トンネルで多重衝突事故から火災が発生。死者5人、重軽傷者5人を出す惨事となった。
On July 15, 1988, a multiple-vehicle collision in the Sakae Tunnel on the Chugoku Expressway triggered a deadly fire, resulting in five fatalities.
On July 15, 1988, at the Sakae Tunnel on Japan’s Chugoku Expressway, a chain-reaction collision involving several vehicles sparked a severe fire. The confined tunnel environment and rapid spread of smoke hindered escape and rescue efforts. Five people lost their lives, and five others suffered serious or minor injuries. Eyewitnesses reported that thick black smoke engulfed the tunnel within seconds of the initial crash. Emergency crews faced challenges reaching the scene due to ongoing traffic and limited ventilation. The tragedy prompted a nationwide review of tunnel safety protocols, leading to improved emergency exits, fire suppression systems, and signage. The incident remains one of the worst expressway tunnel accidents in Japanese history.
1988年
境トンネル多重衝突炎上事故
中国自動車道
境トンネル
2009年
カスピアン航空7908便墜落事故が起こる。
2009年に発生したカスピアン航空7908便の墜落事故です。乗員乗客全員が犠牲となりました。
2009年7月15日、イランのカスピアン航空7908便がテヘラン郊外で墜落。
当該機は定期旅客便として運航中に消息を絶った。
事故現場では機体が激しく破壊され、乗員乗客全員が死亡。
原因はエンジントラブルや整備不良の可能性が指摘されたが、詳細は不明。
犠牲者数は搭乗者数と一致し、大規模な国家的悲劇として扱われた。
この事故を受けて航空安全基準の見直しが求められた。
2009年
カスピアン航空7908便墜落事故