紀元前100年

ガイウス・ユリウス・カエサル

政治家※7月12日説もある

政治家※7月12日説もある
ローマ共和政末期の有力な政治家・軍人であり、独裁官として強大な権力を握った人物。
カエサルは紀元前100年頃に生まれ、ガリア遠征で大きな軍事的勝利を収めました。ローマ政界ではコンスル(執政官)やポンペイウスらとの同盟を通じて影響力を拡大し、その後独裁官に就任しました。紀元前49年にルビコン川を越えて内戦を引き起こし、ローマの実権を掌握しました。改革派として暦の改訂や土地分配などを実施しましたが、紀元前44年に暗殺され、その功績とともに「カエサル」の名は後世の皇帝の称号となりました。
紀元前100年 ガイウス・ユリウス・カエサル 政治家 紀元前44年
40年

グナエウス・ユリウス・アグリコラ

(40 - 93)

帝政ローマの軍人

帝政ローマの軍人
ローマ帝国の将軍・総督としてブリタンニアで活躍した軍人。
アグリコラは紀元40年頃に生まれ、ローマ帝国の軍人としてキャリアを積みました。77年から85年までブリタンニア属州総督を務め、現地の反乱鎮圧や警戒線の整備を行って属州の安定に貢献しました。息子婿の歴史家タキトゥスは『アグリコラ伝』を著し、その業績を後世に伝えました。93年に亡くなった後も、その治績は軍事史上の重要な事例として評価されています。
40年 グナエウス・ユリウス・アグリコラ 帝政ローマ 軍人 93年
1527年

ジョン・ディー

(1527 - 1608)

錬金術師、占星術師

錬金術師 占星術師
イングランドの博学者で、数学や天文学、錬金術に精通したルネサンス期の学者。
ジョン・ディーは1527年に生まれ、数学や天文学、地図製作など多岐にわたる研究を行いました。エリザベス1世の宮廷で助言者として活動し、航海術の発展にも貢献しました。錬金術や占星術にも深い関心を示し、自身の書簡や日誌に実験結果を詳細に記録しました。晩年はオカルトへの没入が強まり、1608年に亡くなるまで膨大な文献を遺しました。その業績は科学と神秘思想の交差点を象徴しています。
1527年 ジョン・ディー 錬金術師 占星術師 1608年
1590年

クレメンス10世

(1590 - 1676)

第239代ローマ教皇

第239代ローマ教皇
第239代ローマ教皇として教会改革と慈善事業を推進した宗教指導者。
クレメンス10世(エミリオ・アルティエリ)は1590年に生まれ、教皇に選出される前は長年にわたり枢機卿として教会運営に携わりました。1670年に教皇に即位すると、聖職者の規律強化や教義の明確化を図る一方、貧者救済や教育活動を支援しました。教皇在位中はパレルモ地震の被災者支援なども行い、慈善事業に力を注ぎました。1676年に亡くなった後も、その慈悲深い統治は高く評価されています。
1590年 クレメンス10世 ローマ教皇 1676年
1608年

フェルディナント3世

(1608 - 1657)

神聖ローマ皇帝

神聖ローマ皇帝
30年戦争後の和平を実現し、神聖ローマ帝国を統治した皇帝。
フェルディナント3世は1608年に生まれ、1637年に神聖ローマ皇帝として即位しました。彼は三十年戦争終結のための和平交渉を推進し、1648年にウェストファリア条約を成立させて帝国の安定に貢献しました。在位中は中央集権化と領邦君主の調整を図りつつ、カトリックの保護者として教会とも協力しました。1657年に亡くなるまで統治を続け、その外交手腕と内政改革は帝国史に大きな影響を残しました。
1608年 フェルディナント3世 神聖ローマ皇帝 1657年
1791年

アラン・カニンガム

(1791 - 1839)

植物学者

植物学者
イギリスの植物学者で、オーストラリアやニュージーランドの植物を採集・分類した探検家。
アラン・カニンガムは1791年に生まれ、オーストラリア探検に同行して多くの植物標本を採集しました。採集した標本はロンドンのキュー王立植物園に送られ、その後の植物分類学に大きく寄与しました。彼は兄のハムフリーとも協力して現地の自生植物を記録し、新種の記載も行いました。帰国後は植物学者としての地位を確立し、彼の名を冠した植物属も存在します。1839年に亡くなるまで精力的に研究を続けました。
1791年 アラン・カニンガム 植物学者 1839年
1798年

アレクサンドラ・フョードロヴナ

(1798 - 1860)

ロシア皇后

ロシア皇后
ロシア皇帝ニコライ1世の皇后として宮廷文化や慈善事業を支えた王妃。
アレクサンドラ・フョードロヴナ(旧名シャルロッテ・オブ・プロイセン)は1798年に生まれ、1825年にニコライ1世と結婚してロシア皇后となりました。宮廷内では文化振興や慈善活動に力を注ぎ、多くの孤児院や病院の設立を支援しました。彼女は精神的な支柱として皇帝を支え、宮中の調和を保つ役割を果たしました。1860年に亡くなった後も、その温かい人柄と献身的な活動は広く称えられています。
1798年 アレクサンドラ・フョードロヴナ ロシア 皇后 1860年
1808年

パトリス・ド・マクマオン

(1808 - 1893)

フランス第三共和政第2代大統領

フランス第三共和政第2代大統領
普仏戦争後のフランス第三共和政を率いた軍人出身の大統領。
パトリス・ド・マクマオンは1808年に生まれ、軍人としてアルジェリア遠征などで戦功を挙げました。1873年に大統領に選出されると、保守的な立場から政府の安定と共和国の制度を守るための政策を推進しました。宗教政策や教育改革では妥協を図りつつ政情安定に努め、1879年に退任しました。退任後も政治的影響力を保ちながら1893年に亡くなりました。
1808年 パトリス・ド・マクマオン フランス第三共和政 大統領 1893年
文化12年6月7日

梅田雲浜

(1815 - 1859)

儒学者

儒学者
江戸時代末期の儒学者で、尊王論を唱えた政治的思想家。
梅田雲浜は1815年に生まれ、朱子学を学びながら攘夷論や尊皇論を唱えました。幕府への建言書や維新志士との交流を通じて政治思想の普及に努めました。安政の大獄では弾圧を受け投獄され、その後謹慎生活を余儀なくされました。1859年に辞世の句を残して没し、その思想は明治維新の背景に影響を与えました。
1815年 文化 6月7日 梅田雲浜 儒学者 1859年
1821年

ネイサン・ベッドフォード・フォレスト

(1821 - 1877)

アメリカ合衆国の軍人

アメリカ合衆国の軍人
南北戦争時代の南軍将軍で、戦後クー・クラックス・クラン初代グランド・ウィザードとなった人物。
ネイサン・ベッドフォード・フォレストは1821年に生まれ、南北戦争では南軍騎兵隊を指揮して巧みなゲリラ戦術を展開しました。フォート・ピローの虐殺事件では論争の的となり、その後クー・クラックス・クランの結成に関与して初代グランド・ウィザードに就任しました。戦後は政治的影響力を持ち、黒人差別を助長した組織運営で知られました。1877年に亡くなり、その生涯は賛否を呼びました。
1821年 ネイサン・ベッドフォード・フォレスト アメリカ合衆国 軍人 1877年
天保3年6月16日

松本良順

(1832 - 1907)

江戸時代末期・明治期の医師

江戸時代末期・明治期の医師
松本良順は江戸時代末期から明治期にかけて西洋医学の導入と普及に尽力した医師です。東京医学校(現・東京大学医学部)の創設に関わった医療教育の先駆者でもありました。
天保3年6月16日(1832年)に江戸で生まれました。オランダ語を基礎とした蘭学を修め、長崎で西洋医学を学びました。幕府医師として幕末の動乱期に医療体制の整備を推進し、明治維新後は明治政府に仕えて医学校の設立や医学書の翻訳を手がけました。東京医学校初代校長として後進の育成に尽力し、日本の近代医療の礎を築きました。1907年に没し、その業績は現在も高く評価されています。
1832年 天保 6月16日 松本良順 江戸時代末期 明治期 医師 1907年
1841年

オットー・ワーグナー

(1841 - 1918)

建築家

建築家
オットー・ワーグナーはオーストリアの建築家で、ウィーン分離派運動の中心人物として知られています。鉄とガラスを用いた革新的な近代建築を提唱しました。
1841年にウィーン郊外で生まれました。ウィーン工科大学で学び、ヨーゼフ・ホフマンらとともにウィーン分離派を創設しました。ポストオフィス貯蓄銀行や都市鉄道(シュタットバーン)の駅舎など、鉄骨とガラスを組み合わせた作品で高い評価を得ました。機能性と美を融合させたデザインは後世の建築家に大きな影響を与えました。1918年に没するまで旺盛な創作活動を続けました。
1841年 オットー・ワーグナー 建築家 1918年