1899年

吉野川が増水して各地で堤防が決壊。一条町では小学校や多数の人家が流失。死傷者197人、浸水家屋多数、田畑の収穫皆無。

吉野川の堤防決壊により大規模な水害が発生し、多数の建物や田畑が流失した日。
1899年7月12日、吉野川の水位が急激に上昇し、各地で堤防が決壊しました。 一条町では小学校や多数の人家が濁流にのみ込まれました。 この水害により死傷者は197人に上り、浸水家屋も多数確認されました。 田畑は完全に水没し、当年の収穫は壊滅的な打撃を受けました。 地元住民は復旧活動に追われ、以後の治水対策の重要性が改めて認識されました。
1899年 吉野川 堤防 一条町 小学校
1912年

新潟県・長野県を流れる姫川が氾濫。下流の糸魚川市では、小学校や国道橋のほか多数の人家が流される被害。

姫川の氾濫が糸魚川市を襲い、小学校や国道橋などが流失した日。
1912年7月12日夜から大雨が続き、姫川が堤防を越えて氾濫しました。 下流の糸魚川市では小学校や国道橋、多数の人家が濁流にのみ込まれました。 被害は広範囲に及び、住民の避難や救助活動が急がれました。 田畑や道路も壊滅的打撃を受け、地域の生活基盤は大きく損なわれました。 この災害を契機に治水・河川改修の必要性が再認識されました。
1912年 姫川 糸魚川市
1918年

日本海軍の戦艦「河内」が徳山湾で爆発事故により沈没。

日本海軍戦艦『河内』が徳山湾で爆発事故を起こして沈没した日。
1918年7月12日、戦艦『河内』の弾薬庫で原因不明の爆発事故が発生しました。 爆発により船体は大破し、翌日には戦艦は沈没しました。 乗組員にも多数の死傷者が出て、当時の海軍に衝撃を与えました。 事故の原因究明は行われたものの、詳細な経緯は明らかにされていません。 この事故を契機に艦内安全対策や弾薬管理の強化が図られました。
1918年 日本海軍 戦艦 河内
1993年

北海道南西沖地震。マグニチュード7.8、死者202人。

1993年7月12日、北海道南西沖を震源とするマグニチュード7.8の地震が発生し、202人が犠牲になりました。
1993年7月12日午前10時17分、北海道南西沖を震源とする強い地震が発生しました。 最大震度6が記録され、十勝地方や渡島地方を中心に甚大な被害が出ました。 津波により奥尻島では家屋の大半が流失し、多くの住民が亡くなりました。 公式に確認された死者数は202人、行方不明者も多数に上りました。 この地震を契機に日本の津波防災対策や緊急地震速報システムの整備が進められました。
1993年 北海道南西沖地震 マグニチュード