1899年
吉野川が増水して各地で堤防が決壊。一条町では小学校や多数の人家が流失。死傷者197人、浸水家屋多数、田畑の収穫皆無。
吉野川の堤防決壊により大規模な水害が発生し、多数の建物や田畑が流失した日。
1899年7月12日、吉野川の水位が急激に上昇し、各地で堤防が決壊しました。
一条町では小学校や多数の人家が濁流にのみ込まれました。
この水害により死傷者は197人に上り、浸水家屋も多数確認されました。
田畑は完全に水没し、当年の収穫は壊滅的な打撃を受けました。
地元住民は復旧活動に追われ、以後の治水対策の重要性が改めて認識されました。
1899年
吉野川
堤防
一条町
小学校