嘉吉元年6月24日

足利義教

(1394 - 1441)

室町幕府第6代将軍

室町幕府第6代将軍
室町幕府第6代将軍。専制政治を行い嘉吉の乱で倒れた。
足利義教(1394-1441)は室町幕府第6代将軍として1429年に就任しました。 武断政治を志向し、積極的な財政改革や軍事力強化を推進しました。 守護大名や有力商人への課税強化など厳しい政策を取ったため反発を招きました。 1441年の嘉吉の乱で暗殺され、幕府権威に大きな打撃を与えました。 在任12年の短い治世ながら、室町政権の在り方に深い議論を残しました。
1441年 嘉吉 6月24日 足利義教 室町幕府 1394年
元禄15年6月18日

南部重信

(1616 - 1702)

第3代盛岡藩主

第3代盛岡藩主
江戸時代前期の盛岡藩第3代藩主。藩政改革に取り組んだ。
南部重信(1616-1702)は盛岡藩第3代藩主として藩政を統治しました。 藩財政の立て直しや領内開発を進め、城下町の整備にも注力しました。 藩士団の統制を図り、治安維持と農業振興に力を入れました。 学問や文化の奨励にも関心を寄せ、藩校の設立を支援しました。 長寿を全うし、1702年に没しました。
1702年 6月18日 南部重信 盛岡藩主 1616年
1712年

リチャード・クロムウェル

(1626 - 1712)

イギリスの第2代護国卿

イギリスの第2代護国卿
オリヴァー・クロムウェルの長男で、イングランド共和国期に第2代護国卿を務めた。 短命政権を経験し、その後は隠遁生活を送った。
1626年にオックスフォードシャーで生まれ、オリヴァー・クロムウェルの長男として育った。 1658年9月、父の死去に伴い第2代護国卿に就任したが、政治的基盤を失い翌年5月に退位。 退位後はフランスやアイルランドで過ごし、その後イングランドに戻り静かな生活を送った。 1712年に86歳で没し、後世では父の後継者としての華々しい政歴よりも短命政権で知られている。
1712年 リチャード・クロムウェル イギリス 護国卿 1626年
元文元年6月4日

井伊直惟

(1700 - 1736)

第8代彦根藩主

第8代彦根藩主
江戸時代中期の彦根藩第8代藩主。藩政の安定に尽力した。
1700年に彦根藩主・井伊直澄の子として誕生。 1723年に第8代藩主を継承し、藩政を担った。 藩財政の安定や農村振興に配慮し、領内の治水事業を支援。 学問や儒学を奨励し、藩校の充実を図った。 1736年6月4日に病没し、享年37で跡を子が継いだ。
1736年 元文 6月4日 井伊直惟 彦根藩主 1700年
宝暦元年6月20日

徳川吉宗

(1684 - 1751)

江戸幕府第8代将軍

江戸幕府第8代将軍
享保の改革を主導し、財政再建と学問奨励を進めた江戸幕府第8代将軍。
1684年に播磨国姫路で生まれ、紀伊藩から幕府に迎えられる。 1716年に第8代将軍に就任し、享保の改革を断行。 財政再建のため倹約令や株仲間公認を行い、目安箱を設置して民意を聴取。 学問奨励の一環として湯島聖堂を設立し、藩校や寺子屋を支援。 1751年に死去し、その改革政策は幕府の存続基盤を支えた。
1751年 宝暦 6月20日 徳川吉宗 江戸幕府 将軍 1684年
寛政3年6月12日

毛利治親

(1754 - 1791)

第9代長州藩主

第9代長州藩主
第9代長州藩主として藩政改革に取り組んだ江戸時代の大名。
1754年に長州藩主・毛利治元の長男として誕生。 1776年に第9代藩主に就任し、財政再建や治水事業を推進。 領民の生活安定のため農村振興に力を注ぎ、藩校の整備も行った。 洋式技術の導入や藩産業の育成に関心を示し、外交・軍制改革の基礎を築いた。 1791年に旗本で死去し、その遺志は子・毛利斉広が継承した。
1791年 寛政 6月12日 毛利治親 長州藩主 1754年
1804年

アレクザンダー・ハミルトン

(1755 - 1804)

弁護士、ジャーナリスト、政治家

弁護士 ジャーナリスト 政治家
米国建国の父の一人で、初代財務長官として国家財政制度を確立した。
1755年頃に西インド諸島ネヴィス島で生まれる。 キングス・カレッジ(現コロンビア大学)を卒業し、独立戦争で大陸軍の将校として活躍。 アメリカ合衆国憲法の支持者として『フェデラリスト・ペーパーズ』を執筆し、国の基礎を論じた。 1789年に初代財務長官に就任し、国債制度の整備や中央銀行設立など財政政策を主導。 1804年の決闘で致命傷を負い、46歳で没した。
1804年 アレクザンダー・ハミルトン 弁護士 ジャーナリスト 政治家 1755年
文政3年6月3日

南部利敬

(1782 - 1820)

第10代盛岡藩主

第10代盛岡藩主
盛岡藩第10代藩主として学問奨励や藩政改革に努めた大名。
1782年に南部利恭の子として誕生。 1805年に第10代盛岡藩主に就任し、藩財政の立て直しを図った。 藩校・南部学問所の充実を支援し、教育改革を推進。 農業振興や治水事業を行い、領民の生活改善に尽力。 1820年に病没し、その遺志は跡を継いだ子に引き継がれた。
1820年 文政 6月3日 南部利敬 1782年
天保11年6月14日

園基茂

(1793 - 1840)

公家

公家
江戸時代後期に宮廷で儀式や公文書の管理に従事した公家。
園基茂は江戸時代後期の公家で、朝廷の諸儀式や宮中行事の執行を担った。 幕府と朝廷の関係が微妙に揺れる天保期にあって、伝統的な儀礼の維持に尽力した。 多くの公文書を管理し、朝廷の運営を支えた人物として知られる。 文化・文政期から天保の改革期にかけて活動し、貴族社会の安定に寄与した。 その功績は後世の公家史に記録されている。
1840年 天保 6月14日 園基茂 公家 1793年
1849年

ドリー・マディソン

(1768 - 1849)

アメリカ合衆国のファーストレディ

アメリカ合衆国のファーストレディ
ジェームズ・マディソン大統領の夫人としてホワイトハウスの社交界を華やかに演出した。
ドリー・マディソンは第4代大統領ジェームズ・マディソンの妻としてファーストレディを務めた。 1814年の英米戦争ではホワイトハウスが焼失する際にワシントン大統領の肖像画を救出し、アメリカ国民の英雄となった。 社交的な才能に優れ、政治家や外交官を招いて盛大なレセプションを開催し、アメリカ初期の政治文化形成に寄与した。 書簡や日記には当時の政治や社会の様子が生き生きと記録されており、歴史資料としても高い価値がある。 その優雅な立ち振る舞いは後のファーストレディ像にも影響を与え続けている。
1849年 ドリー・マディソン アメリカ合衆国のファーストレディ 1768年
1874年

伊達慶邦

(1825 - 1874)

第13代仙台藩主

第13代仙台藩主
江戸時代末期の仙台藩第13代藩主で、藩政改革や近代化に取り組んだ。
伊達慶邦は1825年に仙台藩主伊達家の一員として生まれ、第13代藩主を継承した。 幕末の動乱期に藩政改革を断行し、洋学や兵制の導入を進めた。 藩校の整備や財政再建に努め、仙台藩の近代化に大きく寄与した。 戊辰戦争では奥羽越列藩同盟に参加しつつ、その後は新政府への対応も柔軟に行った。 明治維新後は華族に列せられ、公爵として政界にも関与した。
1874年 伊達慶邦 仙台藩主 1825年
1905年

巖谷一六

(1834 - 1905)

官僚、書家

官僚 書家
幕末から明治期にかけて活躍した官僚で、書家としても高い評価を受けた。
巖谷一六は江戸幕府に仕えた官僚として幕末の行政に携わり、明治維新後も新政府の官吏として活躍した。 雅号「一六」を用い、書家として古典書法の研究と作品制作に専念し、多くの書法集を刊行した。 その書風は端正かつ力強く、近代書道の発展に影響を与えた。 官僚としての緻密な文書作成能力と、書家としての芸術性を兼ね備えた稀有な存在とされた。 没後も書壇や研究者から高く評価され、その作品は国内外で収蔵されている。
1905年 巖谷一六 1834年