1969年
同和対策事業特別措置法公布。
1969年7月10日、部落差別の解消を目指す同和対策事業特別措置法が公布されました。これにより差別是正のためのさまざまな事業が本格化しました。
同和対策事業特別措置法は、長年続く部落差別の是正と経済的自立支援を目的に制定された法律です。教育や住宅、就労支援など多岐にわたる事業推進の根拠を法的に定め、自治体による実施体制を強化しました。法の公布により、同和地域へのインフラ整備や教育機会の拡充が加速しました。一方で制度の実効性や対象範囲をめぐる議論も活発化しました。今日の差別解消運動や人権教育における礎として、社会的評価が高い法律です。
1969年
同和対策事業特別措置法
1985年
フランスの核実験阻止のために活動していた環境保護団体、グリーンピースの「虹の戦士」号が爆破され沈没(レインボー・ウォーリア号事件)。フランス情報機関DGSEの犯行。
1985年7月10日、フランス情報機関DGSEが原子力実験に抗議するグリーンピースの旗艦「虹の戦士」号を爆破、沈没させた事件。
1985年7月にフランスが太平洋のムルロア環礁で行っていた核実験に反対し、グリーンピースは同年5月に「虹の戦士」号を派遣しました。
7月10日の未明、ニュージーランドのオークランド港に停泊中の船体に爆薬が仕掛けられ、爆破された結果沈没。
乗組員は避難したものの、写真家フェルナン・ビュフィが死亡し、1名が負傷しました。
捜査でフランス情報機関DGSEの関与が明らかとなり、国際的な非難を浴びました。
フランス政府は後に正式に責任を認め、賠償金を支払って和解しました。
1985年
フランス
核実験
グリーンピース
虹の戦士
レインボー・ウォーリア号事件
DGSE
1995年
ミャンマーの軍事政権が1989年以来続いていたアウンサンスーチーの自宅軟禁を解除。
1995年、ミャンマー軍政がアウンサンスーチーの約6年間にわたる自宅軟禁を解除した。
1989年に国民民主連盟(NLD)党首として自宅軟禁されたアウンサンスーチーは、約6年もの間自由を奪われていました。
国際社会からの解放要求が高まる中、軍事政権は1995年7月10日に彼女の軟禁を解除。
この決定は民主化運動に希望をもたらす一方、依然として厳しい政治状況が続くことを示しました。
解放後、スーチー氏は市民的自由の拡大と選挙制度改革を訴え続けました。
その後も繰り返し軟禁と解放を経験する人生が始まった重要な転機でした。
1995年
ミャンマー
1989年
アウンサンスーチー
軟禁
2014年
五所川原エフエム開局。
青森県五所川原市に地域コミュニティFM局「五所川原エフエム」が開局した。
2014年7月10日、青森県五所川原市を放送エリアとするコミュニティFM局「五所川原エフエム」が開局しました。地元のニュース、交通情報、行政広報、地域イベントの中継など、多彩な番組を提供し住民の生活に根ざした放送を行います。地域の声を反映した番組作りを重視し、市民参加型のコーナーも設けられています。防災情報や災害時の緊急放送など、公共性の高い役割も担っています。開局以来、地元企業や団体との連携を深めながら地域活性化に貢献しています。
2014年
五所川原エフエム