1770年
レクセル彗星が地球から0.0146天文単位まで接近。地球に最も接近した彗星。
1770年7月1日、レクセル彗星が地球に史上最接近し、0.0146天文単位まで近づいた。
レクセル彗星はスウェーデンの天文学者ヨハン・レクセルが発見した彗星です。
1770年7月1日に、本彗星は地球に約219万キロメートル(0.0146天文単位)まで急接近しました。
これは観測史上最も地球に近づいた彗星として知られています。
その大接近により夜空で鮮明な尾を引き、多くの記録や絵画が残されました。
現在では軌道が精密に計算され、将来の接近予測が行われています。
1770年
レクセル彗星
天文単位
彗星
1881年
世界初の国際電話がカナダ(St. Stephen in New Brunswick)とアメリカ合衆国(Calais, Maine)の間で行われる。
Bellの発明から5年後、国境を越えた初の電話通信が実現し、国際通信の幕開けとなった。
1876年にアレクサンダー・グラハム・ベルが発明した電話技術は急速に普及した。
1881年7月1日、カナダ・ニューブランズウィック州セント・スティーブンと米国メイン州カレイスを結ぶ回線で初の国際通話が行われた。
オペレーター同士が音声で会話し、約16kmの陸上線を通じてリアルタイム通信を実現。
この成功を契機に国際電話網の整備が進み、世界中で電話通信が発展していった。
1881年
国際電話
1885年
専売特許条例施行。
日本初の特許保護制度「専売特許条例」が施行され、発明者の権利保護が法的に整備。
明治政府は産業振興策の一環として1885年7月1日に専売特許条例を施行した。
これにより発明者は一定期間、独占的に技術を利用・販売する権利を獲得。
従来の模倣や海外技術流入を規制し、国内技術開発を促進する枠組みが整えられた。
本条例は後の特許法(明治32年)の立法的基盤となり、日本の近代産業化を支えた。
1885年
1908年
SOSが国際的な遭難信号として採用される。
1908年7月1日、国際的な遭難信号としてSOSが正式採用されました。
1906年のベルリン無線電信会議で提案されたSOSは、
国際的な一律遭難信号として認められるまでに議論を重ね、
1908年の改訂会議で正式採用されました。
シンプルで識別しやすい「···---···」というモールス符号は、
海難救助だけでなく航空機や陸上交通の緊急通信でも広く用いられ、
遭難救助の標準規格として今日に至るまで世界中で使われています。
1908年
SOS
遭難信号
1931年
アメリカの飛行士ウィリー・ポストが世界一周速度記録を達成。
1931年、飛行士ウィリー・ポストが単独飛行で世界一周の速度記録を樹立しました。
1931年7月1日、アメリカの飛行士ウィリー・ポストが自作機『ウィニー・メイ号』で世界一周飛行を完遂しました。
約25,000kmの飛行を7日18時間49分で達成し、それまでの記録を大幅に更新しました。
単独無着陸飛行による偉業は当時の航空技術と耐久性の証明となりました。
ポストの飛行は航空機の信頼性向上とパイロット技術の発展に寄与しました。
この記録は長らく破られることなく、ポストの名声を不動のものにしました。
後に彼は高高度飛行研究などでも活躍し、航空業界の先駆者として知られています。
1931年
ウィリー・ポスト
世界一周
1932年
中央気象台臨時富士山頂観測所設置。富士山頂での気象観測を開始。
1932年、中央気象台が富士山頂に臨時観測所を設置し、山頂での気象観測が始まりました。
1932年7月1日、中央気象台は富士山頂(標高約3776m)に臨時観測所を設置しました。
これまで不可能とされていた山頂での気象データ収集が可能となりました。
観測所では気温・気圧・風速・風向などのデータが継続的に計測されました。
高高度の観測データは気象予報精度の向上や大気研究に大いに貢献しました。
その後、観測所は定常観測施設へと発展し、現在に至るまで運用が継続しています。
1932年
中央気象台臨時富士山頂観測所
1946年
アメリカがマーシャル諸島で最初の核実験(クロスロード作戦)を実施。
1946年、アメリカがマーシャル諸島で最初の核実験『クロスロード作戦』を実施しました。
1946年7月1日、アメリカ軍はビキニ環礁(マーシャル諸島)で最初の核実験『クロスロード作戦A号』を実施しました。
空中爆発で多量の放射性物質が海面に降下し、船舶や環境への影響が問題視されました。
本作戦は第二次世界大戦後の核兵器実験として最初のものです。
原子爆弾の破壊力と放射線影響を調査し、海軍艦艇への影響評価を目的としました。
環境汚染や住民健康への懸念が後の核実験規制議論に影響を与えました。
1946年
マーシャル諸島
核実験
クロスロード作戦
1957年
国際地球観測年 (IGY) が開始される。1958年12月31日まで。
地球規模で科学的観測を行う国際地球観測年(IGY)がスタートした。
1957年7月1日から1958年12月31日までの18ヶ月間、国際地球観測年(International Geophysical Year: IGY)が実施された。地球の大気、海洋、氷床、地磁気などを対象に多国間協力で統一観測が行われた。米ソ冷戦下でも協力が続き、南極大陸の探査や人工衛星の打ち上げなど科学技術の発展に大きく貢献した。国際的なデータ共有が進み、現代の地球科学研究の基盤が築かれた。これらの取り組みは環境問題への関心を高める契機ともなった。
1957年
国際地球観測年
1958年
12月31日
1968年
電電公社が東京23区でポケットベルのサービスを開始。
1968年7月1日、電電公社(現NTT)が東京23区でポケットベルサービスを開始し、無線通信時代の幕開けとなりました。
ポケットベルは、送信者が公衆電話などから電話番号を入力し、受信者の携帯型受信機に番号が表示されるシステムです。1968年7月1日から東京23区で商用サービスが始まり、ビジネスパーソンを中心に普及しました。初期は通話機能を持たないワンウェイ型でしたが、その後応答機能(リターンパケット)を持つ機種も登場しました。ポケットベルの導入は、携帯電話やPHSへと続く移動通信サービスの先駆けとなり、外出先での連絡手段を大きく進化させました。
電電公社
東京23区
ポケットベル
1973年
内閣放射能対策本部が4日前の中国の水爆実験の影響で石川県内の雨から平常値の70 80倍の放射能検出と発表。
中国の水爆実験による放射能検出を内閣放射能対策本部が発表しました。
1973年7月1日、内閣放射能対策本部は4日前に中国が実施した水爆実験の影響で、石川県内に降った雨水から平常値の70~80倍に相当する放射能を検出したと発表しました。
当時は冷戦下での核実験による放射能飛散への警戒が強まっており、国内でも健康影響や農産物への汚染が懸念されました。
政府は関係自治体と連携し、放射線量の継続的な測定と住民への情報提供を実施。
この発表は核実験の国際的な問題を改めて浮き彫りにし、環境モニタリング体制の重要性を示しました。
以後、国際社会での核実験監視や情報共有の必要性が高まりました。
1973年
水爆
石川県
雨
放射能
1979年
ソニーがウォークマンの1号機TPS L2を発売。
ソニーが世界初のポータブル音楽プレーヤー「ウォークマン」1号機を発売しました。
1979年7月1日、ソニーがポータブルカセットプレーヤー「TPS-L2」を発売し、これが最初のウォークマンです。
小型・軽量でヘッドホン出力を備えた革新的なデザインが特徴。
音楽を携帯して楽しむという新たなライフスタイルを提案し、世界的なブームを引き起こしました。
ウォークマンはその後も累計数億台を売り上げ、携帯音楽プレーヤー市場を創出した製品です。
コンパクトな携帯音楽プレーヤーというコンセプトは、その後のデジタル音楽プレーヤーにも受け継がれました。
1979年
ソニー
ウォークマン
1981年
マルチメディア機器メーカー「クリエイティブテクノロジー」が設立された。
シンガポールのマルチメディア機器メーカーCreative Technologyが設立されました。
1981年7月1日、シンガポールでマルチメディア機器メーカーのCreative Technology Ltd.が設立されました。
初期にはシンガポール国内市場を中心にオーディオ機器の開発・販売を開始。
後にサウンドカード『Sound Blaster』シリーズで世界的に知られるようになり、PC用マルチメディア市場を牽引しました。
同社の製品はパソコンの音響性能を飛躍的に向上させ、ゲームや音楽制作分野に大きな影響を与えました。
現在もコンピューター周辺機器の分野で高いシェアを誇り続けています。
1981年
クリエイティブテクノロジー