1569年
ルブリン合同が成立し、同君連合であったポーランド王国とリトアニア大公国が合邦してポーランド・リトアニア共和国になる。
1569年7月1日にポーランド王国とリトアニア大公国が合邦し、ポーランド・リトアニア共和国が成立した。
ルブリン合同は、ポーランド王国とリトアニア大公国の同君連合を深化させた画期的な合邦条約です。
1569年7月1日に両国の議会で承認され、一つの中央行政機関と国王を共有する共和制国家となりました。
この統合により、ポーランド・リトアニア共和国は多様な民族と文化を内包する巨大国家となりました。
共和国は現在のポーランドやリトアニア、ウクライナ北西部を含む広大な領域を統治しました。
約150年にわたり存続し、18世紀末の三度に及ぶ分割まで東欧の政治史に大きな影響を与えました。
1569年
ルブリン合同
同君連合
ポーランド王国
リトアニア大公国
ポーランド・リトアニア共和国
安政6年6月2日
日米修好通商条約に基づき、神奈川(横浜港)、長崎(長崎港)、箱館(函館港)が開港される。
1859年7月1日、日米修好通商条約に基づき横浜・長崎・箱館の三港が開港された。
日米修好通商条約(安政五カ国条約)は、日本を開国し指定港を貿易港として開放する内容です。
1859年7月1日に横浜(神奈川)、長崎、箱館(函館)の三港が正式に外国船に開港されました。
横浜港は急速に発展し、文明開化と国際貿易の中心地となりました。
長崎港と函館港もアジア太平洋地域の交易拠点として重要な役割を果たしました。
これにより日本は世界経済に組み込まれ、近代化への道を本格的に歩み始めました。
1859年
安政
6月2日
日米修好通商条約
横浜港
長崎港
函館港
1867年
イギリス議会で英領北アメリカ法が制定され、カナダが連邦自治を開始する。(カナダの建国記念日:カナダ・デー)
1867年7月1日、英領北アメリカ法の制定によりカナダが連邦自治を開始した(カナダ・デー)。
英領北アメリカ法(British North America Act)は、カナダ自治領の憲法的基盤となる法律です。
1867年7月1日にイギリス議会で可決・制定され、オンタリオ、ケベック、ノバスコシア、ニューブランズウィックの4州が連邦を形成しました。
これによりカナダは自治権を獲得し、独自の立法・行政機構を持つ国家として発足しました。
現在この日は「カナダ・デー」として祝日になり、全国でパレードや花火などの祝賀行事が行われます。
カナダの建国とアイデンティティを祝う重要な国民行事です。
1867年
イギリス
英領北アメリカ法
カナダ
建国記念日
カナダ・デー
1867年
北ドイツ連邦で首相にオットー・フォン・ビスマルクが就任する。
1867年7月1日、北ドイツ連邦の首相にオットー・フォン・ビスマルクが就任した。
オットー・フォン・ビスマルクは近代ドイツ統一の中心人物として知られています。
1867年7月1日、彼は北ドイツ連邦の初代首相(連邦議長)に任命されました。
ビスマルクは鉄血政策を掲げ、プロイセン主導でドイツ諸侯の統合を進めました。
彼の外交手腕と軍事戦略は、1871年のドイツ帝国成立へとつながりました。
ビスマルク体制は19世紀後半のヨーロッパ政治に大きな影響を与えました。
北ドイツ連邦
オットー・フォン・ビスマルク
明治4年5月14日
明治政府が神道を国家の宗祀と定める。
1871年7月1日、明治政府が神道を国家の宗祀と定めた。
明治政府は近代国家建設の一環として宗教政策を整備しました。
1871年7月1日(明治4年5月14日)、神祇官を設置し神道を国教と定めました。
これにより神社は国家統制下に置かれ、祭祀が政府の宗教行事として位置づけられました。
国家神道の基礎が築かれ、教育や政治への宗教的影響力が強化されました。
この政策は後の国家神道体制へと発展し、戦前日本の社会と政治に大きな影響を与えました。
1871年
明治
5月14日
神道
国家の宗祀
1873年
プリンスエドワード島がカナダ連邦政府に加入。
カナダ連邦の第7番目の州としてプリンスエドワード島が加入。経済的困難を背景に連邦との結びつきを強化した。
1867年のカナダ建国時に加盟を見送ったプリンスエドワード島は、鉄道建設費用などの負債に悩まされていた。
その返済支援を求める声が高まり、1873年7月1日に連邦政府への加盟が承認された。
加盟により島は経済的援助と政治的発言権を獲得し、インフラ整備が進展。
住民生活の向上とともに、カナダ全土で祝日「カナダデー」として定着する記念日に発展した。
1873年
プリンスエドワード島
1878年
カナダが万国郵便連合 (UPU) に加盟。
万国郵便連合への加盟で国際郵便の統一制度が導入され、各国間の郵便物交換が飛躍的に効率化。
万国郵便連合(UPU)は1874年に設立され、国際間で統一的な郵便料金と運送規定を定めた国際機関。
カナダは1878年7月1日に加盟し、欧米諸国との郵便物交換において複雑な国別料金が廃止された。
統一料金制により商業通信や個人の手紙交換が活発化し、貿易や文化交流が促進された。
制度導入後は国内外への迅速な郵便網が整備され、経済発展にも寄与したとされる。
1878年
万国郵便連合
1885年
専売特許条例施行。
日本初の特許保護制度「専売特許条例」が施行され、発明者の権利保護が法的に整備。
明治政府は産業振興策の一環として1885年7月1日に専売特許条例を施行した。
これにより発明者は一定期間、独占的に技術を利用・販売する権利を獲得。
従来の模倣や海外技術流入を規制し、国内技術開発を促進する枠組みが整えられた。
本条例は後の特許法(明治32年)の立法的基盤となり、日本の近代産業化を支えた。
1885年
1890年
第1回衆議院議員総選挙が行われる。
明治憲法下で初めて実施された衆議院議員選挙が日本の立憲政治を動かし始めた。
1889年公布の大日本帝国憲法に基づき、1890年7月1日に第1回衆議院議員総選挙が実施された。
選挙権は納税要件を満たす男子約44万人に限定され、選挙区ごとに議員が選出された。
立憲政友会や立憲改進党といった政党が国会に初めて議席を獲得。
憲政運営への参加が始まり、日本の立憲政治確立の出発点となった。
1890年
第1回衆議院議員総選挙
1890年
イギリスとドイツがヘルゴランド=ザンジバル条約を締結。
植民地交換を通じて勢力圏を調整する英独間の条約が成立。
1890年7月1日、ベルリンでイギリスとドイツがヘルゴランド=ザンジバル条約を締結。
ドイツは北海のヘルゴランド島を獲得し、海上防衛の要地を確保した。
イギリスは東アフリカのザンジバルにおける影響力を一層強化。
アフリカ分割を進めたベルリン会議の成果を踏まえ、両国の植民地政策を安定させた。
ヘルゴランド=ザンジバル条約
1909年
日本陸軍代々木練兵場が完成。
1909年7月1日、日本陸軍の代々木練兵場が完成し、皇居外苑に隣接する広大な演習場が整備されました。
明治期の軍事近代化の一環として建設された代々木練兵場は、
東京市中心部の西側に位置し、歩兵や騎兵の演習施設として設計されました。
完成当初は最新鋭の訓練設備を備え、軍事演習や軍事パレードの場として使用されました。
その後、1923年の関東大震災後には救護活動や避難所としても機能し、
戦後は平和利用を目指し、現在の明治神宮外苑や国立競技場などに転用されました。
1909年
日本陸軍
代々木練兵場
1911年
第二次モロッコ事件: モロッコの権益を巡り、ドイツとフランスが衝突。
1911年7月1日、第二次モロッコ事件が勃発し、ドイツとフランスがモロッコの権益を巡って対立しました。
1911年、フランスのモロッコ保護国化に反発したドイツは軍艦をタンジールに派遣し対抗しました。
この行動は欧州列強間の緊張を一気に高め、バルカン半島同様に植民地問題が戦争の火種となりました。
ドイツは大西洋艦隊をタンジールへ送航し、フランス側の妥協を引き出そうとしました。
最終的にフランスは補償金を支払い、ドイツはカメルーン領を拡大する形で交渉が妥結しました。
この危機は第一次世界大戦の序章とも指摘され、欧州の軍拡競争と同盟関係を一層複雑化させました。
1911年
第二次モロッコ事件
モロッコ
ドイツ
フランス