1109年

アルフォンソ6世

(1040 - 1109)

カスティーリャ王

カスティーリャ王
11世紀のカスティーリャ王で、レコンキスタを推進しトレドを奪回した君主。
1040年にレオンのフェルナンド1世の子として生まれる。 カスティーリャ王として即位後、国土再統一を図り貴族権力を強化した。 1085年にはトレドを攻略しレコンキスタを大きく前進させた。 異母兄弟との内戦やヨーロッパ貴族との婚姻政策を通じて勢力を拡大。 1109年に死去し、後継者争いを歴史に残した。
1109年 アルフォンソ6世 カスティーリャ王 1040年
元仁元年6月13日

北条義時

(1163 - 1224)

鎌倉幕府第2代執権

鎌倉幕府第2代執権
鎌倉幕府第二代執権として幕政を支え、源頼朝の死後も幕府の安定に尽力した武将。
1163年に伊豆の豪族・北条氏に生まれる。 源頼朝の挙兵に参加し、鎌倉幕府樹立に貢献。 初代執権北条時政の子として幕政に関与し、執権職を継承。 承久の乱後の幕府改革を推進し、政権基盤を確立。 1224年に没し、北条氏による執権政治の礎を築く。
1224年 元仁 6月13日 北条義時 鎌倉幕府 執権 1163年
1277年

バイバルス

(1223 - 1277)

マムルーク朝第5代スルターン

マムルーク朝第5代スルターン
マムルーク朝第5代スルターンで、モンゴル軍を撃退しエジプト・シリアを統治した名将。
1223年に原奴隷身分のマムルークとして生まれる。 1260年にアインジャロートの戦いでモンゴル軍を破り、イスラム世界の危機を救う。 即位後はエジプト・シリアを統治し、農業と貿易を振興。 首都カイロの拡張を図り、宮殿や建築事業を多数推進。 1277年に没し、強力な中央集権体制を築いた名君として評価される。
1277年 バイバルス マムルーク朝 スルターン 1223年
1520年

モクテスマ2世

(1466 - 1520)

アステカ帝国皇帝

アステカ帝国皇帝
アステカ帝国の第9代皇帝で、スペイン人到来時に帝国の運命を左右した指導者。
1466年にトラコパンで生まれ、1502年にアステカ皇帝に即位。 強大な軍事力で領土を拡大し、周辺諸国に貢物を求める圧政を強化。 1519年、エルナン・コルテス率いるスペイン人が到来し、協調と対立の狭間で対応。 内部の反乱や疫病の流行が重なり、1520年に捕らえられ没する。 その死後、アステカ帝国は急速に崩壊への道を辿った。
1520年 モクテスマ2世 アステカ 1466年
元禄12年6月5日

徳川綱誠

(1652 - 1699)

第3代尾張藩主

第3代尾張藩主
尾張藩第3代藩主として領内の財政改革や藩政安定に尽力した大名。
1652年に尾張藩主徳川義直の子として生まれる。 1680年代に藩財政の再建を図り、倹約令の制定などを実施。 領内の治水や道路整備を推進し、経済基盤の強化に努めた。 学問や文化活動も奨励し、尾張藩の学問所設立を支援。 1699年に死去し、藩の発展に寄与した藩主として知られる。
1699年 元禄 6月5日 徳川綱誠 尾張藩主 1652年
1736年

アフメト3世

(1673 - 1736)

オスマン帝国スルタン

オスマン帝国スルタン
オスマン帝国のスルタン(在位1703–1730)で、ティュリップ時代の文化発展を奨励した君主。
1673年にイスタンブールで生まれ、1703年に即位してアフメト3世となる。 ヨーロッパ文化を取り入れた『チューリップ時代』を推進し、宮廷文化が花開く。 建築や芸術、園芸に好みを示し、多くの宮殿や庭園を創設。 一方で宮廷内の権力争いが激化し、重臣らの影響力が増大。 1730年に幽閉され退位後、1736年に没する。
1736年 アフメト3世 オスマン帝国 スルタン 1673年
1782年

ロッキンガム侯チャールズ・ワトソン=ウェントワース

(1730 - 1782)

イギリスの首相

イギリスの首相
イギリスの貴族で、二度にわたり首相を務めた政治家。
1730年に生まれ、若くして貴族院議員となる。1765年に初めて首相に就任し、スタンプ法廃止を主導。1782年に再度首相に就任するも短命政権に終わる。保守的かつ穏健な政治手法で議会と王権の均衡を図った。外交ではフランスとの関係修復に努め、アメリカ植民地の課税問題に対処した。1782年に没し、イギリス議会政治の基盤強化に寄与した。
1782年 チャールズ・ワトソン=ウェントワース イギリスの首相 1730年
1839年

マフムト2世

(1785 - 1839)

オスマン帝国第30代皇帝

オスマン帝国第30代皇帝
オスマン帝国第30代皇帝として近代化改革を推進した君主。
1785年にイスタンブールで生まれる。1808年に帝位を継承し長期にわたり統治を行う。旧来の軍事組織ジャニサリーを排除する『良き事件』を実施。ヨーロッパ式の行政改革や軍制改革を導入し近代化を推進。バルカン半島やエジプトでの支配権を維持しようと試みる。1839年に没し、彼の改革は後のタンジマート時代の礎となった。
1839年 マフムト2世 1785年
1908年

児島惟謙

(1837 - 1908)

政治家、大審院判事

政治家 大審院判事
明治期の政治家・司法官で、大審院初代長官を務めた人物。
1837年に肥前国(現佐賀県)で生まれる。幕末期には佐賀藩士として学問を修める。明治維新後、司法省に出仕し法制整備に携わる。新設された大審院の初代長官に任命され、日本の最高司法機関の基礎を築く。地方行政改革にも従事し、法治主義の確立に貢献。1908年に没し、日本近代司法制度の発展に大きな功績を残した。
1908年 児島惟謙 大審院 1837年
1934年

エルンスト・レーム

(1887 - 1934)

ナチス突撃隊創始者

ナチス突撃隊創始者
ドイツの軍人かつ政治活動家。ナチス党の突撃隊(SA)を創設し、初代指導者として党内武装組織の礎を築いた。
1887年にドイツで生まれる。第一次世界大戦では将校として従軍し、戦後の混乱期に右翼運動に参加。1921年にナチ党に入党後、1925年に突撃隊(SA)を創設し、軍事的訓練と組織拡大に尽力。ヒトラーの側近として党内で大きな影響力を持ったが、内部抗争の中で裏切り者とみなされ、1934年7月1日の「長いナイフの夜」で暗殺された。
エルンスト・レーム ナチス 突撃隊 1887年
1974年

フアン・ペロン

(1895 - 1974)

政治家、アルゼンチン大統領

政治家 アルゼンチン大統領
アルゼンチンの政治家。労働者階級の支持を背景に大衆政治を展開し、ペロン主義を確立した。
1895年にアルゼンチンで生まれ、軍人としてキャリアをスタート。1943年の軍事クーデター後、労働省長官として労働者保護政策を推進し、国民の圧倒的支持を獲得。1946年に大統領に就任し、社会福祉制度や経済自立を重視した「第三の道」の政治を展開。1955年のクーデターで追放されるが、1973年に帰国し再度大統領に復帰。1974年7月1日に死去するまで、アルゼンチン政治に強い影響を与え続けた。
1974年 フアン・ペロン アルゼンチン大統領 1895年
2006年

橋本龍太郎

(1937 - 2006)

政治家、第82・83代内閣総理大臣

政治家 第82・83代内閣総理大臣
日本の政治家。第82・83代内閣総理大臣として1996年から1998年まで政権を率いた。
1937年、福井県に生まれる。自民党に所属し、政治家としてのキャリアをスタート。 1996年1月、第82代内閣総理大臣に就任。行政改革や財政健全化に取り組んだ。 1997年には消費税率引き上げを実現し、一連の経済政策で注目を集めた。 同年の株価急落は「橋本ショック」と呼ばれ、大きな話題となる。 1998年7月まで首相を務めた後も党内で要職を歴任し、改革派として知られた。 2006年7月1日、肺炎のため死去。改革志向のリーダーとして多くの足跡を残した。
2006年 橋本龍太郎 内閣総理大臣 1937年