1876年

イギリス人の手により、中国初の鉄道が上海・呉淞間に開通。

1876年、中国で初めて上海と呉淞を結ぶ鉄道がイギリス人技師の手で開通しました。
呉淞鉄道は全長約14.5kmの路線で、上海~呉淞港を結びました。 青木長井やジャーディン・マセソン商会が建設を主導し、清朝政府の許可を得て開業しました。 この路線は貨物輸送と旅客輸送の両方に利用され、中国初の営業鉄道となりました。 鉄道建設は中国の近代化と経済発展の契機となり、その後各地へ鉄道網が拡大しました。 西洋技術導入の象徴として、後の近代中国史における重要なマイルストーンです。
1876年 中国初の鉄道 上海 呉淞
1894年

ロンドンのタワーブリッジが使用開始。

ロンドンの象徴的な可動式吊り橋、タワーブリッジが正式に開通し、歩行者と車両の通行が開始されました。
1876年に設計が始まり、1886年から着工したタワーブリッジはゴシックリバイバル様式を取り入れたデザインが特徴です。1894年6月30日の完成により、テムズ川をまたぐ交通の利便性が飛躍的に向上しました。中央の可動式バスキュール橋は蒸気機関で開閉し、当時の最新技術を示しています。現在でも年間に数百回開閉し、観光名所としても名高い橋となっています。建設当時の技術と美術の融合が感じられる逸品です。
ロンドン タワーブリッジ
1909年

京成電気軌道(現在の京成電鉄)設立。

京成電気軌道(現在の京成電鉄)が設立され、東京湾沿岸の交通ネットワーク構築が始まりました。
1909年6月30日、東京と千葉を結ぶ鉄道事業を目的に京成電気軌道株式会社が設立されました。京成電鉄は当初、沿線の農産物輸送や乗客輸送を担い、都市と郊外を結ぶライフラインとなりました。1920年代には都心と空港を結ぶルートを開発し、さらなる発展を遂げます。戦後の都市化に伴い、路線網や車両の増強を進め、現在では京成線と都営浅草線、京急線との相互直通運転を実現。経済成長を支え、人々の日常生活に欠かせないインフラとして機能し続けています。
1909年 京成電鉄
1971年

九州自動車道が九州縦貫自動車道として植木IC 熊本IC間で開通。

九州自動車道の一部区間(植木IC〜熊本IC)が開通し、九州縦貫自動車道として機能を拡大した。
1971年6月30日、九州自動車道の植木インターチェンジ(IC)から熊本ICまでの区間が開通しました。 この開通により、福岡から鹿児島へ至る九州縦貫自動車道の整備が進み、地域間の物流や観光が促進されました。 道路交通網の充実は地域経済の活性化にも寄与し、九州全体の発展に大きく貢献しました。
九州自動車道 植木IC 熊本IC
1982年

国鉄仁堀連絡船がこの日限りで廃止。

国鉄が運行していた仁堀連絡船がこの日をもって廃止され、四国と瀬戸内島嶼部を結ぶ航路が終了した。
1982年6月30日、国鉄(日本国有鉄道)の仁堀連絡船が廃止されました。 この航路は愛媛県と香川県を結び、地域の住民や旅客、貨物輸送に利用されてきました。 道路網や橋梁の整備により利用者が減少したことから、経営合理化の一環として廃止が決定されました。 航路廃止後はバスや船会社による代替輸送が行われています。
1982年 国鉄 仁堀連絡船
1985年

北海道の国鉄興浜北線・岩内線がこの日限りで営業終了。翌7月1日廃止。

北海道で国鉄興浜北線と岩内線の営業が終了し、翌7月1日に正式廃止された。
1985年6月30日、北海道の国鉄興浜北線と岩内線が営業を終了しました。 両路線は函館本線の枝線として地域を結んでいましたが、過疎化と車社会の進展で乗客が激減しました。 翌7月1日に正式に廃止され、地域住民の足として長年親しまれたローカル線の歴史に幕を下ろしました。 路線跡は一部が道路やサイクリングコースとして再利用されています。
1985年 北海道 興浜北線 岩内線 7月1日
1991年

同和鉱業片上鉄道線が営業運転を終了。翌7月1日廃止。

1991年6月30日、同和鉱業片上鉄道線が最終列車の運行をもって営業運転を終了し、翌日廃止されました。小規模路線の歴史に幕を下ろしました。
同和鉱業片上鉄道線は鉱石輸送と地域住民の足として長年親しまれてきました。 鉄道会社が1991年6月30日に営業運転を終え、翌7月1日に正式廃止。 沿線の人口減少や鉱山の閉山など経営環境の悪化が背景にありました。 廃止後は一部区間が路線バスに置き換えられ、鉄道の時代を懐かしむ人々の思い出となっています。 地域交通の変遷を象徴する出来事です。
1991年 同和鉱業片上鉄道線
2007年

2004年の集中豪雨で鉄橋が流され、一部区間で不通になっていたJR越美北線が、全線で運転を再開。

2007年6月30日、JR越美北線が全線で運転を再開しました。
2007年6月30日、JR越美北線が全線での運転を再開しました。2004年の集中豪雨で福井県内の鉄橋が流失し、一部区間が不通となっていました。復旧工事では新たな鋼橋の架設や線路の再敷設が行われ、約3年半ぶりの再開となりました。これにより沿線自治体の交通利便性が回復し、観光や地域経済の活性化が期待されました。地元住民からは復旧を喜ぶ声が多く聞かれました。
2007年 越美北線