元弘3年5月18日

北条守時

(1295 - 1333)

鎌倉幕府第16代執権

鎌倉幕府第16代執権
鎌倉幕府第16代執権として幕政を主導した人物。 後醍醐天皇の討幕運動に対抗し、幕府の存続に尽力した。
北条氏の一門で1295年に生まれ、若年から幕府の要職を歴任した。 1326年、第16代執権に就任し、鎌倉幕府の最高権力者として政務を掌握した。 後醍醐天皇による討幕運動に対抗し、幕府軍を率いて京への進軍を阻止しようとした。 しかし元弘3年(1333年)5月、鎌倉攻めにより幕府は崩壊し、守時も戦死した。 鎌倉幕府の終焉を象徴する人物として評価されている。
1333年 元弘 5月18日 北条守時 鎌倉幕府 執権 1295年
1488年

アンドレア・デル・ヴェロッキオ

(1435 - 1488)

画家、彫刻家、建築家、版画家

画家 彫刻家 建築家 版画家
ルネサンスを代表するイタリア人画家・彫刻家。 多岐にわたる芸術活動で知られ、多くの優れた弟子を育てた。
1435年頃にフィレンツェで生まれ、金細工師として修業を開始。 絵画・彫刻・建築など多才な技術を駆使し、洗練された表現を追求した。 代表作に『キリストの洗礼』や青銅製のダビデ像がある。 レオナルド・ダ・ヴィンチをはじめ、ピエロ・デラ・フランチェスカらを弟子に持ち、後進に大きな影響を与えた。 その芸術的業績はルネサンス芸術の発展に重要な役割を果たした。
1488年 アンドレア・デル・ヴェロッキオ 1435年
明応5年5月20日

日野富子

(1440 - 1496)

足利義政の正室、足利義尚の母

足利義政の正室 足利義尚の母
室町幕府8代将軍・足利義政の正室として権勢を振るった女性。 応仁の乱の引き金となる将軍後継争いを主導した。
1440年に公家の名門・日野家に生まれ、義政の正室として室町幕府に入内。 義政との間に嗣子を得られなかったため、弟の足利義尚を後継者に推した。 その後継問題は管領山名氏と細川氏の対立を激化させ、応仁の乱勃発の遠因となった。 義政の失政を補佐し幕政を主導する一方、文化事業にも理解を示し、歴史上重要な役割を果たした。 1496年に没し、室町幕府の動乱期を象徴する女性として知られる。
1496年 明応 5月20日 日野富子 足利義政 足利義尚 1440年
1522年

ヨハネス・ロイヒリン

(1455 - 1522)

古典学者、人文学者

古典学者 人文学者
ドイツ・ルネサンス期の古典学者・人文学者。ヘブライ語研究の先駆者として知られる。
1455年にドイツのプファルツ地方で生まれ、パリ大学やケルン大学で学んだ。 古典ギリシア語・ラテン語だけでなくヘブライ語の研究に力を入れ、『De rudimentis hebraicis』を著した。 当時のユダヤ教文献の禁書扱いに対し、出版の自由を擁護する論争を起こし、宗教改革に先駆的な影響を与えた。 1517年にはカトリック教会の権威と対立し、近代的人文学の先駆者と評価される。 1522年に没し、ヨーロッパ人文学の発展に大きな足跡を残した。
1522年 ヨハネス・ロイヒリン 1455年
1666年

アダム・クリーガー

(1634 - 1666)

作曲家

作曲家
バロック期のドイツ人作曲家。リート(歌曲)の分野で革新的な作品を残した。
1634年にドイツのケムニッツ近郊で生まれ、ライプツィヒ大学で学んだ。 ドイツ語リートの先駆者として、簡潔で美しい旋律を特徴とする作品を多数作曲。 代表作に『Abendsegen aus Golgatha』などがあり、当時の教会音楽にも大きな影響を与えた。 短い生涯ながら、後世の歌曲やオラトリオにおいて重要な役割を果たした。 1666年に若くして没したが、その音楽は現在も演奏され続けている。
1666年 アダム・クリーガー 作曲家 1634年
1817年

アブラハム・ゴットロープ・ウェルナー

(1749 - 1817)

地質学者

地質学者
ドイツの地質学者。ネプチュニズムを提唱し、近代地質学の基礎を築いた。
1749年にドイツ南西部で生まれ、ライプツィヒ大学で鉱物学を学んだ。 鉱物の化学的生成過程に基づく分類体系を構築し、『岩石成因論』を発表した。 多くの弟子を育て、ヨーロッパ各地で地質学の発展を促進した。 ネプチュニズム(鉱物は海水から結晶化するとする説)は当時の定説となった。 1817年に没し、地質学の学問体系確立に多大な貢献を残した。
1817年 アブラハム・ゴットロープ・ウェルナー 地質学者 1749年
1882年

チャールズ・J・ギトー

(1841 - 1882)

法律家、政治活動家

法律家 政治活動家
法律家・政治活動家として活動した後、大統領ジェームズ・ガーフィールドを暗殺。 1882年に処刑された。
1841年にアメリカで生まれ、独学で法律を学び弁護士資格を取得した。 共和党に接近し、1880年の大統領選挙でガーフィールド陣営を支援した。 大統領就任後の利益供与を期待したが拒否され、1881年7月に暗殺を決意。 ワシントンD.C.でガーフィールド大統領を銃撃し、数週間後に大統領の死を招いた。 裁判で有罪判決を受け、1882年に絞首刑に処された。
1882年 チャールズ・J・ギトー 法律家 1841年
1919年

ジョン・ウィリアム・ストラット

(1842 - 1919)

物理学者

物理学者
イギリスの物理学者で、第3代レイリー卿。 アルゴン発見とレイリー散乱の理論で知られる。
1842年にイギリスで生まれ、ケンブリッジ大学で学位を取得。 1880年にアルゴンを発見し、気体の成分分析に革命をもたらした。 レイリー散乱の理論を確立し、大気の青さや光の散乱現象を説明した。 多数の実験的研究を行い、波動理論に貢献した。 1904年にノーベル物理学賞を受賞し、物理学界で高く評価された。
1919年 ジョン・ウィリアム・ストラット 物理学者 1842年
1934年

クルト・フォン・シュライヒャー

(1882 - 1934)

ドイツ首相

ドイツ首相
ワイマール共和国最後の首相として短期間政権を担った。 ナチス権力掌握前夜の政治的緊張を象徴する人物。
1882年に生まれ、ドイツ帝国軍で経歴を積み第一次世界大戦を指揮。 戦後、ヴァイマル共和政の参謀本部で影響力を持った。 1932年12月に首相に就任し、混乱する政局の調停を試みた。 ヒトラーを首相に据えることでクーデターを防ごうとしたが失敗。 1934年6月のナチス『長いナイフの夜』で粛清され、その死は政変の象徴となった。
1934年 クルト・フォン・シュライヒャー ドイツ首相 1882年
1934年

グレゴール・シュトラッサー

(1892 - 1934)

ナチス左派の指導者

ナチス左派の指導者
ナチス党内部の左派を代表した指導者。 権力闘争に巻き込まれ、1934年の粛清で命を落とした。
1892年にドイツで生まれ、第1次大戦後にナチス党に加入。 初期党組織の拡大に寄与し、労働者層への浸透を図った。 党内左派の指導的立場を取り、社会改革を主張したが、ヒトラーと対立。 1934年6月、ナチスによる党内粛清『長いナイフの夜』で射殺された。 政治的理想と激しい党内抗争が交錯した生涯であった。
グレゴール・シュトラッサー ナチス左派 1892年
1954年

三宅克己

(1874 - 1954)

画家

画家
日本の洋画家。1874年生まれ。
1954年 三宅克己 画家 1874年
1957年

川合玉堂

(1873 - 1957)

画家

画家
近代日本画を代表する画家。自然と調和した風景画で知られる。
1873年に生まれ、東京美術学校で洋画を学んだ後、日本画に転向し独自の作風を確立した。自然風景や四季の移ろいを繊細かつ雄大に描き、その静謐な世界観が高く評価された。1918年に玉堂会を結成し、多くの後進画家を育成。文化勲章を受章するなど日本画壇の中心人物として活躍。1957年6月30日に逝去した。
1957年 川合玉堂 1873年