長元元年6月5日

平忠常の乱。

平忠常が関東地方で起こした武士の反乱です。 皇朝の権威に挑み、中世日本の武士台頭を象徴する事件となりました。
平忠常の乱は1028年、下総国で発生した平忠常による反乱です。 忠常は上総広常の排斥を図り、関東の武士勢力を背景に下総国府を襲撃しました。 朝廷は討伐軍を派遣し、数カ月に及ぶ戦闘の末、鎮圧に成功しました。 この反乱は荘園制の混乱を露呈し、武士の台頭を示す前兆とされます。 以後の武家政権成立に大きな影響を与えた歴史的転機です。
1028年 長元 6月5日 平忠常の乱
天正3年5月21日

長篠の戦い。

織田信長・徳川家康連合軍と武田勝頼軍の激突です。 銃火器戦術の威力を示した戦国史上の重大事件。
1575年6月29日(天正3年5月21日)、三河国長篠で行われた戦いで織田・徳川連合軍が武田軍を破りました。 織田信長は柵列陣と多数の火縄銃を組み合わせ、武田騎馬隊を効果的に撃退しました。 この戦術は戦国時代における銃器の有効性を証明し、旧来の騎馬優位の軍事思想を覆しました。 戦後、武田氏の没落が決定的となり、織田政権の全国的支配が加速しました。 以後の日本軍事史における転換点と評価されます。
1575年 天正 5月21日 長篠の戦い
1659年

コノトプの戦いが終結。ロシア・ツァーリ国軍がウクライナ・コサック軍に敗れる。

ロシア軍とウクライナ・コサック軍の激戦が決着。 コサック軍の勝利が歴史的転機となりました。
1659年6月29日、東欧コノトプでロシア・ツァーリ国軍とウクライナ・コサック軍が衝突し、コサック軍が勝利しました。 コサック軍は地勢を活かした機動力で数的優位のロシア軍を翻弄しました。 この勝利によりウクライナ地域の自治権が一定程度維持され、ロシアの南下政策に歯止めがかかりました。 講和交渉ではウクライナ側の要求が部分的に認められ、緊張関係は続きつつも一時的な安定がもたらされました。 コノトプの戦いはウクライナ国家意識の萌芽と評価される重要な出来事です。
1659年 コノトプの戦い ロシア・ツァーリ国 ウクライナ・コサック
1913年

セルビア・ギリシャなどとブルガリアの間で第二次バルカン戦争が勃発。

1913年6月29日、バルカン半島で領土紛争を巡り第二次バルカン戦争が勃発しました。
第二次バルカン戦争は第一次バルカン戦争後の領土分配を巡る対立が発端で、同年6月29日にセルビア、ギリシャ、モンテネグロがブルガリアに宣戦布告して始まりました。両者は北部や東部戦線で激しい戦闘を展開し、数週間で終結しました。ブルガリアは領土を大幅に失い、戦後処理はヨーロッパの勢力均衡に大きな影響を与えました。この地域の民族・領土問題は複雑さを増し、第一次世界大戦への遠因とも位置付けられます。
1913年 セルビア ギリシャ ブルガリア 第二次バルカン戦争
1945年

第二次世界大戦・日本本土空襲: 岡山空襲。岡山城が焼失。

1945年6月29日、岡山空襲により岡山城が焼失し市街地に大きな被害が出ました。
第二次世界大戦末期の日本本土空襲の一環として、米軍機が岡山市を攻撃しました。空襲により市街地が焦土と化し、文化財である岡山城も焼失しました。民間人の犠牲者も多数報告され、復興までには長い時間を要しました。戦後、岡山城は再建されましたが当時の瓦礫の写真は戦争の悲惨さを物語る史料として残されています。
1945年 第二次世界大戦 日本本土空襲 岡山空襲 岡山城
2002年

第2延坪海戦。黄海上で北朝鮮と韓国の艦艇による銃撃戦。合わせて19人が死亡。

2002年、黄海上で北朝鮮と韓国の艦艇が衝突し、銃撃戦となり19人が死亡した海戦です。
2002年6月29日、朝鮮半島の西側海域で北朝鮮と韓国の艦艇が小規模な海戦を交えました。これは第2延坪海戦とも呼ばれ、数分間にわたる銃撃戦が行われました。海戦の結果、北朝鮮側と韓国側合わせて19人が戦死または行方不明となりました。韓国政府は北朝鮮の一方的な攻撃を非難し、朝鮮半島の緊張が一気に高まりました。国際社会もこの衝突を懸念し、地域の安全保障情勢に警戒感が広がりました。
2002年 第2延坪海戦 黄海 北朝鮮 韓国 艦艇